【共作】行く末来し方仕舞い方 その肆 担当・樋口芽ぐむ
係長に昇進する前の話だ。主任ツノジカは、年間平均気温が怖ろしく低い惑星に、一人で赴任した。惑星の住人らの生活の様子を記録するのである。
一年のうち雪の降らないわずかな時期に、全身に鱗をたたえた住民らが老若男女総出で川に入り魚を獲り、山で果物や植物を狩り、一年分の食料を確保する。村にもどり粗末な家屋に引っ込み、前年に作っておいた保存食を惜しみつつ食べて雪の時期を凌ぐ。凌ぐ間に来年の分の保存食を作る。
そうして一年が経つとまた食料を確保し、再び家屋に引っ込み雪の時期を凌ぐ。そしてその惑星において、知能や文明を有する種族はその者たちだけなのだった。
話し相手のいない環境に不満はなかったが、自分の仕事に対してむなしさはあった。住民らの暮らしが発展することはないだろうし、予期せぬアクシデントが発生すれば大打撃を受ける。けれど、住民らを手助けすることは禁じられている。ケガをして枝から落ちた小鳥を眺めているだけのようなむなしさを、主任ツノジカはときどき感じた。
そんなとき新たに赴任してきたのが新人のアカギツネだった。細身のスーツとネクタイを締めて、すべてに好奇心をたたえた黒目がくるくるとよく動いた。物覚えがよく気配りが利き、忙しい職場ではないが、部下としては申し分なかった。
だが、アカギツネがやらかす。宇宙法律を破ったのだ。あの惑星の住人らに調査隊が接触することは禁じられていた。地球では地球人の性愛事情を調べることが目的であり、接触および性的交流は大いに奨励されているが、あの惑星の場合は禁じられていた。
しかるにアカギツネと来たら、こともあろうに住人らに混じって川に入り一緒に魚を獲っていたのである。キャッキャッキャッキャッ笑いながら。問いつめるとルールを知らなかった由。始末書おおお!
幸いにして生態に大きく影響を及ぼすことはなく、新規採用者のやらかした事案であり、上層部らは事なかれ主義なので口頭注意で済んだ。だが、主任ツノジカは察していた。アカギツネはうっかり住人らと交流したのではない。そんなマヌケではない。大きな罪に問われないと確信して交流したのだ。
しばらくの後に調査が終了し、二人で本部へともどる宇宙船ときめきモンブラン号の中で主任ツノジカは問うた。
「オフレコだが、君は、なぜ彼らに混じって魚を獲った」
「んー」とアカギツネは隣の操縦席で小首をかしげた。「近くで観察していたら、まだ鱗の柔らかそうな幼体がボクに気づきましてね、脳波で『遊ぼ』って誘うんですよ。なんか断われなくて」
「ダメじゃん」
「ダメですよ」
顔を見合わせて笑った。優秀でチャラい部下だが、変に優しいのだ。ときめきモンブラン号が加速して、宇宙の闇に吸い込まれる。
本部にもどって主任ツノジカは係長ツノジカとなり、地球での調査を命じられた。昇進しても現場仕事が中心なのは変わらないのだった。アカギツネも同行することになり、現在へと至る。
で、中野区の築五十年の鉄筋マンションで、いま現在アカギツネが何をしているのかと言えば、ベッドに寝ころびタブレットで怖い話の動画を観ている。視線に気づいたのか、顔を上げて叫んだ。
「係長! こええ! この部屋、事故物件かも!」
築五十年なら事故の三つや四つあるだろーよ、てか仕事サボんな! と係長ツノジカは思ったが、それは口にせず手元のレポートに目をもどした。樋口芽ぐむ氏のレポートである。
1990年代にゲイブームというのがあって、顔を出して多くのゲイが雑誌やテレビや、メディアに出て、現状の改善を訴えたり、存在の可視化に努めたりしたの。
現在のLGBTQ+の状況は、あのブームと無縁ではないね。
俺も影響を受けたクチで、ゲイが集まってムック本を出したんだね。漫画や文学、映画や音楽に詳しい人が、それぞれの得意分野についてゲイ目線で記事を書いて、「ゲイであることは恥ずかしいことじゃないよー」とか「ゲイに生まれてよかった!」みたいな、ポジティブなメッセージを送ったんだよ。影響受けまくり。
で、社会人になった頃かな、遅まきながらゲイバーにデビューして、初めての相手と出会うんだね。
えっと、悪い人じゃないんだよ。人をだまそうとか、利用しようとかの頭はない人。でも、容姿が整って遊び人だったんだね。
遊び人に持ち帰りされて、いや、俺も望んでいたから、お持ち帰りしていただいて、でも、恋愛感情ぬきに抱き合うことは、俺にはまだ早かった。望んで抱き合ったはずなのに、とんでもない罪を犯したような気分になってね。
んー、その頃、俺は車を持っていて、初体験を済ませた朝に遊び人さんを家に送り届けて、で帰り道にコンビニに寄ってジュースを買ったんだけど、なんか罪悪感でボーっとして、ガードレールに愛車の横をバリバリバリと引っかけて。直すのに結構な金額が掛かるから、買ったほうが安いってことで廃車。高い初体験だねえ笑。
その後、別の堅い仕事の人とお付き合いとかするんだけど、長くは続かなかったな。
思いあがってたね。若いから、次の候補はいくらでもいるって高をくくってた。
で、その頃に仕事を辞めて。向かないのに営業職をしていて、チック症状が出たんだよね。顔がヒクヒクしちゃって、もう無理だーって。その頃から物書きになりたくて、退職して。
で、しばらく日雇い派遣とか宅配便のドライバーとかで稼いでいたんだけど、物書きになりたい癖に、何も書けなくて、そのうちに実家の子ども部屋から出なくなるんだね。出るのは酒とタバコを買うのと、エロビデオをレンタルしに行くときだけ。
まァその後も介護施設で働いたり、ちょこちょこと変化はあるんだけど、恋愛は何もないまま、気がついたら三十代半ばになってたんだよ。
ネット文化に基づく言い方なら、「人生詰んだ」って感じ? 実際は、詰まなかったんですけど。