芸術とデザインについてかんがえてみる ②
では、芸術とはなにか。芸術は、何を目指せばよいのだろうか。
芸術は、前衛的である。尖んがっている、と言い換えてもいい。よく見れば重々しく、決してフレンドリーでもない。それでも、これは何だろう?という興味を起こすような強い磁力を放っているものだ。芸術の多くは、私の理解を超えたものであり、つまり拒絶されたようにも感じる。しかし、ある時には、(驚くべきことに、初見でありながら)これ以上ないほどに自分を理解してくれていると感じることがある。その体験は胸にこみあげてくるもので、非常に強い感動を伴う。私にとって芸術とはそういうもので、作品を見る時は決して気が抜けない。こうした非日常の体験は、それ自体の敷居の高さを伴っている。個人の仕事でデザインをさせてもらうことがある。それはWEBだったり、グラフィックだったり、ロゴだったりするわけだが、どんな風に考えているかといえば、常に顧客(企業)のことを思いながら知恵を絞っている。このデザインが必要な理由があって、それに応えようとする。ヒアリングなどから得た情報を整理して、それを具体化していく作業だ。顧客の期待するところを形にしていくことを一番に考える。芸術はそうだろうか?いや、違う。したがって、芸術は誰かの期待に応えることではない。まず、そう考えることから始めてみたい。だけれども、芸術は仕事であってはならない、とは言えない。芸術は仕事として成り立つ。成り立つけれど、だれもが仕事をもらえるわけではない。芸術家が他の分野の芸術家に仕事を発注することはあることだ。私も芸術で仕事に携わりたい。多くの人がデザインと芸術の思考を行ったり来たりしていると、この瞬間はデザイン志向か?芸術志向か?ということを正しく把握していない場合がほとんどだ。芸術であれデザインであれ、身に着けた技術的な能力を他方に活かすことは多くある。しかし、注意しておかないと、芸術思考は丸くなってしまい、デザイン思考は尖りすぎてしまう。すでに書いたように、デザイン思考と芸術思考の両方を併せ持っている人は多くいるだろう。だからこそ、思考の中でデザインと芸術は棲み分けが必要なのだ。
私はこれからどうなりたいか。自分の得手不得手を知り、30代の中頃から不足している分野(哲学、経済学、プログラミング言語、音楽理論)について学び直しをすすめている。そろそろ40代も目前となった今、抜きん出た才能があるわけではないと自覚している私は、ひとつのことに拘るような生き方はもう選択しない。デザイン思考と芸術思考を行ったり来たりしながら豊かに思考を深めていきたい。そして何より芸術作品を制作したい。芸術は仕事となり得るが、誰もが仕事をもらえるわけではない。映画監督が音楽家に依頼するように、芸術家が他の分野の芸術家に仕事を発注することはあり得る。私もそういう仕事をもらえるようになりたい。
最後に、岡本太郎さんの本に言葉を求めたい。そこに書いてあったものはこうだ。ぎゅっと凝縮された名言だった。
Text & photo : 小佐直寛(Naohiro Kosa)