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バニシングツインの生き残りの私 双子妊娠#3
バニシングツイン
双子妊娠には双子ならではのリスクがある。その一つがバニシングツインだ。
バニシングツイン(双胎一児死亡)
子宮内で双子のうち一人が亡くなった場合、妊娠初期(妊娠6-8週)には、死亡した胎児が子宮に吸収され消えたように見えること。
胎盤を共有しているMDツインで発生する確率が高く、一児が死亡した場合、そのあともう一児が死亡する可能性も高くなる。
私はこのバニシングツインをとても恐れていた。ただでさえ不安な妊娠生活なのに、もし片方だけいなくなってしまったら?という不安がずっとつきまとっていた。
なぜなら私自身がバニシングツインの片割れだったからだ。
バニシングツインの片割れの私
37年前、私の母は4人目の子どもを妊娠した。2人目と3人目は流産だった。そして4人目の妊娠初期、また大量出血があった。母は「またダメかも」とショックは受けつつ、すぐに産院に行くと「妊娠反応はあるが出血がひどく流産になる、処置した方が良い」と言われた。母は諦められず、別の病院に行った。
その病院でも「妊娠反応があるが出血がひどい」と同じ診断だった。しかし、そこでは「入院して経過を見てみよう」と言われ、すぐに入院した。そこで胎児の生存が確認され、母はそれから半年間入院生活を送る。最初のころはトイレも行けず、看護師に世話をしてもらわないといけなかったため本当に辛かったと言っていた。ポータルトイレを使ってよくなったとき、どれだけ嬉しかったか!とポータルトイレの思い出を熱く語られたことがある。
妊娠中も出血は続いており、医師には「子どもは生まれるかもしれないが、障がいが残る可能性が高い」と言われた。夫婦で話し合ったとき、父が「障がいが残っても構わない、二人で育てよう。」と言ってくれたことで出産を決めたそうだ。
私の父は気性が荒く、パワハラ上司という言葉がぴったりの男なので、大人になるまであまり仲が良くなかったが、この話を聞いて父を見直した。
妊娠8か月、もういつ生まれても大丈夫だと言われ、母は退院した。そして出産予定日近くまで自宅で過ごし、妊娠40週で出産した。出産のとき、羊膜がもう一つ出てきたそうだ。おそらく双子を妊娠しており、一人が亡くなって、吸収されてしまったが、その子の流産のためにずっと出血があったのだろうと結論付けられた。
生き残った私は無事に生まれた。心配された障がいもなく、元気に37年生きている。
母が妊娠初期に諦めていたら、父が障がいが残っても育てようと心を決めていなければ、私はいなかったかもしれないと思うと感慨深いものがある。そしてバニシングツインの生き残りの私がまた双子を妊娠し、出産したことには運命的なものを感じてしまった。
でも、妊娠中、バニシングツインは私には身近なリスクだった。バニシングツインの片割れがバニシングツインを起こす、なんとも稀なケースではあるが、生殖医療において今まで稀なケースしか引き当てていない自分には起こるような気がしてならなかった。
誰にも言えなかったけど、ずっとそんな不安を抱えていた。