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『菊と刀』を読んで〜外から見た日本を知る〜
皆様、こんにちは。
佐藤黎司(さとうれいし)です。
最近友人に勧められてルース・ベネディクトの『菊と刀』を読みましたので、
感想をシェアしたいと思います。
※文字数の都合もあり、
かなりの部分を捨象しており、
また、個人的な興味関心等により
ここでは触れていない箇所も多々あります。
少しでも興味を持たれましたら、
本をお読みになることをオススメします。
概要
『菊と刀』は、第二次世界大戦中に
アメリカ側が日本という国を知るために
ルース・ベネディクトに研究を委託し、
完成した研究結果です。
当時、まさに交戦中のため、
著者は日本を訪れることなく、
アメリカ等にいた日本人、日系人への
インタビューや文献調査等の手段を用いて
本書に記載されている研究を完成させています。
本書では、どんな孤立した行動でも、
お互いになんらかの体系的関係を
もっているという前提からスタートしており、
個々の事象から、総合的な型を見出そうとしています。
執筆された年代や、著者の主観も含まれており、
納得できない部分もあるとは思いますが、
日本を分析的に扱おうとしており、
外から見るとどのように見えるのか、
自分のルーツを見直すにはオススメの本です!
精神面への帰着
本書は時代背景もあり、
戦時の日本人の振る舞い、報道を元に
議論が開始されます。
日本人の特徴として、
精神面が物質や肉体に対して重視されている、
凌駕することを期待されると論じられています。
武士は食わねど高楊枝などは、
まさにその象徴として語られています。
現代において薄まっているとは思いますが、
やる気や気合という文脈が多く登場したり、
物質的豊かさのみが重視されるわけでは
なかったりするなど、
この文化は生きているのかもしれません。
また、日本にあける「能力」を養う自己訓練は、
能力のみでなく、精神面の「練達」を
求めるという点も指摘されています。
能力をつけるために我慢することは
欧米でもよく行われているものの、
精神的な練達を目的とするところに
日本人の特徴を筆者は感じたのでしょう。
私は野球と合気道をやっていましたが、
合気道はかなり自分と向き合うことがあり、
技の熟練と同じくらいかそれ以上に
精神の練達を目的としていたと感じます。
また、元々日本的な武道でない野球さえも、
単に技術を高めることだけでなく、
部活動を通した精神面の涵養も
目的としている面があるように感じました。
心技体という順番にも示されるように
精神面が肉体や物質に対して
優位であるという考え方は
たしかに根強いのかもしれません。
ふさわしい位置
本書では階級的なふさわしい位置、
あるべき場所、立場が、
重要な観点として語られます。
例としては、長幼や階級などがあり、
根強い敬語文化、年長者への敬いなどは
この影響があるという主張になります。
ガチガチの運動部出身であるとはいえ、
私の年代でも、先輩・後輩という立場は
当たり前のように存在しましたし、
関係性が強くなくても、年齢によって
敬語を使うか、使わないかということが
決まってくるように思います。
時代が違うとは必ずしも言い切れない
日本らしさは続いていると感じました。
義理〜日本人の行動原理〜
本書のテーマの1つとして、義理、恩というものに関して記されています。
義理は正しき筋道、人のふみ行うべき道、
世間への申し訳に、不本意ながらすることと
定義されており、プラスの内容だけでなく、
報復的な意味合いも本書では含まれています。
日本人は義理に従って行動し、
かつその義理は時に矛盾するため、
義理というものが理解できないと、
日本人の行動は一貫性が全くないように見えると
本書では、主張されています。
たしかに、行動を振りかってみると
義理を優先していることはかなりありますし、
義理という概念を一切無視すれば、
論理的には矛盾する行動も多々あるでしょう笑
本書では、時代背景もあり、
戦中は頑強に抵抗した日本人が、
終戦した途端、アメリカ軍を歓迎した様子を
例として出しており、
日本人について、以下のように述べています。
ある一定の行動方針を取って、目標を達成できなかった場合には、「誤り」を犯したというふうに考え、敗れた主張として捨て去る。
また、日本人の行動背景として、
以下のようにも記述しています。
人は自己の行為の結果にとして生ずるあらゆる事態の責任を取らなければならない。そしてある過誤の当然の結果によって、その行為の非を思い知らなければならない。
アメリカ側からすれば、
頑強に抵抗した日本人が協力的になるのは
意外だったのかもしれませんが、
リソースを投じた日本研究が
日本に対する関わり方に大きな影響を
与えたことを強く感じました。
相互的な自己犠牲
義理という観点では、
相互的な自己犠牲という文脈もあり、
以下のような記載があります。
彼ら(佐藤注:日本人)は極端な義務を果たすが、伝統的な相互義務の強制力のゆえに、彼らは個人主義的な、競争ということを基調とする国ぐににおいてややもすれば起こりがちな、自己憐憫と独善の感情を抱かなくともすむ
また、とある日本人の発言として、
以下の発言が引用されています。
いわゆる自己犠牲を行うのは、われわれがそうすることを欲するからか、あるいはそうすることが正しい行ないであるから
giver、matcher、takerという区分がされることが
あると思いますが義理という観点に立つと
takerになるということは義理という
行動原理を無視していることになりそうです。
自己犠牲を欲する、正しいからするという
考え方は社会や組織を円滑に機能させる
日本人なりの知恵なのかもしれませんね。
恥の文化〜罪の文化との対比〜
恥の文化は、恥を知る人が有徳の人とされ、
世評によって行動を決める文化のことです。
罪の文化と対比されて語られるものとなります。
本書では恥を以下のように説明しています。
明らかに定められた善行の道標に従いえないこと、いろいろの義務の間の均衡をたもち、または起こりうべき偶然を予見することができないこと
恥は、教育にも活用されていると指摘しており、
しつけもからかいから始まり、
名誉を守ることを基盤に進めると述べています。
例えば、
「〇〇ちゃんはそんなことで泣いてない」とか、
「〇歳なのにみっともない」などは
恥ずべき行いだと教えることで
しつけを行っているということになるでしょう。
怒られるからやらない、やるという発想も
根本には恥をベースした教育が
存在するからなのかもしれないと
少し思った次第でした。
全体としての感想
川島武宜が記載しているように、
記載内容に対して疑問はあれど、
ここまで分析しようとしたアメリカの
本気度を感じます。
敵を知り己を知れば百戦危うからずと言うように
相手を分析する姿勢は
戦争に限らず必要な教訓を
私たちにもたらすのではないでしょうか。
そして、世界と伍していくならば、
同様の相互理解、分析、交流をする
必要があるでしょう。
本書はまず自分たちを知り、
そして他国の見方を知ることができる本であり、
さらに、他者を理解する必要性という教訓も
得ることができる一冊だと感じました
おわりに
いかがでしたでしょうか?
本書は戦中、戦後に分析されたものであり、
時代的に変化しているものもあると思いますが、
日本分析の名著として、多くの学びが得られる
一冊だと感じます。
日本人の方は日本人だからこそ、
客観的に見つめる機会になると思いますし、
日本に関わる方も日本人の不可思議な?
行動を理解するヒントになるかもしれません!
少し長いですが、ぜひ読んでみてください!!
それでは、また👋