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やはり人間の本質はその人の子供時代にある


この前こんな記事を書きました。

 類型論の各診断を受けた方ならご存知でしょうが、この手の診断はペルソナとかこれまでの価値観にどうしても引っ張られる部分があり、たくさん受けている人ほど理想像や一度固まった自己のイメージに囚われがちになりその点に注意する必要があります。そこで私が思いついたのが「子供時代の自分を思い出して回答する」というものでした。記事に書いてある通り子供時代なら社会の影響を受けていない「本質的な自分」により近づけるというのと、あくまでも過去の自分なので今の自分として答えるよりは客観的に見て答えられるというメリットがあると考えています。
 また、小説家というこの方の記事にも「大人は赤ちゃんが背伸びしているに過ぎない」と書いてあります。

 これを言い換えれば、生まれたての自分こそが本当の自分であり、そこから年月が立つほどあらゆるものの影響を受けそこから遠ざかるという事になります。だから極論を言えば乳児の頃の自分を思い出して回答できれば良いのですが、それはほとんどの人が無理だしその時何をどう考えてどう行動してたかとか乳児期なら尚更わからないですよね(^^;;もし乳児期にそんな記憶のある人はそれこそ宇宙に選ばれし者でしょう。そこでできるだけ乳児に近い幼児期、小学生頃を思い出すのがベストな回答法と言えるわけです。20歳頃までの自分がどうだったかで回答するエニアグラムはまさにこれに近い手法を使っているわけです。
 中には幼少時代挫折など辛い思い出があり思い出したくないという人もいるかもしれません。しかし、敢えてそこに踏み込む事で本当の自分を知り今後の成長に繋がります。他の方の記事でも言われていますが自己分析とは本来自分の嫌な部分も直視しなければならないしんどい作業だと思います。それを嬉々としてやってるんだから私は真性のドMなのかもしれませんね(^^;;元々悩むのが好きという変な性格なのもありますが。
 よく「難しく考えるな」とアドバイスをくれる人がいますが私はそれができないんです。できないというかやりたくないだけかもしれませんが…(^^;;逆にそれを意識しないようにしようとすると余計意識してしまうので、じゃあ何かいい案浮かぶまで悩んどこうか…という感じで。悩むって「何とかしたい」と思っているから悩むわけで、解決を諦めていないからこそできる事だと思うんです。どうにもならないと思っていたらそもそも諦めて悩んでいないと思うんです。自分がこんなに本来自分の嫌な部分も見なければならない自己分析や性格診断が好きなのも、自分を何とかしたい、自分を変えたいと思っているからやってるんだと思うし。
 話が逸れましたが、この手法はあくまでも自分の好き嫌いやペルソナをできるだけ外して回答する手段の一つに過ぎません。それで皆様の自己理解の助けに少しでもなれたなら幸いです。それにしても引用させて頂いたこのまふゆさんの記事すごいですよね。人類愛に満ちていて完全に達観しているというか。これぞ悟りの境地というやつなんでしょうね。自分はそこに辿り着くまで相当時間がかかりそうです…(^^;;

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