「人生は楽しくなくていい」
イントロダクション
いきなり告白することでもないだろうが、私は筋金入りのネガティブ人間である。「人生、マイナスが7割以上」であると子供の頃から思っていたし、時折良いことが起きたとしても「次はきっと悪いことが起きるに違いない」と根拠のない不安にとらわれてしまうのだ。
とにかくまあ、「やればできる!」、「努力は必ず報われる」などのポジティブワードをついつい疑ってしまうぐらいにはネガティブ思考がしみついた人間なのである。
「楽しさ」こそが人生を追い詰める
ここまでネガティブな妄言を吐くと、すぐさま、反射的な反論が返ってくるかもしれない。
「人生は楽しいほうがいいじゃないか」と。
確かに、ほとんどの人間にとって、人生は楽しいほうがいい。いや、私にしたって本音をさらけ出せば「人生は(できることなら)楽しいに越したことはない」と思っている。
しかしながら、中には「楽しさ」によって人生を弄ばれ、追い詰められていく人間がいることも忘れてはならない。
非リア充、不登校、3年で退職する若者たち……これらはすべて、過剰な(楽しさ)の裏返しだ。
学校は楽しいはずだ、会社はいつでも自分の居場所であるはずだ……そう思い込んでいる、あえて言えば幻想に取りつかれているからこそ「そうではない世界」がいざ目の前に現れた時、その現実にたじろぎ、なす術もなく押しつぶされてしまうのである。
人生は楽しくない、むしろそのほうが自然だと最初から割り切っていれば、現実とのギャップに思い悩む必要もない。それどころか、現実が平坦であることそのものに喜びを感じられるかもしれない。
「何と消極的でもったいない生き方だろう」と、ポジティブ信者はバカにするだろう。あるいは、心からの憐みの目で見られるかもしれない。
けれど、それでいいじゃないか。
(楽しさ)を追い求めることができないのなら、「苦になること」を取り除く人生を選べばいい。
「どうしてもやりたいこと」はなかなか見つからなくても、「これだけはやりたくない」ということなら、案外すんなりと思い浮かぶのではないだろうか。
明石家さんまが教えてくれたこと
「人生は楽しくなくていい」ことを教えてくれたのは、明石家さんまだった。
明石家さんまというと四六時中騒がしくて病的に明るい「ポジティブ人間の権化」であるように言われているが、私にはどうも「究極のネガティブ人間」であるように思えてならないのだ。
百歩譲って明石家さんまはポジティブ人間であったとしても、その核心である「杉本貴文」は未だにネガティブで、暗い人間なのではあるまいか。
母親との離別、弟の死……明石家さんま、いや、杉本貴文は人生の中で幾多の困難にぶつかってきた。そして、人生のどん底を見た杉本貴文はネガティブな思いを封印し、「明石家さんま」という着ぐるみに身を包むことを心に誓ったのである。
彼の座右の銘である「生きているだけで丸儲け」も、「生まれてきたこと以外に楽しさなどあるはずはない」という諦めの裏返しだ。
日本一の陽キャは、究極のネガティブ人間なのである。
明石家さんまだけではない。同じく「お笑いビッグ3」の一角を占めるビートたけしもまた、シニカルかつネガティブな視点で人生をとらえている。
「人生に期待するな。努力や苦労に見返りがあると考えるほうがバカげているんだよ」
いかにも(逆説の天才)らしい、ペーソスに満ちた名言である。
期待するから裏切られる。報われるだろうと思っているからこそ、それがかなわなかった時に打ちのめされ、さらなる虚無へと突き落とされるのだ。
人生は楽しくなくていい
ポジティブ信者からどんなに説得されようと、私の思考回路は変わらない。私はもう、楽しさを素直に喜び、未来に期待するだけの気力をなくしているのだから。
せめて、「ネガティブ思考によって救われる人間」がいるということも知っておいてほしい。
今はただ、それだけである。