コラム14 「先生が執刀してくださるんですよね?」
だいぶ論文紹介も一息ついたので(あとは進行中のプロジェクトばかりなので)、しばらくコラム記載が続きます。
「先生が執刀してくださるんですよね?」
長く外科医をやってきて、こう言われたことのない医者は少ないかと思います。
特に日本においては、外科医は手術だけをするのではありません。術前の外来、検査、IC(インフォームドコンセント)から関与し、術後のフォローも行っていきます。
僕の専門とする小児外科では、場合によっては産まれる前から赤ちゃんに異常を指摘され、妊娠中の母(と夫を含めた周囲の皆さん)への説明からしていくことも往々にしてあります。
そうして人間関係、信頼関係を築いた上で手術になる。
特に我が子を手術してもらう…となったら、これまで説明してくれた医者に執刀してもらいたいという気持ちはとてもよく分かります。
僕が医者2-3年目くらいまでは、手術の説明をした後で
「先生が執刀されるんですか!?(上司じゃなくて!?)」
と何度も言われたものですが、
医者20年目を超えた今となっては
「先生が執刀してくださるんですよね?(期待の目)」
となるのが嬉しいやら困ったやら…という感覚です。
外科医の実力なんて外から見て分かるものでもないので、外来でしっかり信頼関係を築けたんだな…と思って嬉しい反面、僕ばかり手術を執刀しても部下が困ってしまうのです。
正直に言うと、現在僕が執刀(術者)をする手術なんて、年に20件前後しかありません。
ほほう。難しい手術ってそれくらいの数なのか…と思うかもしれませんが違います。
本当に経験が大事で、これは部下の医局員に執刀は無理かも…なんて手術はほとんどありません。年に1回あるかないかでしょう。
じゃあどんな手術を執刀するか。
社会的責任が重い患者さんとか、すっごく長い付き合いの患者さんとか、夜間に僕が当番で呼び出されて手術の説明をして、そのまま手術をする患者さんとかですかね…。
なぜそんなに執刀しないのか。
当たり前ですが、もうやる気がなくなったわけではありません。
大きく2つの理由があります。
最も大事な理由は、部下を育てるためです。
外科医は手術をしないと上達はしません。
僕も最初の頃は「先生が執刀されるんですか!?」と言われながら、(これで合併症なんて起こせない…!)と気合を入れて練習・イメトレを重ねて手術に臨み、上達してきました。
僕ばっかり執刀していては、部下の手術のウデは上がらない。
僕もいつか定年で辞めますから、その時部下は手術できません…では意味がありません。
そして、小児外科医には純粋に資格によるランク付けがあります。
小児外科というのは、「外科医の上にある資格」です。
ドラクエで言うところの上級職です。戦士と僧侶を極めるとパラディンに転職できる…みたいな(ゲーム脳)。
小児外科になる人は、全員この流れで研修を行っていくわけです。
医者になった後に外科修練登録を行って研修を開始し、350例以上の様々な手術を経験します。
そのうち120例は執刀しなくてはなりません。
そして更に試験に受かると、外科専門医になります(現在日本に2万人)。
その後、小児外科専門医、指導医を目指していくのですが、そのためにも多くの執刀経験が要求されます。
もちろん激ムズな試験にも合格し、研究して論文も書かなくてはなりません。
小児外科専門医は現在日本に600人強。
指導医は100人強とされています。
あ、ちなみに以前もどこかで書きましたが、どんなに頑張って超上級資格をとろうが、日本では一切給料には反映されません。
ああ、恐ろしい。
日本にたった100人強の小児外科指導医。
その指導医全員が手術がメチャクチャうまいかどうかは知りませんが、かなりやる気のある人たちであることは伺えます(僕も指導医の1人です。えっへん)。
そりゃあ、自分の子どもが手術を受けるとなったら、指導医の資格持っている医者に手術してほしくなりますよねー。
わかります。その気持ち。
でもですね、先ほどのチャートを駆け上っていくためには、実際問題多くの執刀をしなくてはならないわけで、もう指導医の資格を持っている医者が執刀しても意味は全くないわけです。
(まあ、指導医の更新のために5年で100例の執刀が求められますから、意味が0なわけではないんですけどね。僕が年に20件前後執刀すると先ほど書いたのは、このためでもあります。)
だから、執刀はなるべく部下にしてもらわなくてはならない。
しかも、小児外科の病気というのは何千人に1人というレアな病気ばかりですから、勝手に経験が均等になるわけではありません。
「誰がどの手術の執刀経験が少ないか」を考えながら、割り振っていかないといけないわけです。
ということで、僕は患者さんの親御さんに「先生が執刀してくださるんですよね?」と言われたら、「僕は指導医なので、手術で指導をするのがお仕事なんです。一緒に入って責任もって指導します」と素直にお答えしています。
ちなみに余談になりますが、先ほどどんなに頑張って超上級資格をとろうが、日本では一切給料には反映されませんと愚痴を言いましたが、更に日本では誰に執刀してもらおうが手術の点数(支払額)には一切関係ありません。
海外では、当たり前のようにランク付けがあります。
専門医に執刀してもらうには追加料金。
指導医に執刀してもらうには更に追加料金。
腕のいい美容師さんにカットしてもらうのと同じですね。
正直当たり前のことのように思いますが、国の方針としてこれがない日本は「平等という名の不平等」の国だと言えます。
これは決して僕が追加料金をもらいたいから言っているわけではなく、こういうシステムでは結局のところ外科医になって上を目指していく人がいなくなっていくから、憂慮しているわけです。
ちょっと話がそれてしまいましたね。
僕が執刀をあまりしないもう1つの理由。
それは衰えですね。
人間40台前半くらいが最も手術が上手くなると僕は思います。
現在そこを通り過ぎていますが、絶対に衰えはやってきます。
若いころほどの集中力が保てなかったり、力のかけ具合に繊細さがなくなっていったり。
そういう面はメンタルコントロールでなんとかなるかもしれません。
しかし、目の衰えというのはいかんともしがたいものがあります。
実は人間の手先の器用さというのは、ほとんど目に依存しています。
世の中には多くの「精密技巧」を要求される工芸品や芸術品の数々がありますね。
そういうのを見て、「ほへぇ~、人間ってこんなに精密に作ったり描いたりできるんだー。器用だなぁ」と思いますね。
アレはもちろん技術もものすごく関連していますが、見えないことにはできません。
逆に、ものすごく高精細な顕微鏡があれば、たいていの人間は精密な操作をすることが可能です。手術用の顕微鏡を使ってちょっと練習すれば、素人でも米粒に文字を書くくらいはできるわけです。
手の動きというのは、特段自分を器用だと思わない人でも、ものすごく繊細に動かせる能力というのが備わっているものなのです。
その、大事な大事な目の機能が、50歳前後から衰えてくるのです。
もちろん経験がものを言う分野も多くありますから、そうそうすぐに「若い人より手術が下手になる」ということはありません。
しかし、60歳が近くなってくると、更にとっさの判断力なども低下してきます。
いつかは「あの人、いつまで執刀するのかな…」なんて陰で言われる日がくるかもしれません(怖)。
運転免許と同じですよー。
老人ほど「まだバリバリにできる!」と思っちゃうんです。
ほーら。これを読んでいると、「あまり年寄りには手術されたくないな…」と思ってきたでしょう。
もしあなたが患者で、「この人に執刀してほしい!」と思う指導医の医者がいたとして、その人が「みんなでします」とか僕みたいにはぐらかしたとしても、ぜひ「えー…」と残念にせず
「分かりました。先生よろしくお願いします」
と言ってあげてください。
本研究内容補足事項
<論文>
なし