3人の男
こんな時代なので人が出会うのも容易いし、SNSのアルゴリズムがそれを助長している。
立て続けに面白い出会いがあった。
「風の時代」の話を聞いたことがあるだろうか。
私は身をもって、そんな時代に突入したことを知った。
「S君」
最初は、S君だ。
S君とのことは、ライティングコンテストに書いて送ったら、佳作に選ばれたので下記にリンクを貼りたい。
https://tokyonewsmedia.com/archives/1547
実は、3週間で書き上げた文章である。
ライターを目指して、何度も応募しているとか、作品を時間をかけて推敲している方々には申し訳ない限りだ。
S君と出会った衝撃の火花がスパークし、思いも寄らぬ結果を生んだのだろう。
しかも、小説家になる夢をあきらめていたのに、彼のお陰で再び書くことに対する意欲がよみがえってきた。
だから、こんな風にnoteを始める気にもなったのだ。
彼は、あまり連絡が返ってこなくなった。
金が尽きたのだ。
よって、朧気に目標にしていた旅も、中断せざるを得なくなった。
しかし、しぶといので諦めてはいないだろう。
遠くにいるのによくわかる。
そして、「鳥肌実」という男
S君が離れていったすぐ後に、しつこいぐらいYouTubeのおすすめに出てくる人物が、気になって仕方なくなった。
カルト系芸人の鳥肌実氏だ。
私は、リアルタイムでかつての彼の活躍を知らない。
YouTubeにあがっているのは古い映像なのだが、あまりに何度も出てきて根負けし、再生して見たら、なかなか面白かった。
おまけに、見かけに似合わず低めの良い声をしている。かつては、俳優のように素晴らしい二枚目だったのだ。そのビジュアルを愛した人々も多かったらしい。
現在の彼は100kg近い体格で、それはまるで政治家などの権力を持つ男性が、加齢と共に、胡散臭く、醜く肥え太っていくかのようだ。
彼は、人間のエゴ、欲望、煩悩すらも体現して笑いに変えているのだ。
芸人という枠を越えて、アーティスト、芸術家だと個人的には思う。
私は即座に飛び付いて、関東近郊の公演に行き、直接彼を見に行った。
面白かった。
差し入れやファンレターを渡すため握手会まで参加し、軽く会話するに至った。
ネット注文したTシャツのサイズが欠品で、本人から直接謝罪の電話をもらったこともあった。(このことからも、事務所を一人で運営しているというのは、本当だと思う)
昼間の仕事をしている私にとっては、アンダーグラウンドを感じる夜の世界が久しぶりで、嬉しかった。
昔、音楽ライブに足しげく通っていた頃を思い出しながら、繁華街を抜けて、好きに煙草を吸って。
面白いことに彼は、今より知名度が高かった昔はガワだけで、取り立てて中身がなかった。今は、その独特の人生哲学やアイデンティティを確立させ、かなり中身のあるエンターテイナーになってきた。
ところが、かつてガワだけ愛していた、つまり彼の芸術的なビジュアルありきで彼の芸を愛していた人々は、外見の変貌に耐えかねて、どんどん離れていったのだ。
ファンなら分かるが、彼は底無しに懐の深い男だ。
そんな現実でさえ、彼には想定内なのかもしれない。
舞台を見ていると、繊細で臆病に見えて、器の大きい人だと感心することも多い。
彼は、S君が一時的に去っていった後の寂しさを埋めてくれた。
それと同時に、このうえ無く無益で儚くて、楽しい時間を与えてくれた。
都合の良い推しであり、深く尊敬する人だ。
私はSNSのプロフィールにも、鳥肌実のファンであることを明記するようになった。
純粋に好きだから、広めたくて記事のネタにもしていたのだ。
ところが、それが思いも寄らない形で、新たな出会いを呼んでしまうのである。
かねてから視聴していたチャンネルの配信者、D君である。
そもそもの推しは「D君」だったが、彼が発信するものに魅力を感じなくなっていた矢先、彼の方から近寄ってきた話
実のところ、私はこの3人のうち、D君を最も心配している。
彼のチャンネルは視聴者が大変多く(なので、私もD君の記述には、極めて慎重にならざるを得ない)、海外の視聴者も存在し、前述のS君とは比べ物にならないぐらい、良くも悪くも頭の切れる男である。
自分と同じ地元出身だったので親近感がわき、センスのある彼の配信に憧れ、チャンネルがあがってから数年間、ずっと応援していた。
コロナ渦中に配信を始めた彼もまた、鬱々とした日々に楽しみをくれた人だった。
私は時折、自身のことや動画の感想などを一方的に送っていたが、返事をもらったことはほとんどなかった。
一度だけ、たまたま地元にまつわる有益な情報提供ができて、短い返事をもらったことを除けば。
D君も、かつて鳥肌実のファンだったらしい。
鳥肌実のことを追記して更新したばかりの、私のプロフィールを見つけて、突然メッセージをくれた。
おそらく、これまでに交わした多くの視聴者との会話を整理する中で、私を見つけたのだろう。
D君は、ある事情で病んでいるにも関わらず、介護をしていた。
メッセージをもらう少し前に、たまたま彼が住んでいる(と推測される)地域を通りかかったことがあった。
その時ふと、「あぁ、この近くにD君住んでるんだよなぁ。彼の親父さんは大丈夫かなぁ」と、何故か彼の家族について気になったのだった。
何の虫の知らせか、その時まさに、D君の父親は重病に倒れて入院していた。
そういう訳で私は、D君の気まぐれ、というよりは、一時的な心細さの穴埋めに「選ばれた」のかもしれない。
不思議なものだ。
名前も知らない、年齢は同じ年代に思われるし、住んでいる場所もおおよそ特定できる。これが好いと思うセンスも、嗜好も似ているように思う。
それなのに、普通に生活しているだけでは仲良くなれず、人間関係が進展することもなく、互いの時は過ぎていく。
そんな片思い距離の人間関係が、今や動画配信などのツールを介すると簡単に出来上がってしまうのだ。
とりわけファンの多いD君の場合、視聴者との関わりでは、配信者である自分が主導権を握っていたいらしかった。
視聴者が増えるにつれ個人から数にしか思えなくなり、ますますそうなっていったのだろうと察する。
そんな彼の魂胆も全く察しない視聴者もいたが、彼はずけずけと自分から土足であがってくるような人々には、敵意をむき出しにした。
ある時は「配信者」という、立場を使って。
配信者と視聴者には、タレントとファンのような優劣関係がある。
配信者は、自分自身をいくらでも自分の都合の良いように「加工」できる訳で、非現実的な理想の自分に「なる」こと、要するに演出できるのだ。
それを見ている視聴者には一方的な感情が芽生え、不特定多数の視聴者に向けた配信であるのに、今見ている自分だけに向けられたメッセージだという錯覚が簡単に起きる。
数を取りたい配信者はその心理を利用して利益を上げたり、自己顕示欲を満たしたり、視聴者心理を簡単に利用することができる。
昨今は、水商売でも応用され、話題になっている。
それってどうなんだよ!と私は思う。
ただ、カメラとネット環境があって、アプリを駆使できれば誰だって配信できる。配信者だって、普通の一般人だ。
一億総タレント時代ですか!
人の出会いや絆の結び方って、もっとシンプルで単純で素直な形…要するにぶつかり合いで良いんじゃない?
そんな暇な誰かが作ったツール経由の、騙し騙され合いの果てに、本物の人間関係が結べるのかというと、私は甚だ疑問だ。
くだらないし、実にフェアじゃない。
もう、こういうアプリケーションとかアルゴリズムとか、ネットでしか私たちは好きな人と出会えないし、人間関係を結べないのか…?
私たちは、ほんの数十年前まで、人の生き物としての匂い、醸し出す熱量、生理的に合うかどうか、互いの第六感で感じ取って、絆を結んでいたはずなのに……。
そこまで考えると私は、いくらD君とすごく気が合いそうでも、ろくに返事をもらえる訳でもないし、一生出会うこともなければ、直接話すこともできないだろうから、このまま視聴者でいてもつまらないと思った。
そのようなD君のスタンスがわかってくると、彼の配信もあまり肯定的にとらえられなくなって、興味も薄れていった。
彼の配信も段々と、見なくなっていった。
その矢先の、信じられないような出来事だった。
私たちはすぐに打ち解けた。やはり同い年だったのだ。
地元に共通の同級生もいた。
共通する話題も多く、SNS上での会話も弾んだ。初めて出会ったのに、子供の頃からの友達と話しているように懐かしかった。
そして、とうとう、「地元で会おう」という話になった。
病気なのに無理をさせたかな、と思い起こせば少し後悔もする。
急激に、光速か音速ぐらいの速さで、私たちは接近した。
彼もまた、美しい顔をした男だった。
(何とかギリギリ結婚できたと思ったら、急にモテ期みたいに二枚目と急接近できる機会が相次ぐなんて、私の前世は、これ以上ないぐらいの超絶極悪人だったのだろう。
どんなひどい罪を犯したんだろう?
神様にしてみれば、これは最高の罰だ)
やはりSNS上では強がって、仮面をかぶっていたのだな、と思った。
それでも動画の向こうに感じ取っていたとおり、どこか世間を逸脱した、神秘的なにおいのする男だった。
別れ際、私は彼に一抹の不穏なマイナスイメージを感じ取った。
それは、こんなに話が合うしお互いに分かり合えるのに、根本的な部分でどこかかみ合わないような、違和感だった。
『あっ、この感じ…前にもどこかで…いや、まさか…』
私は反射的に、D君の血液型を聞いてしまった。
「…Bです」
ぎくっとしたようなD君の言葉に、私はやっぱりな、という思いと深い絶望を感じた。
なぜならB型は、私の苦手で大嫌いな血液型だからである。
くだらないように思われるかもしれないが、私は今までの人生のかなり重要な節目の度に、B型の友人や先輩たちにお世話になっておきながら、「あいつら意味わかんない。嫌い。ムカつく。才能あるからって常識破って良いと思ってるただの自惚れ。面倒ごとみんな投げつけてくる。大嫌い」と、B型の人ばかり憎み、避け続けてきたのだ。(ちなみに、B型諸君お察しの通り、私はA型である)
彼は彼で、逆に私のような人物に「だからB型とは気が合わないし嫌いなんだよね~!!」とかなじられて、傷つけられてきたのかもしれない。
きっと、私たちはお互いに相手の中に、何か辛い過去や嫌な思い出を重ねて、無意識に蒸し返していたのだ。
私は自分の過去の嫌な思い出を、SNS上で発信し、振り返るようになった。
でも、それ(B型の人たちへの感謝の気持ちを持つこと、差別しないこと、うまく付き合っていかなくてはならないこと)を克服しなくては前に進めないと悟っていたのだ。
すると、D君はSNSの相互フォローをあっという間に外し、メッセージに既読すらつけてくれなくなった。
要するに、SNS上での絶縁をしてきたのだ。
普通にムカついたんだろう、私の言葉に。
もっとも、D君はSNS上一定数をフォローしないマイルールがあるようで、やはり前述のように他者を消耗品のようにしか見ていない可能性もあるが。
こうして、あっけなく彼との縁は切れた。
S君とは違って、たぶんもう二度と会わないと思う。
ちょっと悲しい結末だった。(元は推しだったんで…)
最近になって思うのだが、D君はやはり「カルマメイト」というものだろうと思う。
彼を意識していないのに、ふと強烈に思い出してしまうことがある。それも、あまり良いイメージではないのだ。
だから、これで良かったのだ。
別にD君に傷つけられた訳ではないので、私は彼を恨んではいない。
ただ、D君の向こう側にある私自身の欠点や負の感情を見て、異常な不快感を持つことが多い。
D君の今後の配信は…見ちゃうかなぁ、推しだし。(嫌いじゃないし)
ただ、メッセージを送るのはもう止めとこうと思う。
3人の男【総括】
今、この3人と私はかなり距離を置いていて、一時期のお祭り騒ぎが嘘のようである。
或る者とはもう二度と会わないだろうし、或る者とは再び出会って良い関係性を築くことができる気がしている。
ちなみにこの3人には共通点がある。
占星術上、3人とも同じ星回りの生まれで、私と「業」の関係に当たるのである。
「業」とは、自分の過去に縁のある者のことである。
私にとって、過去とは、本当に因果なもの、めんどくさいものである。
この3人の存在は、障害に渡って私に様々なことを伝えてくれるだろう。
せっかく出会えたのだから、大切にしたい存在ではある。
先日、ほとほと疲れ果てて、死んだ爺さんに、「何で私はこんな人生を送らなきゃならないんだ、もう疲れた」と心の中で語りかけてみた。
しかし私にそんな「生」を与えようとしなかった、認めようとしなかったのは他でもない、「その子を堕ろせ」と言った祖父だった。
爺さんは、私がこんな修羅の道を行くことをわかっていたのかな…。
あの世で聞いてみたいと思う今日より、地獄の釜の蓋が開く。
8月である。