日本の中小企業研究史において、英雄と呼ばれるべき人物を一人あげるとしたら、山中篤太郎 (1901-81) になるだろう。山中の主著は、間違いなく1948年の『中小工業の本質と展開』である。戦前の中小企業研究はすべてここに流れ込み、戦後の中小企業研究はすべてここから流れ出す。
山中は、「国民経済構造論」と言うべき立場を確立した。中小企業はそれ自体として論じられるべきではなく、国民経済構造の矛盾が顕現したものとして論じられるべきだという立場である。すなわち、山中の言う中小企業論とは、中小企業という窓を通して日本の経済構造を論じることであった。
以下に示した文章から分かるように、山中の理論的な基盤はマルクス主義にある。しかし、だからと言って、彼が共産主義者だったわけではない。彼が議論を展開するうえで、歴史性も含めて経済社会の全体を視野に収めるためには、マルクス主義の概念を用いるしかなかったのである。
それにマルクス主義の概念は、山中の問題意識とよく合致していた。山中が問題としていたのは中小企業の「隷属性」であり、その再生産であった。マルクス主義が退潮となった現在においても、山中の問題意識そのものは重要性を失っていないのではないだろうか。
一般に「学問史」と言えば、それはテクストの歴史である。すなわち、書かれたことの歴史である。しかし、〈書かれなかったこと〉の歴史としての学問史も可能なのではないだろうか。価値中立的とは言い難い、むしろ経済政策を裏付けるものとして政治性を自覚していた中小企業論においては、テクストに潜在する価値観に焦点を当てることが必要なのではないか。
この試みは、明らかに中小企業論を逸脱している。それはまさしく歴史社会学的な試みであって、社会学者が取り組むべき課題である。ところで、〈書かれなかったこと〉を追跡した歴史社会学研究の金字塔は、小熊英二の『〈民主〉と〈愛国〉』で間違いないだろう。小熊が「戦後思想」に潜在する心情の歴史的展開を追跡したように、私は「中小企業論」に潜在する価値観の歴史的展開を追跡してみたい。
以下、山中篤太郎『中小工業の本質と展開』からの抜粋である。ただし、旧字体は新字体に直し、歴史的仮名遣いは現代的仮名遣いに直した。