こんにちわ! 母愛に気づくためのカウンセラー のんこです。 年齢関係なく生きづらさを感じている方が多いのでは?と最近とても 感じています。 私が保育園に勤めていた時でも、肉体的だけでなく精神的に辛そうな お母さんたちが多かったのを覚えています。 なぜそうなってしまったのか? 最近の家庭状況や社会のしくみ・情報量の多さ・金銭面などあげたらきりがないですが、一番の原因は母親との関係です。 実際私も母親からしつけと称した虐待を受け続けたことにより、自分で考えるという事ができな
昔の私は子どもに「感謝しようね!」とか「ありがとう言った?」とか偉そうに母親ぶっていました だったら自分はどうなの?と言われたら、「ありがとう」と言葉には出すけど本心から思っていなかったと最近感じ始めています なぜ今その事に気がついたかというと、今まで感謝をしてこなかったという事が感謝したくないような事柄となって私を悩ませ続けていたからです アダルトチルドレンの私からしたら体罰や罵倒としてくる大人になぜ感謝なんかしないといけないのか!わからないのも当然だったかもしれませ
自分がアダルトチルドレンだと認識したのは最近の事 HSPとか過緊張とか毒親だとかそういった言葉を聞くようになったのも最近のような気がします 自分の生きづらさの原因を知る事で環境をかえたり治療ができるようになり、また昔に比べたら世の中の理解度もあがってきているのを感じています 私が子どもの頃はみんな同じでないといけない!人と違った行動とか考えを持つのはおかしいという流れがあったので、学校に行くのがとても苦痛でした また、そういう子どもを「わがままな子」というふうにしか受
以前書いたことがあるかもしれませんが、私の体は怒りで出来てる?と思うくらいこころの中は怒りにまみれていました。 私が両親から受け取りたいものと両親が与えてくれるものが食い違っていてそれに対する不平不満があったのだと思います。 体も弱く活発的に動けなかったことも原因のひとつかもしれませんが、何ひとつ満足したという記憶がありません。 従妹が遊びに来た時母が100円玉を数えていたのですが、それを見た従妹が いいなぁ~とつぶやいたんです。 それを聞いた母が「欲しいならこれをあげ
私の両親に対する恨み辛みは半端ではありませんでした。 こんな人生になったのは誰のせい? あなたたちの言う通りにしてきたのになぜ幸せにならない? 私はもっと違う事がしたかったんだ! あなたたちに私の家庭を壊されたらたまるもんか! などなど… 今考えたら相当親不孝というかひどいもんですね。 なぜそんなネジ曲がった考えになってしまったかと言うと 自分の人生は自分で考えるという事をしてこなかった。 それだけでした。 ただ目の前に出された提案をそのまま受け入れ自分で考えようとも
私は親に依存なんか絶対にしていないと思っていました。 親の資金管理が悪くて借金を作りまくりその負担が私に追いかかってきて破産宣告をしたのに何で私が親なんかに依存してるんだ!という思考でした。 そんな私が親に依存していたという事に気がついたのは目の症状からでした。 私は自然治癒というものに少しこだわっていて砂糖玉というものを摂取する事で自己治癒力で症状を治すという事をしています。 結膜炎かなと思ってそれに合う砂糖玉を選んで取っていたのですが一向に治らず目の分泌物がひどくなっ
自分の本当の気持ちを知りたくてこころの深ぼりを始めました いろんな事が出てきました いじめられた事・親に罵倒された事・虐待された事・同僚から無視された事 男性からもて遊ばれた事 一番上のふたを開けたら苦しかった感情が出てくる その感情と向き合ったらまた一つ次の感情が… もうないだろう!と思っていたら又出てくる 次から次へと、私のこころの中は何で埋め尽くされているのだろう?と思うほど真っ黒な記憶で満ち溢れていました その中で最後まで残っているのが両親との記憶 両親から
高校生の頃何が原因だったか忘れてしまったが母親と口げんかをしたことがあります まだ、その頃は母親に対して反抗するという気持ちが残っていたのを覚えています いつものようにひどい言葉を返してくる母親に対して苛立たしい気持ちが先走ってしまい「そんな事を言うなんてそれでも親なん?」と言い返した事があります その言い返した言葉に対してそれはそれは母親は激怒して、さらにひどい言葉を吐き続け、何かにつけ「それでも親なん?」と言う子はいらん!と言い続けていました 私としては耳をふさぎたく
今まで生きてきた中で達成出来なかった事ってどれくらいあるのだろう?と思った事があります 1度紙に書いたことがあるんですけど、以外に少ないのには驚きました。 ちなみに達成できなかった事は、希望の大学に行けなかった事・好きな仕事に就けなかった事 2点でした (希望の大学にいけなかったのは自分では全く考えずに、親の言う通りに行動したから… 今振り返ってみるとそう思います) もっと達成できなかった事があるだろうと思っていたのでいささか拍子抜けだったのですが、冷静に考えたらここ1年
子どもが泣く それには理由があります 泣くという事はその時感じている感情を全部吐き出すという役割をしています 全部吐き出してすっきりするのです 泣いた後は意外にすっきりしている姿を見たことがありませんか? とかく周囲の大人は泣いている子どもを見るとかわいそうとか、あの親はひどいとか余計な事を言ってくるものです それで、親としてはその言葉を聞きたくないから早く泣き止まそうとする 子どもはその時の気持ちを全部吐き出したいのに途中で強制的に辞めさせられる それでは子どもは自分の
自分と同じような人生を絶対子どもにはさせない!出産した時自分自身に誓いました。 そして、自分がさせてもらえなかった理由 女だからダメだとかお金がかかるとか、向いていないとかそういう理由は考えない。子どもが望んだことを 1回は受け入れようと思いました。 小さい頃はそれでよかったのですが、中学・高校生くらいになると子どもとの距離感が広がり始め私の意見など聞かなくなり、いくら受験に失敗する可能性が高いと言っても頑として曲げようとしませんでした。 それでも伝えなければならない事が
日本が元気でバブルだといって騒いでいた頃、私はまったく正反対の生活をしていました。 親がどこに行きたいと言ったら連れていき、何が食べたいと言ったら買いに行きひたすら母親の顔色を見て過ごしていました。 母親を鬱病にさせてしまった報いというか、それをするのがあたりまえだ!という無言の重圧の中で過ごしていたように思い出します。 そういう世捨て人みたいな中で過ごしているうちに起こった変化。 どうでも良いという思いからおしゃれをしなくなり髪もボサボサ、化粧品を買うお金もないから肌も
この年齢になるまで自分がアダルトチルドレンだとは思いませんでした。 母親が毒親だ!という事は理解していたのですが、自分の事は何も感じていなかったのです。 母親は約30年前に亡くなったので、もうそれで終わりだと… 束縛されることもなく「のりちゃん のりちゃん」と探し回られる事もなく やっと自由になれたと思い込んでいました。 なのになぜ自分も鬱病になってしまったのか? 自分の家なのにくつろげない。いつも何か言われるのではないかと神経を ピリピリさせている。 頑張っているのに