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【共作】来し方行く末仕舞い方 その壱 担当・三太

 SNSとは面白いものである。
 私のアカウントでの色々に興味を持ってくれたのか、こんなとんちきなオジサンにも『原稿依頼』なるものを寄せていただくこととなった。
 訳あってどんな方かは伏せておくが、おそらく相手先のことをみなが知ればびっくりするような人。
 なんでも60手前のオジサンの、これまでの恋愛や性遍歴について知りたいらしい。
 それでもまあ、おまんまの足しになるかと、筆を進めてみることにする。
 
 
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 私、三太はいわゆる『シスゲイ』と呼ばれる男性同性愛者であり、すでに還暦を目の前にした(ちなみにこの原稿執筆時、三太は満58才である)中高年の、オジサンともオジイチャンともつかぬ年齢となった。
 この後に述べることとなる私の『ホモ=ゲイとしての自覚』は比較的早かったのではあるが、実際の『同性との肉体的な性体験』は、実のところ30手前であったという遅咲きのオジサンゲイの、『人への思い』の遍歴を、少しばかり語ってみたいと思っている。
 
 
 さて、そんなオジサンゲイは、いったいいつの頃から『自分は(性的に)男の方が好きなんだ』という感覚を持ったのであろうか。
 正確な記憶、というものでも無いのだが、それでもおそらくは小学校の高学年ぐらいから、『男が好き』という感覚を持っていたようだ。
 
 精通もまだ(中1の夏ぐらいであったか)であり性的な興奮と結び付いていたわけでは無かったのでは、と思い返している。
 なんとなくの『絡みたくなる相手が男性である』といったところだったのか。
対象もぼわっとしていて、同じ小学生や中学生あたりだと『子ども過ぎて』(失礼な物言いだねえ)、親や教師の世代だと『年がいきすぎていて』(こっちもまた、失礼だねえ)、なんとなくだが『教育実習で学校に来ていた大学4年生』(えらくピンポイント)あたりが対象だったように思う。
 書いてみて、ぜんぜんぼわっとしてないや、とも思ったのだが、読者諸氏には教育実習は年一しか無いことを頭に置いてもらいたい。
 まあ、『イケる男』を実際に『これだ!』と思う経験そのものが少ない子ども時代を過ごしていたのだ。
 
 そんな男好きの小学生でも、自分が『変』では無いか、とか、『おかしい』んじゃないか、などとは露にも思わぬ毎日を送っていた。
 これは割と後のゲイ同士の会話でも驚かれたりしたのだが、自分はまあ『多数派では無いけども、娑婆にはそれなりに同じような人がいるんだ』との思いがあったせいだと考えている。
 
 私が小学生の頃、テレビでの同性愛者の取り扱いは(取り上げられるのはあくまでも『ホモ=ゲイ』だけではあったかと思うが)、ほぼ『嘲笑される相手』『笑いを引き出すための付加要件』のようなものであったと思う。
 いわゆる『オカマ』『オカマ仕草』のようなものが、その場その場での『笑えるモノ』としての取り上げであった。
 その中で、雑誌やおかまバー等の取り上げが少しばかりあったと思う。
 それを見た三太少年は『自分があんな風に笑われるのは嫌だな』という思いよりも『商業として本や店が成り立っている』というのは、『人口比で一定のそれを消費する人がいることの証左では?』と思う、小賢しいお子様だったのである。
(まあ、そのあたりのメディアによる『刷り込み』は、実は30手前ぐらいまでの自分にも刻み込まれてしまうことになったのだが、それはまた別の項にでも。)
 
 そんなこんなで自分が『ホモ』であることには違和感なく過ごしていた三太少年も、中学高校と年も重ねていけば、自分も周りも色気づく者が増えていく。
 そしてまた、この男は(おそらくはゲイであるがゆえに)一定の女子の層からは(本能的に『襲わない』オーラを出していたせいか)、割と『人気者』になっていた。
 一般的な『男子』の中では、『女子』の顔や体型などが話題になることが多かったが、男好きの自分にはその点に関しての拘りはまったく無く、いかに『人として興味を惹かれるか』で判断していたのだと思う。
 それは一部の『男子』からのからかいの対象でもありはしたが、あまり緊張無く『女子』と喋ることの出来ることに、薄い『羨望』もあったのではと、年を重ねてからは思うことでもあったりしたのだが。
 
 昼休みに萩尾望都大先生の元祖BL漫画の話で盛り上がったり、放課後に某ロボットアニメの同人誌造りに励んだり(当時から文字しか書いてなかったのだが)、そのあたりの雰囲気は周囲の『男子』からは、『異質さ』と『不思議さ』に溢れていたのでは無いかと今にして思うところだ。
 
 高校時代になると部活でやっていた合唱の繋がりで、なんと他校の女子から手紙をもらうことになった。
 それも発表会終了時の見送りの場で、他の団員のいる目の前で渡されたもので、無視するわけにも黙っているわけにもいかないことになってしまう。
 周囲の男子たちからすれば(そういうのが流行っていたわけでも無いために)、ヒューヒューからかわれたりはしたのだが、手紙を書いてくれた真摯さや本人との文学的な興味も重なり、2年ほどは文通を交わしていた記憶である。
 彼女とは互いの卒業後の進路選択の違いで疎遠になってしまったが、今ごろどうされているのかは、この年になれば純粋な思い出として、少し気になることでもある。
 
 大学時代になると、これもまた合唱繋がりで同じ市民参加型合唱団に所属していた同じ大学・学部の女性から、バレンタインデーに『義理じゃ無いからね』とのメッセージ付きのチョコを貰い、付き合うことになった。
 確かチョコのお返しに、綺麗な蝶のオブジェを贈った記憶。
 その女性とはそれなりの関係も出来(察してくれたまえ)、家族への紹介もあり、ぼんやりと『将来は一緒になるのかな』という幻想も抱いていたように思う。
 ただ『ホモである』という自覚が横たわっている自分からは結婚のことは言い出せず、彼女は言語に関しての研究がしたいと異国への留学に出てしまう。
 共通の友人からは『あの娘はズッと待ってたのに、なんで三太君から結婚のことを言い出さなかったのか!』とかなり強くなじられたのだが、もうそれは『済まない』『ごめんなさい』と頭を下げるしか無い自分だった。
 留学後、また別の国に居場所を見つけた彼女は、そこで知り合った男性と結婚したとの風の噂を耳にし、素直に『良かったな』との感想を持った、実に無責任な私であったのだ。
 
 
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 さて、ここまで書いてはみたのだが、読者でもある依頼主の方はこんなもので満足してもらえるのだろうか。
 この後は、まさに私の『今』へと続く男遍歴になっていくのだが、はて、はて、はて……?

BY 樋口芽ぐむ