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あの水面が見えるのならば

 風が丘の表面をやさしく撫でている午後、柔らかな草の上に私達は座っていた。西の方を見遣ると、光を反射させてキラキラと輝く水面が見えた。海だ。海の青と空の青は混ざることなくそれぞれに美しい。なんて穏やかな日だろうか。
「こういう日を分け合っても惜しくない人と一緒に過ごせる日々を待っていたんだ」
「私も」
より肺の深くまで呼吸が入ってくるような感じがして、気持ちが落ち着くのがわかった。両脚を伸ばして身体を楽にさせる。
「よくある質問をしてもいい?」
伸ばした足の上に、そばの草から跳ねた虫が乗っかってきた。じっと動かずに止まっている様子を見つめる。
「いいよ」
虫は触角だけをくねらせて、私の足の上で落ち着いている。
「生きるとしたら、宇宙と海とどっちがいい?」
「それは…」
虫がもぞもぞと歩き始め、服の上とはいえ少しのくすぐったさを感じていた。
「自分として?それとも、別の生き物として?」
くるぶしの辺りから虫はまた別の草へと居場所を移した。
「どちらでもいいよ。それも含めて聞きたいだけだから」
「宇宙がいい。地球の誰も知らない何かになって、誰にもわかったふりされずに生きる」
伸ばしていた両脚を折り曲げて、再度身体の方に引き寄せた。
「海にも、誰も知らない何かはたくさんいるよ」
「そうだけど」
「僕は、このままの2人で、海で生きていきたい」
彼は私の左手をしっかりと握りしめた。
「このままだと苦しいよ」
笑いながら言うと、彼も笑った。目尻の皺が、いつものように美しかった。
「海が変わればいいんだよ、綺麗なところはそのままでさ」
「何それ、そういうこともありなの?」
笑っていると自然と握る手に力がこもる。
「ありでしょう、なんだって」
そうか、変えられないと思っていたものを変えてもいいんだ。私たちが変わることなく。
そういうことに気付かせてくれる人なのだ。
日が傾き光の角度が変わる。
彼の顔や身体に落ちる影が、形を変えていく様子をいつまでも見ていた。

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