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僕は鉄棒ができない。
金曜日は体育があった。種目は鉄棒。
高校生にもなって鉄棒をするのかと、最初は思っていた。
しばらくは友達と談笑しながら鉄棒を練習していたが、段々と手が震えてきた。
きっと寒さのせいだ、これだから冬の体育は嫌だ!冬じゃなくても嫌だけどな!
とか、思っていた。
しかし、何故かだんだん練習するのが怖くなり、涙が出そうになっていった。
でも理由もよく分からないし、泣くのも恥ずかしいので我慢していた。
幸い鉄棒は10個程度しかなく、他の生徒と代わり代わりで練習するのでそれを言い訳にほぼサボっていた。
サボっていた間も恐怖が収まらず、ずっと涙をこらえていた。
だが、ぼくのサボりを見かねた友達が、
「ひぐるもやれば?」
と言ったところで僕の涙腺は崩壊した。
高校生になって初めて学校で号泣した。
まさか鉄棒で号泣するなんて。
恥ずかしさも相まって、冷や汗と涙と鼻水の嵐。
マスクがあって本当に良かった。
友達に僕の泣いている姿を隠してもらいながら、自分はなんで泣いているんだろうと考えた。
そうすると、見えてきたのは小学生の時の記憶だった。
あれは確か小学二年生の時、お昼休み。
無邪気に鉄棒で豚の丸焼きをしていたら、
手を離してしまって地面に叩きつけられた。
病院にも行ったが幸い酷くはならなかった。
病院の先生に豚の丸焼きしてましたって言うの恥ずかしかったなーなんて懐かしむと同時に、原因はこれだという納得感もあった。
これがトラウマなのか。どうりで脚がすくむわけだ。どうりで涙が出るわけだ。
僕が泣いていることに気づいた体育の先生が話しかけてくれて、そのトラウマを打ち明けた。
そうすると先生は
「そういう人も何人かおるし、お前だけじゃないから大丈夫。無理はすんな。」と言ってくれた。
その言葉で初めて自分が無理をしていたことに気づいた。
「自分も物理できへんし、お互い様やな!」
と友人。
僕のことを気にかけてくれる先生や友達の言葉が暖かくて、ほっとした。
自分でも分からないうちに辛くなっていた、
泣くほど我慢していた心が、
入浴剤のように溶かされていく。
僕を責めず、肯定してくれる。
助けてくれる人がいるという実感が嬉しくて、また涙が出てきた。
もうマスクの中はぐっちゃぐちゃだった。
残りの時間は端で座って物思いに耽っていた。
砂にアンパンマンを書いたりしていた。
そして授業も終盤。
クラス全員が集合した後、先生が言う。
「出来ないことは出来ないという。無理して辛くなる前に言えるようになってください。
それは逃げではないし、恥ずかしいことでもない。」
きっとこれは僕に言ってくれているんだと感じた。
確かに助けてくれる人がいても助けを呼ばなければ意味が無い。
助けが必要なんだから、助けを呼ぶことは逃げでも言い訳でもなんでもない。
今回は泣くという形で助けを呼んだけど、もしもっと早くに先生に話していたら、泣くほど辛くならなかったのだろう。マスクの下も悲惨にならなかったのだろう。
僕には助けてくれる人がいる。
だからもっと、遠慮せずに助けを求めよう。
そして、その人たちがもし僕に助けを求めてきたら、
存分に助けよう。
今回の鉄棒で分かったこと。
辛くなる前に助けを呼ぶ
助けてくれる人はちゃんといる
自分も助けられるようになる
そして、
僕は鉄棒ができない
ということ。