浅倉彩の自己紹介 2022年10月ver.
こんにちは!起業家の浅倉彩です。
この記事では、私という人間と起業について、3つ要点を挙げて自己紹介します。では早速。
私は情報を解放することで新しい世界を生み出す編集者です
2022年9月に起業家デビューする前、私は14年間フリーランスの編集者として仕事をしてきています。メディアの立ち上げやPR・ブランディングなど色々なプロジェクトに参画してきましたが、やってきた仕事はすべて、情報を解放することで「新しい世界」を生み出す営みだと思っています。
情報は、埋もれ、散らばり、気づかれずに閉じ込められているものです。だから、掘り起こし、集め、気づかれやすいところに置きます。そうすると、必ず誰かに届きます。
受け取った誰かの世界は、少しだけ確実に変わります。変わる確率は100%。変わった後の世界は、新しい世界です。
編集者は、意図的に解放する情報を選び、誰かの世界を変える”事”に”仕”える仕事です。とても地味な仕事なので、しもべのような気持ちです。
どんな感じでフリーランスとして、編集者として成長してきたか、HOWについてはこちらも読んでくださいますと嬉しいです。
人は生まれつきを選べない。だから私は「違う」から始めたい
先ほど、「編集者は意図的に解放する情報を選ぶ」と書きました。解放する情報を選ぶことで誰かの世界を変え、その先でこの世界を「自分が思う今より少しいい世界」に変えたい。起点には自分がいます。
では、私はどんな世界にしたい意図で解放する情報を選んできたかというと。
意図の根っこには「人は生まれる時に持ってくるものを、どうしようもなく選べない」という悲しみがあります。
私が2歳半の時、双子の妹が生まれました。一卵性で同じ遺伝子を持つはずの2人でしたが、1人にだけ知的障がいがあります。わたしは、できるようになる可能性の幅が狭い妹をあたり前に愛しみ、時に普通に喧嘩もしながら大きくなりました。
一方で、言葉を話し出すのが早かった私には能力の面で期待がかけられ、5才の小学校受験から偏差値教育が始まりました。子どもの頃、私が何かしたいと思うより前に、たくさんの「やるべきこと」や「できるべきこと」が用意されていたように思います。
「やるべきこと」「できるべきこと」に適応しているうちに、私は「男に生まれればよかった」とたびたび口にするようになりました。この絶対に実現しない妄念は、中学生くらいから20代いっぱいくらいまで続きました。
「孫の中で一番賢いから男だったらよかった。」祖母の言葉に象徴される「いろいろできても女だと。。。」という社会通念と「できること」を期待されるダブルバインドに縛られ、しかも、同じ家族の中にはできなくて当たり前だけど愛する妹がいる。
女性に生まれたことも、IQ高めに生まれたことも、妹に障がいがあることも、親の価値観も、私の人生に大きく影響していますが、私は何も選んでいない。誰もの人生が、選んでいないところから始まっていることを、私は今も強く意識しながら生きています。
選んでいない資質や環境が、今あちらこちらで素晴らしいこととして語られる「多様性」の源泉です。10年ほど前に取得したこのnoteのアカウント名「human diversity」も、つまりは「みんな違う」って言いたいんです。
「選べない悲しみ」と「みんな違う」を根底にもつ私にとって、「今より少しいい世界」のために「解放する情報」は、同じ興味を大量に集めるメインストリームにはありません。
メインストリームにない、または、まだなっていない「違うほうの」ものごとの中で、価値があると思うものを見つけたときに、私の中にエネルギーが発動します。
私の幸せは、自己決定と一体感です
違うのが当たり前。「違う」から始めたいのに、日本の「社会における重要な意思決定の場」は、国会も内閣も取締役会も部長会も中高年の男性ばかりです。
おかしい。このメインストリーム、バグってる。
エネルギーが発動するのはこんな時。価値を見出すのは、メインストリームの対極でオルタナティブとなりえる「意思決定に関わる能力をもつ女性」です。
だから「社会の意思決定における女性性密度を高める」をビジョンに掲げて起業するのですが、これにはもうひとつ理由があります。
「違う」からこそ「自己決定」すること。そのうえで、「違う」ままで「一体感」を得ることが幸せだと思っているから。
わたしは自分で決める力を持つことが幸せをつくると信じています。自分で決めた道の上だからこそ、出会えた誰かと一緒の気持ちになって、一体感を得られた時に至福が訪れると。
だから、「意思決定をする能力を持つ女性」を増やすことは、おじさんばっかりのバグ修正と同時に、幸せな女性を増やすことでもあると考えているのです。