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△クリニックのM先生☆

数年前、小さな山あいにある病院のM先生が、ご病気で亡くなられたと看護師さんから連絡があり、これからは山を下りた本町のほうの、◯☓病院に行って下さいと母は言われたそうです。
母は私にM先生が亡くなったんだって!と言ってショックを受けていました。
私も同じくショックでした。
それでも、それからは◯☓病院に通うようになりました。
車で20〜25分くらいかな?遠くなったために、病院へ行くのも結構、おおごとになってしまったのです。

それまでは地元の山あいにある病院(以下△クリニックとします。)に、通っていたため近くて何かあると診てもらっていました。M先生は、デスクの上に家族写真を置いていつも静かに地域の人々を診察していました。時間があると待合室の患者さん達をじっくり眺めている先生でした。田舎なものですから何かと話題になりヤブ医者だのなんだのと言いながら、みんな、お世話になっていました。咳が酷くて自分で車を運転して△クリニックまで行ったら気管支炎だったり、娘がノロに感染して夜中に7回も吐いた時も徹夜で看病して次の日に眠らずに車を運転して△クリニックに行って点滴をうけたり、家族でインフルエンザの予防接種に行ったり何かとお世話になっていました。風邪で胃腸炎になった時も母が高血圧になった時も娘が調子の悪い時も、いつの日も△クリニックのM先生に、お世話になっていたのです。
優しく診察してくれた先生でした。
地元にあったのでとても気軽に通っていました。
他の地元の方達も同じだったと思います。
私も本当にお世話になりました。

今、◯☓病院に通うようになってから、
しみじみと△クリニックのM先生の有り難みを感じています。
母は、△クリニックがあった頃は、なんだかんだ助かっていたねと呟きます。
また誰か代わりにお医者さんが来てくれないかしらね……と。
具合いが悪くても自分で車を運転して行ける距離に病院があることは本当に便利で心強かったです。そしてM先生の志を今更ながら感じています。
山あいの小さな町のお医者さんになってくれたM先生が、どんな思いで患者さんを診てくれていたかを……。
有り難い事でした。
亡くなられて初めてどれだけM先生が貴重な存在で△クリニックに助けられていたかを思い知るのでした。
大きな総合病院のお医者さんも有り難いのは同じですが僻地の小さな町の先生の有り難みもよくわかり大きな存在となりました。
M先生には本当に感謝しています。
分け隔てなく町のみんなを診察してくださった事、忘れません。
本当に、ありがとうございました。
またM先生のようなかたが来てくれたらなぁってみんな言ってますよ。

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