留置所での生活を振り返る

前回「高校卒業式の数日前に逮捕された話」の続きから。

時系列やエピソードが結構バラバラなのは申し訳ない。俺もよく覚えていない。なんかぼんやりとした夢の中にいたような気もする。でも現実だけどね。

というわけで正式に逮捕されて留置所生活が始まった。まずは2日間、それから勾留延長で10日間。合計12日間だ。

で最初の2日間と延長の10日間は別々の警察署の留置所だった。
まずは最初行った留置所から。でもこっちはあまり印象に残っていない。

留置番号は1号室11番。 
まず、留置所内に入るに当たって身体検査がある。全裸にされ、ケツの穴まで見られる。ちんこの皮の内部まで探られる。マジで恥ずかしいわ(笑)
当時、筋トレしてて脂肪もたっぷりプロレスラー体型で80キロあったから。身体検査のときにおっさんに褒められた(笑)
「おお!柔道やってる?」って。
喜ぶ余裕もテンションもなかったが…
それと当たり前だが、ベルトやフード付きの衣服などは自殺防止の観点から禁止。

留置所内は全体的に薄暗く陰鬱とした空気が漂ってる静かな空間。
不気味すぎるくらい静かで空調の音だけが唯一の生活音。それと時々看守のコツンコツンという足音が印象的。
部屋は畳でトイレは汚い。うんこする姿も見られるのが恥ずかしい。
そしてとにかく暇。頭おかしくなるくらい暇。
やることと言ったら弁護士との面会か。取り調べ。たしか最初の2日間は親は来なかったと思う。だからこそ親が何を考えているのかが分からなくて非常に気持ち悪かった覚えがある。

そんな中、国選の弁護士さんが訪ねてきた。弁護士と話すなんて初めてだったから緊張した。
面会室の重いドアが開いて"ブーーン"とサイレン音。
中に入ると髪をバッチリ固めた凛々しいおっさんがいた。彼が俺の弁護人らしい。
やっぱ話してみて思ったんだが、仕事だから当たり前だが弁護士さんって淡々としてロボットみたい(笑)。目も冷たい。検察や裁判官の考えを読んでそこを事前に対応するような常に頭をフル回転してるからというのもあるだろう。
ただ当時18の世間を知らない俺にはそんな職業の人との会話は強烈で、世の中や法的世界の奥深さを感じた。だからそれが世の中を知る第一歩になったのかもしれない。

あとは取り調べ。時系列順の出来事を話して、その時の意思を明確に話す。俺が持ってたのは刃渡り12センチの剣鉈だ。護身用ということはそれで誰かを殺る意思があったのかかなりしつこく聞かれた。
それから家宅捜索もされた。現に俺の部屋には腰鉈や他のナイフ。ボウガンがあったので押収された。(ボウガンは規制される前)
早く釈放されたかったから、それらすべての所有権を手放しますという署名をした。

特に印象に残ってることがある。
警察官に両親のこと好きかと質問された。
俺「嫌いです。父は母と僕をDVしてよく酒飲んで暴れます。」。
俺「母に関しては僕を生んだから嫌いです」
と本音を話した。

母の事に関しては警察官はよく意味が分かってない様だった。
ただ特に親父のことに関しては詳細まで全てぶち撒けた。後々知ったんだが、その2日後くらいに親父はDVのことで調書取られたらしいwwwwwwww。ざまああ!!
実はほぼ同時期に親子で取り調べあってたっちゅうねwww
という感じ。

後はとにかく暇、やることないしシコっても見られるから嫌だ。
あと、捕まった時の所持金から買い物できるんだがとりあえず歯ブラシと歯磨き粉買ったかな。たしかお菓子も買えたんじゃないかな。
飯は1日3食。朝はパンと牛乳だったかな。ほぼ給食みたいなチョイスで結構良い。お腹いっぱいにはならないが十分美味しいし有り難いな。

あとは"牢屋"と聞くと鉄格子を想像する人が多いと思うが、実際はキメの細かい金網である。通り抜ける隙間もない。

お布団はぬくぬくで寝心地が良い。
夜はもちろんなかなか寝付けない。昼間取り調べくらいしかやることないし、なんなら昼間うたた寝でもしてると夜寝れない。
でもいい感じの常夜灯が眠りに導いてくれる。

確かその時、「明日には釈放されるだろうか」、「釈放されて家族に会ったらみんななんて言うだろうか」なんてこと考えてたな。 

送検の記憶はあんまり覚えていない。ただおっさんに取り調べと同じ内容を話しただけ。
家裁では裁判官と少し話を質問される時間があったんだが、こいつはむかついた。偉そうで態度もでかいし殴りたいクソみたいな顔してる。顔そのものがゴミだった。
家裁での待機時間でもそこの牢屋に入ってるんだが、そこの壁には色んな名前が掘ってあった。
色んな歴代のガキが泊がついたくらいに思って名前を残しているのだろう。
そこに中学の同級生の名前があって笑ってしまった(笑)


んで家裁を経て結果"勾留延長"10日間。
やっぱ裁判官ってクズみたいな職業だ。てめえのさじ加減と気分で判断するっちゅうね。

勾留延長の理由は、「家族関係に葛藤を抱え、かつ精神が不安定。そしてまだ取り調べが不十分であるから」
みたいな感じだったと思う。

家族関係に葛藤←まあ、俺が両親嫌いって言ったから分かる。
精神が不安定←逮捕前に署のトイレで自殺未遂したからね。分かる。
まだ取り調べ不十分←なにが?

というわけで10日間を別の警察署の留置所で過ごすことになった。
7号室15番だった。
こっちのほうが印象に残ってる。かなり長く感じた。

飯は3食美味いし、頼んだら看守のやつが温かいお茶を淹れてくれる。病院にあるような半透明の汚いコップに渋いお茶。茶柱がいい味を出してる。とにかく暇だから看守の奴と雑談もした。
んで、ぶっちゃけ取り調べは6日間くらいで終わってあとはとにかく暇、取り調べ室で雑談。ゲームの話をした。
担当の警察官がニンテンドーマニアで熱く語ってた。

朝はおっさんの「起床ぉぉぉ」という声で目が覚める。
部屋の掃除やトイレ掃除、普段の片付けしたら飯が食える。
それから点呼。
朝食後は新聞が読める。当時読んだニュースで印象に残っているのはアゼルバイジャンとアルメニアが戦争になったことだ。
かなり衝撃を受けた。紛争ではなく国家間の戦争が起こったことをリアルタイムで知れた。ベトナム戦争、中東戦争など国家間の戦争は俺が生まれる前の出来事として落とし込んでいたから。

昼にはラジオが流れる、印象に残ってるのは桜が咲いたとか、卒業式がどうのこうのって言ってたことかな。
壁と網に囲まれたとこにいるのに春という季節が伝わってくる。とても良いラジオだった。

あとは暇だから寝るかノートに何か書くか面会を待つしかない。

俺はノートを買ってやってみたかったことをやった(笑)
当時、俺は映画「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」を観てその情緒に浸ってた側面もある。
というか中3から毎年2月末にはその映画を観るマイルールが出来てた。

んで半ば遊び心?少しふざけてみてノートに連合赤軍、森恒夫の遺書をそっくりそのまま書いてみた(笑)

1年前の今日、なんと暗かったことか___
___初めての革命的試練、跳躍のための。

何故か覚えてしまっていたから(笑)。多分分かる人はいないと思ってふざけてみた。というか雰囲気に浸る、ごっこ遊びをしたかったのかもしれない。

まあそんなこともありましたと。

あとは夜飯食ってまたラジオかな。
で、あとはお布団敷いて寝るんだけど。やっぱなかなか寝れないから眠剤貰える。

あとまだ未成年だったからか優遇して貰えて風呂は一番風呂。結構いい湯。窓から差し込む外の光が美しく見えた。

あとは健康診断的なのがあったりした。よくわからなかったが。

で、面会なんだけど最初は両親揃ってきた。DV親父と奴隷女がね。
そこでの話はよく覚えていないが母が泣いていたのを覚えている。

ほぼ毎日母は来てくれたんだけど毎回涙ぐんでた。
そこで内定取り消された事を知った。
一部上場企業の高卒枠をね。
この時の絶望感は凄まじく、心が頭かわからないが何か強烈な衝撃が走った。心臓が破裂しそうなくらい伸び縮みしているのが分かった。


ただ、高校の卒業証書は担任が独断で家まで届けてくれたらしい。成績は学年で10番以内で良かったし、割と表では真面目キャラだったから。気に入られてたのかもね。

でも内定取り消された事に対して絶望して、死刑にしろや!!!って面会室で放った。
そしてらまた泣いてたな、母ちゃん。
それから面会室内にいた看守が後に俺の房まできて俺を叱ってくれた。

看守「お前さっき、なんて言った?死刑にしろ?たかが銃刀法で逮捕やろ?たかが内定取り消されただけやろ?。まだ18やろ?今からでも余裕でやり直せる。」

看守「その一例がホリエモン。昔捕まって実刑くらったけど今普通にやり直せてるじゃん。」

って感じのこと言ってた。一期一会だがまだ未熟な小僧にこういう叱ってくれるおっさんがいてくれたことを幸せに思う。


最終日近く、母はいつも通り面会に来てくれた。

母「ここでたら何食べたい?😌」
俺「焼肉😔」
看守「フフッw😁」
母「うん☺️一緒にご飯食べようね😉」
ぼく「😭」

こんな感じだった。

留置所の金網ってマジで焼肉の網とそっくりだから常に焼肉をイメージしてしまうのよ(笑)



あとは留置所に差し入れをしてもらうことができるんだけどもちろん検閲は入る。

俺は差し入れに当時ハマってた漫画、なるたるを頼んでみたらマジで持ってきやがった(笑)。検閲で止められたが…
でも看守の一人に元なるたる読者がいて、話が盛り上がった。
後に親父も母もなるたるの内容を知ってこの本が俺の犯罪性の原因だと決めつける愚かさよ。


そして3月1日かな。一番最初に卒業おめでとうって言ってくれたのは弁護士のおっさんだったっちゅうね。


そしてそんなこんなで10日間が終わり家裁行って釈放が決まった。長かった。
釈放されて手錠も腰縄も外され、体を拘束されるストレスから解放されたときの嬉しさ。
それから外の綺麗な空気の味を今でも覚えている。やや春の香りを感じるやや冷たい風。


全てが0、もしくはマイナスになった状態で社会人数日目がスタート。帰る勇気も無かったし、家族親戚にどう顔向けするのか。内定取り消されたし、仕事も探さなきゃいけない。そもそもその時はまだ判決も出てない(結果は保護観察)。
もう高校生ではない。釈放されて気づいたら子供という立場ではなくなっていた。

でも、考えるべき目の前の現実が山積みだが。迎えに来てくれた母と二人で家に帰った。車の中で話した内容まではあまり覚えていない。


でもあのときの母の瞳には俺はどう映っていたのだろうか。





















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