私の«人生の午後»の過ごし方
こちらの投稿を拝読し、私が普段モヤモヤと考えていることを、ここにモヤモヤと書きたいと思います。
オチのある話しになるとよいのですが。
人のゴールは死です。
毎日確実にそこに向かって進んでいます。
多くの人は、そこから目をそらし、考えないように、とか、分かりつつも他人事や遠い将来、、、のように非現実的に考えているように見えます。
そう言う私もその一人でしょう。
しっかりとゴールを見据えていらっしゃる眠り猫さんを見習いたいと思います。
死に向かって、人はいろんなことができなくなっていきます。私も体力的には、人生のピークから降ってきているのを感じます。
赤ちゃんから、何歳頃まででしょうか?人は、努力すれば、がんばれば、達成できたり、上達したり、という何十年があります。でもいつかをピークに、一つずつできなくなくっていきます。もちろん体力的な何かができなくなっても知恵や教養はどんどん増やすことはできるので、何もかもが衰えるというわけではありません。私はあまり«がんばり癖»が好きではありません。がんばれない自分も大切にしています。
がんばれないこと、がんばりではどうしようもないこと、できなくなったことはさっさと受け入れる、それを大袈裟に嘆かない。(私は、膝が痛い、と騒ぎすぎ)
できることの中で、常に新しい挑戦をする。無駄にがんばるがんばる、言わない、がんばらなくていい。
死ぬ、というゴールを悲しみにしない。私は最期、笑いをとるのが夢。
葬式時、みんなが大笑いできる写真をあれこれ準備中。
葬式の時«Namiの旅,写真展»をしたら楽しいかも。
あいつ、こんなことしてたんだ、なんて。
豪快に生き、最期、ああ楽しかったねえ、と自分も満足し、家族にも笑ってもらいたい。
旅好きな私。
旅も疲れます。
仕事の合間、帰宅後に次々の旅行のいろんな算段をしているのですが、時々、めんどくさ、、、と思うことも。
娘に、«いろいろ準備がめんどくさいんですけど» と言うと、«ママの仕事は旅人でしょ» と言われます。
私のもう1つの職業
=旅人、一人旅行社
です。
この歳になると、飛行機に乗れば疲れるし、いろんなトラブルもあるし、外国では日本の常識も通じない、誰を信じていのかも分からず、時差、食べ物もそれほど、だし。
外国には苦労しに行くようなもの、にみえます。
休日は家でゴロゴロしていれば、お金も使わないし、安全だし。家でぬくぬくごろごろ、嫌な人にも会わずのんびりしてるのは極楽。
でも、私は力を振り絞って、自分ができるうちは旅を続けたい。
大学を卒業し、仕事をし始めた頃、辛いことばかりでしたが、若い頃の苦労は金を払ってでもしろ、の昭和的教訓を唱えながら耐えました。今はそのおかげで、お金をもらえる仕事ができるようになりました。
そこそこの年になった今は、苦労が旅に変わっただけ。
お金を払って多少の危険をおかしても苦労しても旅に出る。
今の私のふんばりどころかもしれません。
海外旅行の思い出話は、どんな老人でも記憶が鮮明で、良いこともトラブルもみんな楽しそうに誇らしげに話してくれます。そういう話を聞くのが私は好きです。
私は、たとえ人に聞いてもらわなくとも、自分で回想し、密かに何度もしゃぶり、自分の辿った道を思い出しニヤニヤしたい。
自分の体と頭が動く限り、誰に遠慮することもなく、やりたいこと、自分が信じたことをやたい。
それができる自分の環境に感謝し、思い残すことのない人生にしたい。 残りの人生もわがままに生きていこう。
これが私の人生の午後の過ごし方。
(この日記のオチは、決意表明、でした)