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書くことについて

フランシス・ベーコンの格言にこういうのがある。

「読むことは人を豊かにし、話すことは人を機敏にし、書くことは人を確かにする」

ちなみに今朝読んでた本からの受け売りです。

私としては、本を読んだり、人と意見を交換することはこれまでもあったけれど、「物を書く」という行為は、上で挙げられている三つの中で一番難しい印象があった。

そんな私がここ最近、かつてない程に書くことに熱中している。というのも、実はひと月ほど前から、とある怪談投稿サイトに自分の書いたものをアップしているからだ。

怪談は、文章だけで恐怖を味わえる刺激的なコンテンツだ。

昨今の怪談・オカルトブームも相まって、サイトはかなりの賑わいを見せている。新作の出るペースは一日に七、八本かそれ以上だ。

でも、なんでこんなことを自分は始めたのだろう?

思い返せば、きっかけは一冊の本にあった。

それは、横浜は関内の伊勢崎商店街にあるブックオフで見つけた、「そこに行くな(著:井上荒野)」という本だ。

文庫本の棚をあさっている中、その本にはタイトルと説明だけで運命を感じてしまった。しかも、その中身は私の予想を遥かに上回るものだった。

私はこの本に屈服させられた。

内容としては、不都合で無慈悲な真実に運命を狂わされる人々を描いた6つの短編が収録されている。

ただ、私は小学生の頃の「学校の怪談」に始まり、今まで色々なホラーを読んできたが、「そこへ行くな」のエピソードはどれも、幽霊がでたり、誰かが殺されたり、ましてや怪奇現象すら起きないのに、非常に恐ろしく感じられた。

まるで、新しい地平を開拓したようだった。

ただ、同時に私の中で、「こんな世界を自分も文章で作ってみたい!」という衝動が沸き起こった。

そして、私は書き始めた。
こうなった時の私は、とにかく行動あるのみ。
これまで音楽や美術に取り組んできたときも常にそうだった。

こうして、日々こつこつ、たまには夜中の2時まで物語を書くような生活が始まった。

しかし、変わったのはライフスタイルだけでは無かった。

まず、何となく通り過ぎていた場所や、周囲の人々の表情や行動といった全てが、森羅万象が、物語を書く為の貴重な資料やアイデアに様変わりした。全てをインスピレーションの泉に見立てるなら、毎日どんな出会いがあるか気が抜けない。勤務時間の暇つぶしにもなる。

次に、言葉や文章と向き合う時間が増えた。何を使うか、どう並べるか、全体として読みにくくないか、どう表現すれば伝わるか…こだわりに終りはない。個人的にはシンプルに伝える事を心掛けている。また、読書は文章を追うだけでなく、言葉の配置や文の構成など、学ぶ事で埋めつくされている事にも気づく。

書き始めたことで、私の周りの世界や日常までもが変わった。
正確には、それらに対してより注意・関心を向けるようになった。

フランシス・ベーコンの言葉は間違っていなかったかもしれない。

今は、前述の怪談投稿サイトに1000字前後の短編をぼちぼち上げている状態だが、今後一年以内に2~3万字ほどある物語を仕上げるのが、今の私の目的だ。構想はある。

もちろん、目指すは井上荒野氏の世界である。

では、

また今度~!






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