夢と憧れ

アニョハセヨ。フミウミです。


急な話になりますが、学生の頃の夢は絶対に専属ダンサーになりたいと思ってました。
しかも韓国で。(なんならYGで)
要するにCRAZY(YGの専属ダンサー名)を目指してました。
いつからこの夢ができたかとゆうと、高校生の頃ビッベンのLIVEに行った時、あれ?日本人ダンサーじゃね?ってなって、MAIさんとゆうダンサーに出会いました。
大阪出身の方で、大阪でのLIVEはフィナーレのダンサー紹介で必ずと言っていいほどソロで踊ってました。

「うわー。いいなぁ。日本人でもなれるんだ。」こう思うビッぺン(BIGBANGのファン名略)のダンサーは多かったはずです。


そもそも、YGアーティストと別にYGの専属ダンサーも追っていました。
2種類の専属チームがあって、基本的にナムジャダンサーがHITECH
ヨジャダンサーがCRAZYに分かれています。

その中でその頃ゆういつHITECHだったヒヨンちゃんが大好きで、LIVE行く時はアーティストよりも花道や後ろで踊ってるヒヨンちゃんを見るくらい大好きです。

ダンサーって、自分の好きな振りだったり、好きなアイドルが踊ってるのを見ると覚えたくなると思います。


それで私は、今は普通に撮影して載せてるアイドルばっかですがその時はdance練習動画なんて全然なくて、覚えようにも覚えられないし、PVに映ってる一部の振りだけじゃ満足できないタイプなので、インガやMカを何回もみて覚えてました。


それでも満足できない私は、LIVEでみて覚える技を習得しました笑笑
(自分でゆうのもなんですが、振り覚えだけは誰よりもいいと思ってます笑)
それこそヒヨンちゃんばっかみてました笑

だからビッペンの中でこんなにダンス覚えてる人私くらいじゃないかなーと思います(自慢げ)
他にいらっしゃったら名乗り出てもろて!笑


一旦話がそれますが、LIVEの入場の時絶対にパンフレットもらうじゃないですか。

で、中2の時初めてビッベンのLIVEに行ったんですけど、その時もらったパンフレットにダンサーオーディションのチラシが入ってました。


中2の頃の私の夢は、ただのダンスの先生になることでした。

そしてそのチラシを見た時、受けたい!と一瞬で思いました。
(ダンスオーディションは小さい頃から色々受けてたので迷いもない)

だがしかし。そのオーディションは条件があり見てみたらもう色々クリアならず、

「あーやっぱり、160センチ以上じゃないと無理なんだ。しかも合格したら都内に移住。。。」身長155センチ九州出身のまだ中2の私には諦める以外選択肢がありませんでした。

当たり前の話ですよ!!!(多分)

そっから、高校入学して一旦ダンスからも離れ、全く踊らない日々が続きました。   が!!!!

その途中、さっきの日本人ダンサーMAIさんに出会ったんです。

そこから急に私の夢は専属ダンサーに変わり、ダンスも再開しました。

なぜかと言ったら、MAIさんがCRAZYになるまでの話を聞いた時、うわーーー諦めんでオーディション受けるべきだったな。と思ったから。
(韓国語も話せず履歴書一枚で事務所までいき、ダンスを見てもらったそう)
今ではそのMAIさんは韓国にいなくて、地元大阪でダンススタジオを開き自分と同じ夢を見るダンサーの為のスタジオを経営されてます。アイドルデビューさせたり、自分のナンバーに出たい子たちにはオーディションさせたり?(私なりの知ってる情報だと)やってるみたいです!すごいですよね。。。

『好きで見てた人』から『憧れの人』に変わった瞬間でした。

それから自信をつけるために、中1まで毎年受けてたa-nation actdancerを5年ぶり?に受けることにした。(大阪)

それで合格。

そこで私の夢は一つ叶う。

なんと、ビッベンも出演する日と被ったんです。
その上エピカイもいたし。。。

合格聞いて初めて泣きました笑(いや今までも泣けよ)

私はこの日、BIGBANGと同じステージに立つ夢が叶いました。

本番、裏で会えたらと思ったが会えず、とりあえず本人たちが踏むであろうバミリと、エピカイ兄さんのDJをちょろっと触っときました。

多分DJを触ったのは私くらいでしょう。まぁ触るとゆうか触れる?!一瞬すぎて手洗いたくなかった。笑

その日は幸せに満ち溢れてましたね。


それを経験してから更に、夢見る専属ダンサーになりたい気持ちが強まりました。

でもとりあえずダンス留学を韓国でしたいと思うようになり、1 milion(韓国の有名ダンススタジオ)に行こう。と決めました。

それから高校卒業後、家庭の事情もあり就職の道を選びましたが(え)2年後やっぱダンスがしたい!となり、渡韓。

と、言いたいところだが、家族に韓国は反対され上京を決めました。

私は韓国でダンサーになることを諦めてはいなかったのですが、東京に来て思うことがありました。

それは、

今流行りのニュースクール系の振りを受けた時、あれ??全然踊りたいやつじゃない。楽しいと感じない。

今まで私がやってきたのはどちらかとゆうと、ミドル系のHIPHOPだったので合わないな。と感じていました。(’90s大好き)

それでもレッスン受けたり、舞台に出た時の振りもそれだったりしたときにやっぱ違うなーと感じました。

時代の流れって変わるから、まさに韓国のダンサーもニュースクール系に変わりつつあってみーんな同じスタイルだなーと思いました。


あ。違う。やりたいのじゃない。これ、韓国に行っても同じ思いするな。とゆうのがわかり、留学するのをやめると同時に専属ダンサーになる夢をやめました。
(ここからコロコロ考え、悩み、夢がかわっていきます)

確かに今のスタイルもかっこいいかもしれませんが、自分がやりたくないのはやりたくないタイプなのでやめました。(なんじゃそりゃ)

そしてすごい話飛びますが、全世界でコロナが流行り始めた頃は、ダンスしたくない。なんのために東京きたとやろ。結局ダンサーにはなれない。etc...

いろんな感情に襲われ情緒不安定でした。

でもダンス辞めたいと思ったことは一度もありません。


そして、今。


我らがYGの新人!TREASUREちゃんたちがデビューして、(急に話変わりすぎやん)宝石箱やら、改めてアイドルを見るようになってから、また専属ダンサーになりたい気持ちが出てきました。

でも私はもう23歳。いえいえ、まだ23歳。

この歳ではもう遅いくらいの年齢かもしれないが、だから何?!と思えるのが長所です。

何事もそうですが、やると決めたことはやるタイプ。そして誰がなんと言おうが関係ない。やってみないとわからないのは当たり前。色々ゆう前にやってみる。

言い訳の「どーせ」ってゆう言葉は嫌いです。
やろうとしてない人がよく口に出しますが、それは甘えです。

若いときに色々してた方がいいとよく言われますが本当にその通りだと思います。


なので私。


渡韓します。



上京してからダンスに対していっぱい考えることが増えて、たくさん悩んだけど、結局韓国行ってないところで甘え。(こんだけ好きなのに行ったことない なんで?て話ですよね)

目に見えるものだけで判断して、韓国に行って、体験・経験してからそこで初めて自分の思った、感じたことを言おう。と。

自分で決めつけてただけなんだと。

初心に戻るってすごく大事なことだなと改めて思いました。

私は今のHIPHOPとかけ離れたHIPHOPしかしてこなかったし、今でも’90sが好きだけど、一歩踏み込むことでまた変わるだろうなと感じます。

子供にダンスを教えることは苦手だしやりたくなかったけど、経験の貯金としてキッズも教えることを決めたし、今現在お年寄りにHIPHOPを教えてるけどすごいやりがいを感じる。
なんでもしてみないとわからないことだらけなので、もう23歳と思わずまだ23歳として進みたいと思います。

え?!結局なんの話?て感じけど、

夢はコロコロ変わっても自分自身の思いと自分自身がどうしたいかだと思います。

もちろんコロナが少し落ち着いたらすぐ飛びます。


人生って楽しいな〜。


このブログにピッタシのことをTREASUREちゃんたちがインタビューで言ってたのでリンク貼っておきます!!是非素晴らしい彼らをチェックしてください!!

https://mdpr.jp/k-enta/detail/2486992


最後まで読んでくださってありがとうございました!

ちなみに今のCRAZYにも私とタメの日本人の子がいます!
だから毎日刺激です!!

人生楽しく、後悔なく!!


クロム オヌルン ヨギカジ(KaoruTV)

アンニョン〜

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