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宇治の抹茶は本当に美味しいのか?外国人の買い占めに踊らされるなよ。

 宇治の抹茶が外国人に大人気であるらしい。海外のインフルエンサーが広めたこともあり、抹茶アイスや抹茶パフェなど、抹茶がつくものはなんでも飛ぶように売れるという。

 抹茶は簡単には育てることができないらしい。生産者は、抹茶の人気が高まることによって、粗悪な製品が出回り、結果として抹茶への評価が下がるのではないかと危惧していた。

 外国人のほとんどは抹茶のことなんて何も分かっていない。インフルエンサーが広めてインスタ映えがよくてバズっているだけで、そのうち飽きられるだろう。バブルはじきに弾ける。

 ものの価値の水準は消費者の期待に沿う形で向上する。それが社会主義ではなく資本主義のよいところだ。価値を理解しない者が消費者の大半を占めれば、そのものの価値は当然劣化していく。

 別に抹茶のことを悪く言うつもりはない。抹茶生産者も頑張っているのだろう。しかし、抹茶人気はバブルであることは理解すべきであると思う。

 抹茶の品質の低下以上に心配されることは、抹茶の価格が上がることにより、日本人の手が届かなくなってしまうことである。

 白馬のスキー場に群がるのは外国人ばかりである。もう日本人は寄り付かなくなった。価格が高くなることによって、貧乏な日本人には手が届かなくなったからだ。

 これにより国内のスキー・スノボ人口は減少傾向を辿るだろう。価値は同じなのに価格が上昇すれば、別の趣味が選好されるだけだ。

 抹茶も同じ運命を辿りかねない。日本人には高嶺の花となったとき、日本の抹茶文化は廃れ始めるだろう。

 フランス・パリのルーブル美術館に外国人観光客が殺到するようになってから、フランス人は二つの反応をした。美術から遠ざかるか、外国人を遠ざけるか、の二つである。

 日本人も抹茶から、スキーから遠ざかるだろう。一方、外国人を抹茶やスキーから遠ざけるだろうか。そこまでの余裕は日本にはないように思われる。

 それは日本の経済力が相対的に衰退した結果でもあるし、日本人の人の好さの結果であるようにも思う。

 日本が海外に比べて相対的に豊かであった時期はそれほど長くはない。戦国時代にはポルトガルやスペイン人が日本人を奴隷としてアジア各国に売り捌いた。

 明治維新後も、いわゆる「からゆきさん」として売春のためアジア各国に渡った女性は多くいたし、北米・南米に向けて多くの貧しい移民が海を渡った。

 日本人はいま、文化を安売りしている。そして、企業の理論に従えば、日本の文化を高く買ってくれる外国人に売ることは理にかなっている。

 しかし、いずれその担い手は減っていくだろう。インドの繊維産業を大英帝国が破壊したのと、構造的には全く変わらない。外国人の購買力が日本を侵食しているのだ。

 排外主義を唱えているわけではない。持続的に自国の文化の価値を高める術を考えるべきではないかと問うている。

 年始に京都を訪れた。四条烏丸から錦市場を通って四条河原町を過ぎ鴨川を渡った。そこでもう嫌気がさした。人が多すぎる。

 私は京都出身だ。高校時代は通学のためにこの界隈を毎日通った。しかしもう、愛着を感じられなくなっている。

 京都の市営バスは料金を値上げするとともに、京都市民には無料パスを配ってはどうだろう。

 タクシー料金だって一般料金と市民向けのものと2通りあっていいと思う。

 ICOCAなど電子マネーが流布したことにより、技術的には容易になっている。

 街が今後も発展し続けるために大切なのは、外国人観光客ではなく、地域住民だ。これは前後関係を踏まえれば、差別や排外といったものではなく、ものの道理であることは理解できるだろう。市民なしに観光客は存在しないのだから。

 あるいは、一部の海外の観光地に見られたように、疑似原住民の恰好をさせた見世物を提供するようになるのだろうか。

 バブルに湧く抹茶業界の報道に接して、何かを見失っている気がしてならい。

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