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【共作】行く末来し方仕舞い方 その参 担当・三太

 前回の文章は、依頼主にはかなり喜んでもらえたようである。
 それにしても、私のこのような稚拙な文章をいったいどうしようというのか。
 依頼者そのものも本当に驚くべき人であるようなのだが、その真贋をこちらから確かめる術は無い。
 言われるがままに綴りゆく自分の記憶には、どこか甘い懐かしさと共に、わずかな苦さも伴っている。
 
 
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 大学に6年間いた(お、医学部?! などと勘違いしてはいけない。単なる単位不足による留年である)私は、卒業後にかなり忙しい職(ご存じの方も多かろう)に就くことになる。
 そこから数年間は恋愛やそこに至らぬにしても他者との性的な接触など、それこそ『する暇の無い』ほどの毎日であった。
 それこそ一ヶ月のうちに『休み』などというものはほとんど無く、土日は資金作りのバザーや福祉関係の会議、平日夜も施設利用者への訪問、会議や打合せ、他団体への顔出しなどで、忙しくも賑やかな日々を過ごしていたのだ。
 
 勤め始めておそらく4年ほど経ってからだと思う。
 施設の運営の一定を任されるようになり、少しばかり自分の時間をコントロールすることが出来るようになってきた。
 月に一度か二度は『日曜日に完全に休める』頻度も上がってきていたのである。
 
 そうなると当然のように20代後半の(一応の)若者は、それなりの出逢いと性欲の発露へと意識が向かう。
 最初の文章で述べたように、私には異性との交際をしているときにおいても、自分の性的指向が同性へと向いていることを自覚していた。
 そんな私も、その頃には堂々と街の本屋でゲイ雑誌を購入し、巻末の1/3を占めるほどの多数の広告などを、それこそ目を皿のようにして眺め回していた。
 
 そのような広告を見ていたためか、自分の地元の繁華街にも何軒かのいわゆる『ゲイバー』があることを知っていた。
 ただ、当時は今のようにマスターの顔写真を大きく打ち出すような宣伝がなされているはずもなく、せいぜいが所在ビルの住所と電話番号、簡単なイラストやセット料金が載っていたぐらいのものだった。
 それを見た私は、テレビなどでたまに流れる『ホモ・ゲイ』と結びつけられ刷り込まれていた『おかま』『女装者』などのイメージに引っ張られ、それらのバーの中には『女装したママがいる』と、大きな勘違いをしていたのだ。
 後から知ったことだが、もちろんそのようなところも当時確かに我が地元にも存在してはいたのだが、それはまたゲイ雑誌の読者に来店を求めるのとは違う客層をターゲットにしていたのだと思う。
 
 そんなイメージを持つ中、『自分が思い描く飲み屋とは違うなあ』との思いは募り、ではどこに足を向ければいいのかをさらに探し求めていく。
 
 このあたりがまあ『ゲイ』としての自分の短絡さゆえのことなのであろうが、当時の私は隣県(当時でも政令指定都市であり、ゲイバーだけでも何十軒もあるところ)の、いわゆる『ゲイ向けハッテンサウナ』へと足を運ぶことに決めたのだ。
 
 明日が休みの土曜日。
 夕方前になんとか仕事を終えた私は、当時の特急に飛び乗り、都会を目指す。
 なぜかホテルやそのサウナに『泊まる』ことまでには考えが及ばず、とにかく『同性の裸体』を見たい、触れたいという思いだけが突出していた。
 
 駅に着き、なんとか歩いていけるそのビルへと向かう私。
 周りにちらほらと『普通』の飲み屋もあるその通りはそれなりに車の通りも多く、一瞬の隙をついてビルの中へと入り込む。
 おそらくはゲイ雑誌に載っていた大都会のハッテン場レポートなどを熟読していたせいか、小窓での料金支払い、ロッカールームでの着替え、浴室でのシャワーなどはそつなくこなしたのだと思う。
 
 そしていよいよ2階へと上がる自分は、いかに『初心者に思われないように』と気を張っていたに違いなかった。
 
 今はもう閉めてしまったそのサウナは、1階が受付とロッカールームに浴室、2階に簡単な飲み屋と待合室、3階がミックスルーム、4階が幾つかの個室という設えだったように記憶しているが、飲み食い出来る処は1階だったのかもしれない。
 待合室ではテレビやゲイ雑誌が置いてあり、当然のように灰皿も用意してあった。
 ちらりとそのあたりを覗いた後、本当に『ドキドキ』しながら3階のミックスルームへと足を進める。
 壁際に立つ人がいったいなんのためにそこにいるのか、当時の私には意味不明だったのだが、それはこちらが横を通る度に伸びてくる手ですぐに理解したのだと思う。
 おそらくは『見たことの無い利用者が来た』との電波が館内を駆け巡ったのか、そう『モテる』体型タイプでも無かろう私に、それなりに手は出てきたのである。
 
 初めての発展場デビューであったにも関わらず、『やはり顔を一度明るいところで見てみないと』と思った私は、ミックスルームを出て、廊下に立ち止まる。
 追って出てきてくれたのは、私とそう背格好は変わらない、おそらく当時で40代後半ぐらいに見えた柔和な顔をした人だった。
 
『ああ、この人ならイケる』
 
 という判断を即座に下した私は、柔らかく伸びてきた手を握り返し、再びミックスルームの闇へと戻った。
 そこから先の具体的な話になると、まさにポルノ小説となってしまうので割愛するが、それが私自身の『ゲイとしてゲイの相手との性的な接触』を行った、それこそ『初体験』なのであった。
 
 そこから頻度としては月に一度行くか行かないか、ぐらいであったと思う。
 その『初体験』の人は常連さんだったのだろう。それから2回ほど、そのサウナで会ったような記憶がある。
 その度にそれなりのことを致してはいたのだが、そこまでの会話は無かったように思う。
 
「ありがとう」
 
 コトが終わればその言葉と同時にハグをされ、ポンポンと背中を叩かれる。
 それは決して『ビルの外に関係を持ち出さない暗黙の了解』を示す行為であった。
 こちらも『気持ちよかったです』『また逢えたら』ぐらいの言葉を返していたはずだが、ここでの『また』は約束を示すものでは無いと、当時の私も分かっていた。
 
 そこに行く度に、出来てせいぜい一人か二人。ときには坊主でシャワーだけで帰るときもあった。
 それでも『同性の、男の肌に触れることが出来る』ことの官能は、やはり強烈な催淫性を伴っていた。
 たいがいが夕食を取らずに駆け込んでいたので、深夜にラーメンでも腹に入れていたのだと思う。
 深夜0時前後だったかと思うが、最終の特急に乗って地元に帰る私は、毎回の『満足』と『不満』をごっちゃにしながら、うとうとと暗い車窓を眺めていたのだ。
 
 初めてそのビルのドアを開けてからの一年ほど、両手で数えられるか少し少ないか、それほどの回数をこなしたときだったはず。
 
 私はそのサウナで、人生で初めて『ゲイとして付き合った』人と、出会うことになったのだ。
 
 
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 はたしてこんな文章で相手の人は本当に満足してくれているのだろうか。
 前に送った文には、過剰なほどの褒め言葉とわずかに校正をかけてくれていたのだが、これ(レポート、と言われているのだが)がどこかに掲載されるとはかなり考えにくいものとなってきている。
 次回のやり取りでは、少し修正をかけたほうがいいのではと、こちらから提案したがいいのであろうか。
 少しばかり、悩むところなのであるのだが。

BY 樋口芽ぐむ