#16 死産 子宮内胎児死亡、出産の日
診察室で
「ああ、やっぱり・・・」診察台でボロボロ泣きながらそう呟いた。昨晩一晩中、ただの気のせいだと言い聞かせていたが、本当は最悪の事態を想定していたように思う。エコー検査を終えて、夫に電話をし、夫が病院に来るのを待機室で待った。医師からの説明は夫が来てから聞くことになった。その間に母に電話した。母もショックを受けたようだったが、「その子の寿命だったんだよ、いっぱい泣くしかないよ。」と言った。
死産
夫が到着して待機室に来た。3人目の子どもを喪った。急に申し訳ない気持ちになって「ごめん」謝ると、夫は「あなたのせいじゃない、謝らないで」と言った。
医師が来て説明を受けることになった。胎児は週数に比べて小さいこと、亡くなってから何日か経っているだろうこと、原因は現段階では分からないこと。そして、死産となる22週の赤ちゃんは分娩しなければいけないこと。6日程度入院が必要になること。もう少しお腹に赤ちゃんを留めて一緒に過ごしてもいいが、母体への感染があるため、長くは一緒にいられないこと。
私が「もっと早く気づいていたら、赤ちゃん助かったんですか」と聞くと医師は「大きさから見て、おそらく助からなかったと思う」と答えた。
医師からの説明を聞いた後、入院日を翌日に決めた。早く富士ちゃんに会いたかった。それから、病院で共同火葬、共同供養する先を紹介できると言われ、そのままお願いすることにした。
入院
翌日、入院する前に診察と子宮口を広げる処置を受けた。そこで今回の状態は子宮内胎児死亡であると告げられた。処置を受け、また待合室で待機するよう言われた。無意識のまま、ソファにうなだれて居ると、看護師が車いすをもってきて、病室まで連れていかれた。4人部屋をひとりで使うようで、窓際のベッドのに案内された。
入院当日の夜に1回、翌日2回、子宮口を開ける処置をし、入院3日目に娩出をすると説明を受けた。
地獄のラミナリア
子宮口を開ける処置は悲鳴をあげるほど痛かった。処置内容は子宮頚管内にラミナリアという棒状のスポンジを挿入するというものなのだが、これを何回かに分けて12本入れるという。入院当日の午前中の処置は少し痛いな、くらいだったのだが、2回目からは悲鳴をあげた。人生で経験したことのない痛みだった。拷問に近い。看護師に痛みを逃す方法を聞きながら毎回なんとか処置を終える。
娩出の日
娩出の日は夫が付き添ってくれることになった。朝、陣痛誘発剤の点滴が始まる。初産のため、娩出が夜までかかる可能性があり、進まなければ、再度ラミナリアを入れなければならないと説明を受けた。
8時
陣痛誘発剤投与開始
8時半頃
陣痛が始まる、助産師が来て、体の力を抜いて痛みを逃してと教えてくれたが、できそうもない。陣痛間隔が短くなったらまた呼んでくださいと言われて、しばらくは夫と2人になる。この時点でずっと痛い、間隔ってどういうこと?と思ったが、初めてのことでよくわからなかった。途中から、病室のトイレ内におかれたポータルトイレに座っている姿勢が一番痛みがましだと気付き、トイレにずっといた。どれくらい経ったかわからない、夫が「トイレに行って来る」と外から声をかけて来た
すぐ後、陣痛が収まったようになり、何かが出てきたような気がした。触ってみると何か出ている。慌ててトイレの緊急SOSを押すと助産師と看護師が何人も病室に飛び込んできた。「ご主人どこ?!」と誰かが聞いたが夫はトイレから戻ってきておらず結局病室に戻って来られなかった。
「ここで産もう」と助産師が言って、病室ベッドで出産の準備が始まった。あっという間にベッドに運ばれて出産が始まる。「もう頭が出てる、いきんで」と言われ、下腹部に力をいれると、あっという間に富士ちゃんが産まれた。富士ちゃんの姿は見えないようにされたが、助産師が「臍帯が何重にも首に巻き付いてる」と言った。そのあと、胎盤を出すためにもう一度いきんでと言われていきむと胎盤が出た。私のお産は終わった。
胎内に組織が残っているか確認するため、診察室に移され、医師の内診を受ける。組織を掻き出す必要があるので全身麻酔をします。と説明を受けて、全身麻酔が点滴された。すぐに腕がピリピリして意識が遠のいた。
富士ちゃん とびっきり可愛い男の子
8月25日午前10時24分、妊娠26週5日
体重566g、身長30cm、頭囲21cm、胸囲18cm
死産