最高に難しくて大変な人。でも健気で可愛いくて、かっこいい人。
その方との出会いは私がまだ10代で、ある介護施設に就職した時だ。
ハナさん(仮名)は、白髪にかんざしを1本刺し共用のキッチンカウンターに肘を掛けて片手にタバコの煙を燻らせていた。90代には見えない貫禄だった。
「こんにちは。今日からよろしく、、」言いかける私にハナさんが発した言葉は「よお。」
ハナさんは私じゃなく、私の背後にあるダイニングテーブルの下に目線をやり、指差した。
そこには、両腕を頭の後ろで組み、足を組んでアロハシャツを着て横たわるアサコさん(仮名)がいた。「何してるの、こんな所で!」慌てる職員をよそに、ハナさんはニヤニヤと笑いアサコさんは他人事のように「なにが?」とキョトンとしていた。
ハナさんは、他の入居者とあまり会話もなく1日の大半は、自分も入居者なのにを鋭い眼光で他の入居者を観察していた。口数も少ない。
レクリエーションを勧めても腕組みして、参加しないかタバコを吸いに行く。
職員ともあまり会話しなかった。
夜中は、昼間と様子が変わり職員が巡回に行くと言葉は出なくても物を投げる。何でも投げつけてくる。文字通り何でも。こちらも泣けてくる。避けるのも苦労だが、その後の部屋中の掃除も大変だった。「汚れてしまっているから着替えはしましょ」職員の言葉も虚しく、いつもお互い泣きべそかいたまま、着替えを終える。正直、他の誰より時間がかかってしまうし、その間他の入居者が眠ってくれていれば良いが転んでしまったり、他の入居者の部屋に入ったり何かあったら大変だと気がかりだった。
着替えが終わり退室するといつものハナさんに戻り、スヤスヤ眠る。夜間帯は職員は1人であるため、1人泣き泣き床中に散乱した物を拭い、匂いと闘いながら処理する。ハナさんの寝顔を見ながら、どうしていくら説明しても、毎回こうなるのか疲労と悔しさと悲しさと入り混じり、いつしか心の中でハナさんと距離を取ってしまっていた。
ある日の夜勤でもまた、ハナさんの着替えをしなくてはならなくなった。その日のハナさんは、私の腕に爪を立て「ぼか。」と一言放ち、目を見開いていた。それでも「よお。」以外の言葉を聞けたのだが、必死な私は「何?ぼか?バカって事ですか?」と苛立ってしまった。
処理もようやく終えて、ステーションに戻り記録を書いていると、ふと昔の記録を読んでみようと思った。入居した時のハナさんは、もっと周り全員に攻撃的な態度だったらしい。特に自分の物に誰かが触ろうとすると、暴力も振るうぐらいだったと記されている。家族は病気の為にハナさんの看病の末、全員既に亡くなっていた。失語症が発症する前に、「一人暮らしをしていたが泥棒に入られ怖かった」と語っている。と記録にあった。それでか、、、。私は自分本意なタイミングや勝手な当たり前をハナさんに押し付けていたのではないかと思った。
夜が明けて日が徐々に登ってくると、静かだったダイニングに1人また1人と入居者が集う。
夜勤明けでぼーっと残りの記録を書いていると、最高齢のウメさん(仮名)は車椅子で自分の席につき麻痺のある手で朝食を食べようと挑戦をしている。隣の席のハナさんはいつも通りその様子を見ていた。黙ってウメさんのフォークを奪うと、ウメさんは「え?」と言わんばかりの顔をし、私も「あ!」と思わず立ち上がって駆け寄った。するとハナさんは、シャケをフォークに一口分刺すとウメさんの口元に差し出した。ウメさんも、受け入れて黙ってそのシャケをモグモグ食べ出した。2人は顔を見合わせてニコニコと笑顔を浮かべていた。。ハナさんは親指を立て、ウメさんも頑張って親指を立て返す。
新米な私に、沢山の事を教えてくれたハナさん。大好きなプリンを食べると親指を立て美味しいを伝えてくれた。アサコさんのかくれんぼで、隠れ場所を教えてくれた。困っている入居者がいると、職員を呼んでくれた。
その後2年間で夜中に私達がお互い、泣きべそをかくことも減った頃、ハナさんは家族の元へ帰って行った。きっと、皆んなを鋭くかっこいい眼差しで見守ってくれているだろう。