ASDと障害者年金についての思考整理
今年に入り、晴れて年金を受け取れることになりました。
障害者年金を受給するに当たって、たくさんの人に協力していただきました。感謝していますし、本当に人に恵まれているなと感じます。
通知が来たことを報告しに行った時、病院の方が「知的障害が無い発達障害に対する理解が深まりつつある。時代は変わっているね。」と言っているのが印象に残りました。
今は、昔と比べてASDの特性を持つ方が障害者年金を受け取れる確率が上がっています。
審査は物凄く大変で、過去の辛いことを思い出さないといけない場面もありますが、やらないよりかはやった方が良かったのだろうと感じました。
ASDは常に定型発達と非定型発達のボーダーラインに立っています。努力でどうにかなる事と、どうにもならないことの区別が自分でも分かりにくいですし、他人から見ても「ちょっと変わった人だな」くらいの感覚なのだと思います。
自分のおかしな所を理解していて、隠そうと思えば隠せてしまう。だけど、長時間隠すと体調を崩してしまう。
こうして文章を書くこともできます。ですが、コミュニケーションを取る場面になるとボロが出てしまいます。
うまく行かないことは全部自分の努力不足だと思っていたし、その思考は今も完全には取り除けず、障害者年金の受給を勧められた時は「私なんかが申請して本当にいいのかな」と思いました。
これは正直な所今も思っています。この気持ちと折り合いがつく日は来るのかな〜。難しいけど、なるべく自分を縛らないように生きていきたいですね。
どうでもいい話
前の記事で「薬がないと生きていけない社会を呪っている」と書きましたが、人や病院に対し感謝の気持ちもあります。
社会には感謝も憎悪も感じています。私に優しくしてくれる人が好きだし、傷つけてくる人は嫌いです。感謝と憎悪、どちらかになれたら楽なのに。誰か今すぐ地球を真っ二つにしてくれないかな…。と思う日々です。
もし私がその立場の人間になったら、絶対に躊躇うので、だめです。