『左の腕』(無名塾)を観て
披露目の少し前ですけど、無名塾の『左の腕』を観ました。無名塾は、今は89歳になられる仲代達矢さんの劇団なのは言わずもがなですが、ご当人のお芝居たるや物凄いものがありました。
この『左の腕』は松本清張作で、落語にもなったり朗読で読まれたりしていますが、演劇で観たのは初めてです。
内容云々は触れませんが、僕はこの仲代達矢さんの芝居にある意味、到達点のようなものを感じたのでここに記します。
歳を重ねることに凄さ
映画などで観たことのある仲代達矢さんですが、生は初めてです。まして今は89歳です。そらあもう円熟なんてもんじゃない。余計なものが一切省かれたお芝居でした。89歳のおじいちゃんがあんな大きな声を出せるのが凄いんですが、その芝居の作り方です。
過度に演じないんです。気持ちを込めないと言うんでしょうか。平坦に喋る。とにかく一本調子。
だけど…
だけどなんです。ものすごく感情が伝わる芝居なんです。演じていないのに、他の方よりも圧倒的に言葉が伝わってくるんです。演じていないってより、演じているように見せないように演じているって感じですね。
本題はここからなんですが。このお芝居を観ていて、思い出したことがあるんです。
小三治師匠の言葉
朝日名人会のCDで小三治師匠が晩年に京須さんと対談したものがあるんですが、その時に小三治師匠が興味深いことをおっしゃるんです。
落語は棒読みでやるもんだ
最近の落語についてどうですか?というような振りだったと思うんですが、それに対してこうおっしゃいました。もっと前に色々喋っているんですけどね。
「最近はみんなキャラクターを作りすぎ、もっと棒読みで平坦にやったらいい。そうすれば人間がどんどん出てくるのに、受けようと思ってものすごく変な言い方したり、あれじゃあ落語にならないよ。」
ざっと言うとこんな感じだったような気がします。
小三治師匠も仲代達矢さんも晩年も晩年ですからね。若い時のような台詞回しではないと思うんです。声を張ったり、大きく抑揚をつけるってのも年齢的にも出来なくなってくる。
だからセリフが平坦に聴こえたのもあるかもしれません。
なのでこの仲代達矢さんに感じた棒読みと、小三治師匠が言う棒読みは少し違うんですけど、通っているところはあると思っているんです。
形より心が似ているような気がします。
落語の棒読みって
本当に棒読みでやったらただの棒読み野郎ですから。この辺りは平坦にやった方がいいなっていう部分って落語ん中に結構あって、そういうところも全部臭くやるとお客さんが疲れちゃうんですね。
そういう流れのことを考えた棒読みと。
あとは、受けるところを作り過ぎずに自然と出すための棒読みも大事ですね。
「ここは受けるところですからー!」
ていう気持ちをセリフを出す逆のパターン(林家のお家芸w)もありますが、古典落語に於いては自然な方が良いわけです。
だから、ここまで散々書いて来ましたけど。
棒読み=自然
ということだと思います。棒読みで自然を作り出してからそこから段々会話の面白さを足していく。こういう作業が落語の工夫だと思っています。
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