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ツインレイに思う
S君に出会って、ツインレイという言葉を知った。
しかし、ネットで流布している条件とぴったり同じように当てはまらないことも(細かい部分だが)あるので、ツインレイのあり方もそれぞれなのかな、と思う。
私は、仏教の教えをやんわりと信じているので、魂にはそれぞれ役割や人として生まれてきた意味があるのだと思う。
いわゆる「ツインレイ」であるべき条件というものは、魂と神仏との個別の約束もあるだろうし、その魂の見てきたストーリーの数だけ違うはずだ。
以上のことからも、私とS君との絆は、限りなくその概念に近いような気がする。
そもそも、ハイヤーセルフとかスターシードという言葉が、私にはしっくり来ない。
これって、欧米のヒーラーが使い始めた言葉なんでしょ?(わからなくてすみません)
日本はアジアだし、私たちの先祖は仏教徒だから、仏教に当てはめてみると、個人的にはけっこうしっくり来る。
私は宿曜の勉強をしているが、S君と私の関係は「業胎」である。
この関係性は、過去から現在、未来に渡ってつながりのある人間関係である。「業」は過去に自分が助けられた人、「胎」は未来で自分が助けてもらう人。さらにもう一人の自分自身を表す「命」という関係性もある。
業命胎の関係性というのは生まれ変わり、輪廻も関係してくる。
この3者は、同一の魂を持っているという見方もある。
トリプルレイやツインレイの関係性と酷似していると思う。
最近は宿曜とツインレイを組み合わせて配信している方もいらっしゃるようなので、「やっぱりね!そうだよね!」という感じだ。
逆に、それだけなので、必ずしも「業胎」がツインレイであるとは考えない。
実はD君とも「業胎」なのだが、これはカルマメイトであると確信している。
魂が、人の肉体に生まれ変わって宿り、再会する。
出会う人すべてが仏である、という仏教の言葉がある。
「あっ、この人は!」と魂が震えるフィーリングに遭遇した時、どんな意味で出会ったのか、自分の生きてきた道のりやルーツ、克服してきた経験から振り返る、魂の修行のチャンスなのだ。
自分の「生」から、見極めること、気づくことが大切である。
瞑想(マインドフルネス)はその方法の一つだ。
出会うべきでない人物に出会ってしまった時は、自分の行動やその人物へのアプローチを、神仏(ハイヤーセルフとも言うのだろうか)から試されていることもあるだろう。
悪縁という言葉もある。
現世で解消できなかった業(カルマ)を未来へ繰越す時、それを出会った胎の人間性に見ることもあるかもしれない。
その時、自分自身のカルマに気づけるのか、試されているのである。
それに気づいた時、晴れて「会得」となる。
自業自得、という言葉の通りである。
業は、会得のチャンスである。
それが、仏教における魂の修行でもある。
ほらほら、どことなくツインレイの「別離」だとか「サイレント期間」の話と似てきたではないか?
私はS君やD君に出会った時、「何で、この醜い外見の私がようやく結婚した時、この色男どもと出会ったのか、これは誘惑か?仏陀の瞑想中に現れた淫魔と同じような存在か?」という強い思いがあった。
なので、申し訳ないが彼らに「私、占い得意なんですよ~👍」などと言って誕生日を聞いて分析した。(いや、ちゃんと占ってあげましたが!)
S君と私の誕生日は、1日も違わずちょうど「11」か月違うのだ。
私はこの「11」という数字も、彼との関係性を紐解くヒントだと考えた。
数秘術で「1」というと、マジシャン(魔術師)の数字である。
私はマジシャンは「働く人」「好きなことを仕事にして、人を喜ばせてあげられる人」みたいなイメージで見ている。
けっこう「仕事」のイメージが強い。
なので、そのぞろ目である「11」ということは、S君と将来的にビジネスをともにしていくのではないか、と察した。
それも、あまり人が「仕事」と思わないような、面白い仕事ができるのではないか。
その力で、世の中の人を笑顔にできるのではないかな??というイメージだ。
「11」そのものを読むと、「強さ」「力」のカードでもある。
私たちが持っている色気とか、カッコよさ(S君も、同性からもモテるような男臭い男子である)をどんどん世の中に解き放って、みんなを癒そうぜ!というメッセージだととらえている。
ちなみに、私もS君も、パーソナルナンバーとセルフナンバーが同一で、1つの数秘しか持っておらず、お互い隣り合う数字なのだ。
そのことからも、お互いの役割分担が見えてきそうだ。
だから、ツインレイに出会ったから今の配偶者と離婚して、ツインレイと再婚するのがゴール!ってわけではないんだよ。
全然別の形でも、何なら誰も思いつかないような形でゴールできるはず。
案外、答えは1つじゃないかも。
もう少し、幅広くおおらかに、密教的に捉えてみたい。
ツインレイという言葉には、否定はしないがやや懐疑的なのだ。
男性性!女性性!統合統合!みたいに気張らなくても、肩の力抜いて、魂が学ぶべきことを学んで、ステップアップ目指していたら、統合できると思うのだ。
神仏は見ているし、努力相応の御利益をくださる!
それには、何が一番心地よいか、どういう風に過ごしていたら人生楽しいか、やりたいことは何か。
自分のことを、現世の役目を、考える。
思い出す。
ツインレイの相手を愛することより、それがまず大事だ。
noteに、ツインレイ記録している人があまりにも多くて驚いた。
ツインレイとしての日々について、記録することを推奨している方もいるようだ。
でも、私個人的にはみんなツインレイだと思う!
(ちょっとこれは?みたいな方もいましたけど、本人同士がちゃんとコミュニケーション取れていれば、よほどメジャーでない限りお相手が芸能人でもあり得ると思います)
そして、数十年以上お付き合いしているとか、現実の物理的条件によって会えないとか、本当に大変お疲れ様です。
美しい愛を注ぎたいのに、受け取ってもらえるカップがなくて苦しんでいる人、辛いだろうなぁって思います。
でも、自分の魂でもって、真剣に出会った相手との関係性、自分自身のことと向き合っている。
それが魂の修行なんですね。
こんなにも多くの人が、特に女性の方が、一生懸命生きているんだな、と思うと、純粋にありがたいことだなと思いました。
多くの女性が幸せを感じ満たされ、男性が勇気づけられますように!
ツインレイとそれを支えるたくさんの人たちが、幸せになりますように!!
今回はつれづれに、思うところを書いてみました。