夜風に揺れた網戸の音で 意識の浅瀬に身を浮かべ 月の裏側さえも愛してみた 名前も知らない都市の喧騒 色褪せた文庫だけ一冊携えて 三百円のアイスティー流し込む 寄り道ばかりが我が人生 置いてけぼりの我が人生 立ち尽くすだけ我が人生 貴方の喪失を貪る猛禽類 雪より白く燃えて今貴方は雲の上 一人きりの畦道に両の足が竦めども 朝焼けが露に反射して私を包むから 哀しみの光溢れた歩みを止めはしない どれほど清く、正しく生きようとも もう貴方は返って来ないのに それでも私
秋空の憂鬱に急かされて 大きく口を開けた水平線 灰色の漁船を飲み込んで 潮っぱい退屈が鼻を刺す 貴方の鳴き声が響けども あの夜重ねたのは孤独だけ 貴方の喪失を栄養に 今宵満たされるのは孤独だけ 浴そういっぱいの 星空を飲み干した 巨人のお腹で眠る夜 秋期集中講義 『人生の終わらせ方概論』 夜風に揺れた網戸の音で 意識の浅瀬に身を浮かべ 月の裏側さえも愛してみた かくかくしかじか 君は愛されたい かくかくしかじか 僕は愛したい 貴方の涙が 鱗となって 記憶
私ばっかりが立ち止まってるみたいだ 全く雲さえ速すぎる! 私ばっかりが哀しんでるみたいだ 全く鳥さえ鳴きすぎる! 私ばっかりが愛してるみたいだ 全く君さえ知りすぎる!
五百円のアイスティー シロップを三つも入れた 恥ずかしさも甘さに溶ける 私の中の最も醜い一面だけを取り出して 残りの私の全てをぐいっと押し潰す そうしてのっぺりとした心の壁一面に 見るに耐えない怪物が私を見つめている 全体は部分を規定せず 部分は全体を規定する 実在は本質を記述せず 本質は実在を記述する ロンドンは濃霧 カイロは快晴 会えなくなった人に贈るための花 それだけを売る花屋さんがあるらしい 見えなくなった人に送るための手紙 それだけを
憂鬱を纏った港の雨は 透明な二人の頬を濡らし 僕を握る君の手が痛い 硬く結ばれたその口は 不安と不満を静かに語る こんな季節外れの花火では 僕らの結末は書き直せないと知りながら 零れ落ちそうに浮かぶ涙に 今更になって鼓動は速まるばかりか 湿った地面で濡れないようにと 君を膝の上に座らせたけれど 今はただその軽さだけが辛い
いつだって 二人きりの夜の路地だった いつだって 秘密が多過ぎた僕らだから 生まれたての赤子の脇を抱えるみたいに 僕の両手が君のうなじを静かに支える いつだって 傾けるのは僕の役目だった いつだって 目を早く閉じ過ぎる君だから 紅く染まる頬に弧を描く睫毛を見つめ かじかむ手のひらが君の体温に溶けていく 刹那の永さと近づく勇気を君は知らない 味のしない愛に惑星は自転を止める いつだって 喋り出すのも僕の仕事だった いつだって 街灯を見つめ頷くだけの君だから
前提からになって申し訳ないですが、まず私たちがただ電車の座席に静かに座ってるような場合を考えますね。このとき電車が進行方向に一定の速度で走ってるとすれば、当たり前ですが電車の外にいる人から私たちを見れば、座席に座ってる私たち自身も電車と同じ方向に同じ速度で動いています。一方で、電車の中の私たち自身からすれば、止まってるときと何ら変わらないように感じてますし、私たち視点では実際止まっています。ところで、なぜそのように言えるのでしょうか。そしてある物体がある方向に一定の速度で動い
「nを自然数として 1から2^(n+1)-1 までの全ての整数は 1,2,4,…,2^nからなるn個の数の集合の その要素の和の組み合わせで表現される ただし同じ要素を重複して選ぶことはしない」•••@ nを自然数とし、 U(n)を1,2,4,…,2^nのn個の整数を要素にもつ集合とする (1)n=1のとき U(1)={1,2}であり 1=1 2=2 3=1+2 であるから 1から3までの全ての整数はU(1)から重複するを許すことなく選んだ要素の和の組み合わせとして表現さ
Aへ まずは昨日で20歳、明日で3ヶ月記念、おめでとうとありがとう。Aと付き合って12週間経つけれどものすごく楽しくて幸せで正直まだ実感がないというか、夢の中とまでは言わないけれど不思議な感覚になります。とても濃い時間で1週間と言われればそんな気もするし、反対に1年と言われても納得できそうな、そんな印象的な3ヶ月でした。改めて、こんな俺と付き合ってくれてありがとう。 さて、初めての手紙の内容も構成も決めずに書き始めていますが(長くなったり、分かりづらかったり、はたまた恥ず
10代の頃の学校というコミュニティで経験する人間体験の特徴の一つは、良くも悪くも大人社会とは異なり損得・利害関係を超えた、超えざるを得ない存在同士の日常生活とそこから芽生える仲間意識や恋愛感情にあると思うけれど、その人間の価値が容姿や垢抜け具合によって大きく左右されるという価値観が蔓延してる現状の学校では、誰かの人間的な魅力を発見して無条件に愛おしく思ったり、そして親密になったりする可能性がなんだか小さくなってしまうよう気がするね、というのも本来誰かに親密さを抱くかどうかは専
「小さい頃のあなたは、いつも眉間に皺を寄せ哀しそうに不機嫌だった。本当に癖のある子だったのよ。」 「あのときのお前はいつもみんな囲まれて楽しそうだったのに、突然壊れたように何かに怒りだすから怖かった。」 選べるならやっぱり過去だよ。未来か過去なら僕は過去に戻りたい。物心つき初めた頃から思春期に入る頃くらいまでの過去。でもそれは、その時期にそれだけ多くの綺麗な思い出や楽しい記憶があったから、ってわけじゃない。むしろ逆でね。今でも思い返すと心が苦しくなって、どうしようもなくな
誰かからの親しさのシグナルを感じるとそれ以上関係を深めることに極端なまでに恐怖を覚える。それは二つの意味で。一つは自分が相手にとって重要な存在になることへの恐怖。もう一つは自分の本当の姿を暴かれることへの恐怖。 だから僕は可能限り身軽でいたい。誰かと親しくなることは、その人に対して責任を負うことと同義だから、その重さが自分には耐えられない。ずっと精神的には一人で生きてきた人間にとって(もちろん客観的・社会的には一人で生きてきた人間なんていけないけれど)、自分の心の中に誰かの