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非支援の対応とピア活動(前編)

※2020年度と2021度の2年間、メールマガジン『ごかいの部屋~不登校・ひきこもりから社会へ~』のバックナンバーから厳選した100本の掲載文(コラム)を転載してきましたが、2022年度からは『ごかいの部屋』掲載文にかぎらず過去に書いた文章を毎月1~2本、時系列に転載することによって私の自称 “体験的不登校・ひきこもり論” の進展をたどりながら理解と対応の参考にしていただけるよう進めています(執筆時から年数が経っていることで修正する場合があります)。

※2022年度からは「原則として2年前までの文章を転載する」という方針で更新しており『ごかいの部屋』掲載文にかぎらず30年余り前の文章から選んで時系列に転載を進めてきました。そして現在はおもに2年前の文章を掲載しています。そこで今月は、おととし9月に配信した『ごかいの部屋』の掲載文を転載します。

※毎年9月恒例の不登校・ひきこもり等関係団体合同祭り「フリ・フリ・フェスタ」での出し物(トークライブ=写真)実施を終え、『ごかいの部屋』の創刊20周年記念イベントを翌月に控えた時期に合わせて執筆したものですので、それを今の時期に合うように書き換えるなど修正を施しています。そのため多少の違和感があるかもしれないことをあらかじめご承知おきください。

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メールマガジンのキャッチコピーは非支援的

 おととしの9月は、翌月に『ごかいの部屋』が創刊20周年を迎えて記念イベントを2日間開催しました。
 
 同メルマガを広報するための案内チラシには、創刊数年後から次の3つのキャッチコピー(売り文句)を記載していました。
 
*子どもの不登校と大人のひきこもりに共通する心理とは?
*「復帰への支援」と「人生の幸せへの支援」はどう違う?
*本人が望むプロセスとそれを叶える周囲の見方と対応は?
 
 記念イベント2日目、おととし10月9日(日)午後に開催した「第1回ヒュースタ超会議」の第1部では、この3つの売り文句をご説明したのです
が、本稿はそれに先立ち、私が同メルマガに綴ってきた “体験的不登校・ひきこもり論” について「支援」「非支援」のふたつをキーワードに振り返りったものです。ご参加くださった方には“ 予習” になる内容だったと思います。
 
 前年に配信した253号や6月に転載したした262号の論稿では「学
校/社会の側に立つか本人の側に立つかで理解の仕方が正反対になる」ことをご説明しましたが、今回は「学校/社会の側に立つか本人の側に立つかで対応の仕方が正反対になる」ことをご説明します。

支援思考とは何か

 私はつねづね「支援と非支援」という言い方をするのですが、これは「支援するかしないか」ではなく「支援思考であるかどうか」を表すものです。
 つまり私としては、家族や関係者の意識が「支援」的であるかどうか、ということを考えているわけです。
 たとえば、前記の売り文句で言うと2番目の「復帰への支援」は支援的であり「人生の幸せへの支援」は非支援的である、と言えます。
 
 具体的に説明しましょう。
 
 私の意見では、支援的な意識とは「本人を学校/社会復帰させようとする、あるいは本人を成長させようとする意識」です。
 このふたつに共通しているのは、不登校/ひきこもり状態を問題と捉え、問題を解消することを解決とする発想です。
 
 このように本人を見ている家族や関係者は「本人は通学/通勤している人より「弱い・劣った・未熟な」人間だから、通学/通勤している人のレベルに引き上げてあげよう/ステップアップさせよう」という “垂直(下から上へ)思考” をもとに “上から目線” で対応します。
 
 6月に転載した論稿で使った表現で言うと “縦軸の思考” です。
 たとえば「本人が学校/社会復帰に関係ないことをする(横に動くだけ)のは無意味。上へ向かうことをしないと」といった感じ方です。
 
 多くの支援機関はそのような発想で支援システム(階段型)を設計しており、また多くの家族はそのような発想で本人に対応(学校/社会復帰をめざして対応)していることは、これまでもお話ししてきました。
 
                           <後編に続く>

不登校・ひきこもりに関する研修費に充て、相談支援のスキルアップと充実したメルマガ掲載文執筆に還元させていただきたく、よろしくお願い申し上げます。