人間は生きていること自体に価値があるもんだ

人間は生きていること自体に価値があるということを考え続けていた。かれこれ10年くらいはそういうことを考えている気がする。でもこの考えは実生活にとってとても難しい生き方のような気がしている。

そもそも何でこういうことを考え始めたかと言うと、職場で非人間的なことをされていたからだ。それは往々にして、どういう社会でもあるんだと思っている。しかもそれが無自覚でされていることが多いからなくならないんだと思うし、それをされた側もしょうがないと思っているんだと思う。というか国がそういうような教育をしているんだと思う。

そういう生活をしているとネットワークビジネスのような話をよく聞く。多くの人が怪しいと言って相手にしないんだろうけど、そもそも話も聞かないで非難ばかりしているのも嫌いだし、話だけならと思って聞いてみた。今では自分の興味と予算的に折り合いがついたところでSEACRETの商品を使っている。

大抵そういう企業の情報を知ろうとするときは、企業理念とかを見ながら考える。そういう時は大抵定型文があって、まず言われるのが社会のために貢献する的な文言が多い。SEACRETもそういうことが書いてあるんだけど、もやっとしていてよく分からないから、自分で補完してみた。

まあよく言われるように、みんなで助け合ってみんなで幸せになりましょう、的なことが書いてあるんだけど、なんでそれをする必要があるのか考えてみた。念のために言っておくと僕自身もそう考えているしそうでなければいけないと思っている。それは僕自身が社会に出てずっと虐げられてきたからだ。

それでネットワークビジネスのことを考えていると、どうにも効率的な方法ではないような気がしてきた。確かに広告料の削減にはなるんだけど、素人が話をして伝えている限りでは、逆に会社の信用を落としてしまうことが多い気がする。そのリスクを冒してまで素人を使うということは、そのリスクを背負えるだけの経済的体力があり、それで多くの人を幸せにできると考えているからかもしれない。要は人間は生きていること自体に価値があり、その価値を最大化しようとしているような気がしてきた。自分でもめちゃくちゃ綺麗事だとはわかっているがそういう捉え方もできそうだ。

そもそも人間に価値があるのはその通りで、人身売買などその典型なんだと思う。もしそれですごくいい人に買われてすごく良い人生を歩む人が多ければ禁止にはならないんだろうけど、そういうことにはなってないから良くないこととされているんだろう。ネットワークビジネスでも同じことが言えると思った。すごく良いグループに入れば良い体験ができて自分の成長とってすごく良い経験になるんだろう。逆に悪いグループに入れば、いらない商品を買わされて嫌な思いしかしないんだろう。そういうのが典型的なネズミ講なんだろうと思っている。

良いふうに考えるとネットワークビジネスの前提は人間には生まれながらにして価値があるということであり、その価値を最大化、要するに人を成長させることにより、持続可能な幸せな社会を作ろうとしている、と考えると繋がりが良い。

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