24時間テレビのあれこれに対しNF型チックに斬り込む
ここ数年、24時間テレビの様々な問題がネットで流されるようになりそれに伴う批判が増えた。私もあの番組には子供の頃から不快感と疑問しか無かったが、それと同等で不快なのは着服問題等の問題が発覚してから金魚のフン、袋叩きのように24時間テレビを知ったような顔で批判している人間だ。今回は私が24時間テレビが不快に感じる理由、構造的問題、それに気づかず"ノリ"で批判する人間の気持ち悪さについて述べていく。
1.無意味すぎる企画
そもそも論になるが24時間テレビの内容自体、チャリティーを謳っているにも関わらずチャリティーの役割を果たしているとは到底思えない。その番組のためだけに障害者が企画に挑戦したところで当事者の生活が楽になるわけでもなければ障害に理解のある社会にするために人類全体でどうすれば良いか考える啓発にすらなっていない。ましてや芸能人がマラソンを走るのと障害者が何の関係があるのか全く意味がわからない。
本当にチャリティーをやりたいのなら人文系の大学教授や学生らを主体としたディスカッション等を行う方が余程有意義だ。頑張る事が偉いなど反日共らが労働の義務だの納税の義務だの私腹を肥やすためにほざいているのと何ら変わらない。なぜやりたくも無い事を頑張らなければならないのだ。そんな事で人々に本当の意味で感動を与えられると本気で考えているのだろうか。その押し付け具合が心底気持ち悪い(石直球)。
また、ごく稀に24時間テレビ擁護派の意見として「芸能人がマラソンを走り頑張っている人の姿を見せる事で人々に感動を与えるのが目的だ」というものがあるが、これも的外れだ。むしろ頑張っている姿を見せられる事で「頑張っていない自分はダメだ」と考える人も多いだろう。私からすればそもそも頑張る事が偉いとは思えない。確かに本当に好きな事ややり遂げたい事は頑張って取り組まなければならないが、そうでない事まで頑張る必要は無いと思う。そういう意味で私のようなグータラ人間からすれば今の時代は好きな事以外頑張らない生き方が望ましく、頑張るのが偉いという価値観は40年前の「24時間働けますか」の時代と何ら変わっておらず時代遅れであるように感じるのだ。考えない人間は終わってる等と普段ボロカス言っている筆者だが、何だかんだ人間は生きるだけでも頑張っていると思う。今の時代はゆっくり霊夢達の「ゆっくりしていってね!!」これが正しい。
結局のところ、最初から募金や寄付以外の内容が全くと言って良いほど慈善事業になっていない事、頑張っている障害者はカッコいい、輝いているという風潮、障害者にしろ芸能人にしろ何かに挑戦するシーンを見せて感動を与えるというのが脳筋的、これらの番組全体や出演者から伝わる雰囲気・時代遅れの根性論など根本的部分からあらゆる部分で間違っているのだ。
2.叩かれているものは叩いていいという風潮
ところがこれらの問題を無視して芸能人のギャラがどうとか中抜き問題がどう等の的外れな批判をして知識人ぶっている人間がネットには非常に多い。特にヤフコメ、X(旧Twitter)でよく見かけるが、番組の制作費用が無駄とか芸人の企画のヤラセがどうとか問題の本質と全く異なる点において批判をひけらかしている。そのくせ「以前からあの番組は気持ち悪いと思っていた」等と知ったかぶりをする。あれらのSNSはとりあえず意見をマジョリティ寄せに書いておけばたくさん高評価がもらえるため、「叩かれてるものは叩いとけ」という安易な考えでコメントを書いている人間が多い。だから問題の根底にあるものやそもそもの問題は何なのかを見ようとしない。そのくせ偉そうに知識人ぶっている所が不愉快だ。
断っておくが私もあの番組について全てを知っているわけではないし、昔から不快に感じていたから偉いとか言うつもりは毛頭無い。ただ「叩かれてるから叩いてもいい」的な空気や24時間テレビの本質的な問題について全くと言っていいほど触れず細々とした問題で批判しその上知識人ぶるのは間違っていると言いたいだけだ。
まとめ
ここまで私が考える24時間テレビの問題やネットで見かける考えない批判者に対する疑問について書いたが、要点をまとめると
・チャリティーが目的であるはずの番組がその目的を果たせていない
・「とにかく前向きに頑張る」というポジティブ一辺倒のノリや頑張る人が偉いという風潮、気合いだ、根性だ的なノリがそもそも時代遅れで感動を与えるどころか自己否定感を与えている部分がある
・これらの問題を顧みず芸人のヤラセや制作費用、募金問題等を批判し知識人ぶる人間がネットに多く疑問と不快感を感じる
の3点となる。制作サイドも結局番組を盛り上げるのが目的と化しているため本当にチャリティーが目的なのであれば現在障害者が抱えている社会問題は何なのか、障害者を含め人類全体が生きやすい社会にするにはどういう事が考えられるか、今一度原点に立ち返って考えて番組を作ってもらいたいものだ。また、自戒を含め視聴者サイドも問題の根底に何があるのか、本質的な問題は何なのかをよく考えた上で情報発信しなければならない。