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感情は見つけるものじゃなくて、見つめるもの

新卒1年目のときに先輩から言われて
印象に残っている言葉がある。
人によっては必要のない言葉だが、
私にとってはとても大きな教えだった。

私は「人と争いたくない」
という価値観を強く持っており、
自分を軽視したり、
犠牲にしてしまうことがある。
ずっと無自覚で、そういう性質があることは
社会人になって気づいた。

例えば、りんごジュースとぶどうジュースが
1本ずつあって誰かと分けるチュエーション
私は必ず相手に、
「好きな方を選んでいいよ」
と言ってしまう。

小さい頃から自己主張が強いタイプではなかった。
好きなジュースをもらえた誰かの喜びの方が
自分の喜びよりすごく大きいように見えて

自分はそこまでぶどうとりんごに
差を感じないから
どっちでもいいやと思うようになった。
今思うと表現が違うだけで本当は、
みんな私と同じぐらいの差分しか
感じてなかったかもしれないのに。

そんな私は典型的な「なんでもいい」を
多用する人種であり、

一つずつの意思決定は些細でも、
小さい頃からずっと
それを繰り返してきた私は、

人といるときに
りんごジュースとぶどうジュースの
どちらを飲みたいのかがわからない
人間になってしまっていた。

(ちなみに意思が全くないわけではなく、
一人でいるなら好きな方を取るだけだし、
人生の大きな選択とされる学校も会社も、
人の意見は参考でしかなく、
自分の意思で決めた。
自分一人のことなら、いくらでも
かかってきてくれて構わない。)

学生時代は、
「他者が好きなものを選ぶことを選んでいる」と意味のわからないことを考えて
自分を正当化してすらいた。

そんな自己分析の入り口にも
達してない私だったが、
なんとか就職することができ、
晴れて社会人になった。
社会人になって、
最初に受け入れ担当だった先輩は
振り返りの時間をとってくれていた。

先輩はいつも
「その仕事をしてどう思った?」と
私に聞いてきた。
好きなジュースがわからない私は
「仕事をどう思ってるんだろう?」と
首を傾げていた。
なんでそんな質問をするんだろう
とすら思っていたかもしれない。

その先輩の元から離れるとき、

「感情を見つけられるように頑張ろうと思います」

と言った私に先輩は

「感情は見つけるものじゃなくて、見つめるものだ」

と伝えてくれた。

確かに、感情なんて
自分の中にしかないんだから、
どこかから見つけることなんて
できるわけがない。

そうか、私も好き嫌いが
本当にないわけじゃない。
確かに少しだけ、
普段はあまり飲まないぶどうジュースに
憧れがあるかもしれないと思った。

先輩があんなに何回も
気持ちを聞いてくれていた理由が
今ならわかる。

会社には色々な仕事がある。
社会には色々な機会がある。

国語数学理科社会みたいに、
全部をやることはできないし、
仕事も機会も選ばないと色々難しい。

逆に全部ができる必要はなく、
自分が選んだことを楽しくできたらいい。

案の定、私は自分が好きな仕事を
見つけるのにとても時間がかかった。

大体、良さそうな仕事はみんながやりたい。
やってみたいと思う仕事にも、
周りに遠慮して全然手を挙げられなかった。

しかも、やりたい仕事の解像度も低くて、
1on1で上司に伝えることすらできなかった。

わからないならとにかく行動しようと、
みんながやらない仕事に
手を挙げてやってみたら
人気がないだけでなく
全然自分に合わない仕事だったこともある。

自分のやりたいことに素直で
しっかりと周囲に伝えられる人と比べたら
たぶん随分遠回りをしてきた。

そんな私もこの春から社会人5年目。
正直、今も仕事を選ぶことには
苦労している。

どうやら、感情を見つめた後に
人に伝える部分にハードルがあるようだ。

でも、私は、自分の中で
その仕事が好きか嫌いかには
正直になれるようになった。

色々な経験をして、好き嫌いだけでなく、
得意苦手についても解像度が上がってきた。

先輩の教えを飛び越えて、
あと少しだけ前に進みたい。
5年目はキリのいい数字だ。
きっと自分の過ごし方次第で転機になる。

感情は見つけるものじゃなくて、見つめるものだ。
感情は見つめるだけじゃなくて、伝えるものだ。

大切にしている教えに、
自分の言葉を足して、
色褪せることなく、
大切にしていきたい。

そしていつかは、
この言葉が似合う人になって
後輩に伝えられたらいいなと思う。

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