獨逸語事始(どいつごことはじめ)1
義務教育で始めた英語ではなく、自分の意思で始めた最初の外国語はドイツ語だった。ふつうは大学の第二外国語で始めることが多いだろうが、気まぐれで高校の2年くらいから独学で始めたのだ。何か強い動機があったわけではないが、ひとつには英語の成績があまりよくなかったので(具体的には高校3年間で5段階評価の3しか取ったことがない。そんなヤツでも語学教師として食べていける程度にはできるようになるので、今高校生の人も成績がよくないといった理由であきらめないでね)、気分転換、というよりむしろ現実逃避みたいな意味合いでドイツ語を始めた。
ではなぜドイツ語だったのか。通っていた高校はふつうの都立高校だったが、わりと進学に力を入れていて、毎年数人は現役で東大に受かる生徒もいた。3年のクラスは国立・私立、文系・理系という希望進路に合わせて科目が選択できるよう分かれていて、私は最も理系よりのクラスにいた。大学では好きな数学でも勉強できればと考え、どんな分野があるかいろいろ調べているうち、前原昭二、野崎昭弘といった人の本を読み、集合論や数学基礎論という分野が面白そうに思えてきた。その中に出でくるヒルベルト、ゲンツェン、ゲーデルといった名前がことごとくドイツ、オーストリアの人だったため、将来ドイツ語でものを読むのだろう、と漠然と考えたのだ。
語学は最初に教わる教師が大事、とよくいわれるが、独学の場合もどの本で始めるかは大きい。たまたま手に取った『わかるドイツ語 基礎編』の著者常木実は大正2年生まれ、昭和13年東京帝国大学独逸文学科卒業という昔の人だったが、教室での語り口を生かしたようなちょっと饒舌でくだけた説明が印象的だった。それでドイツ語は好きになったのだが、結局大学では選択せずに独学で続けた。
当時大学から駅までの帰り道、何軒もの古本屋に立ち寄って店頭の均一本を買い漁るのが楽しみで、中には三冊100円、あるいは一冊20円、30円などというものもあった。その中で見つけたのが Neues Deutsches Lesebuch と表紙に書かれた薄い本で、めくってみると「改訂 大正獨逸語讀本」と日本語の表題がある。発行は初版が大正5年、この本は昭和4年発行の25版。著者は谷口秀太郎、故 山口小太郎となっている。発行所は東京市本郷區東竹町三十三番地、日獨書院。「凡例」を見ると「獨逸國教育界におこなはるゝ獨逸語讀本は、其種類極めて多しと雖も、要するに内地人兒童用と外國人用書との二種に區別すべし。」で始まり、今の人には中身のドイツ語を読むより難しいかもしれない説明が続く。本文のドイツ語はすべてドイツ文字、いわゆる亀の甲文字で、最初の数ページは手描きの美しい筆記体で例文が書かれている。おかげでドイツ文字の筆記体も活字体も覚えてしまった。
今思えばこの本が古い言語に対する興味を持つ、あるいは抵抗なく入ってゆくきっかけのひとつを与えてくれたのかもしれないが、その後古典語の学習に大量の時間を費やすことになるとは当時まだ思ってもいなかった。
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