【#8林 晴実】一歩踏み出すことで、見える世界がある
自分に何ができるのかは、行ってみなければわからない
今でこそそのような風潮は薄れつつありますが、私の幼い頃はまだまだ、外国籍を持つ人々への偏見が強かった時代。周囲の大人たちの心無い言動に触れるたび「国が違うからといって蔑んだりするのは違うのではないか」と、子どもながらに思っていました。
やがて、台湾出身の主人と出会い、結婚。文化や生活習慣の違いに戸惑う主人の姿や留学先で困難にあう子ども達の苦労を間近で見ながら「国の違いにとらわれず、困っている人の役に立ちたい」と考えるようになりました。HuMAへの入会を決めたのは、そのような背景もあってのことです。
私が入会して間もない2003年の冬、イランとパキスタンの国境付近でマグニチュード7.8の大きな地震が発生し、HuMAからも支援チームの派遣が決まりました。被災地での経験が豊富な医師や看護師が在籍する中、まさか自分に派遣の打診があるとは思いもよらないことでした。
「一介の看護師である自分に何ができるのか」家族からも心配の声をかけられましたが、チームの一員に選んでいただいたことへの感謝と「何ができるのかは、行ってみてやってみなければわからない」という気持ちから、HuMAでのファーストミッションとしてイランに行くことを決めました。
看護師でありながらロジスティクスを担う
イラン大地震での任務は、壊滅的な被害を受けた現地医療機関に代わるプレハブの医院の建設でした。発災直後の急性期医療については国が派遣したチームによって支援が行われ、私たちはその後の医療の復興をサポートすることになったのです。
プレハブの資材はイランの首都テヘランから被災地まで陸路で運ばなければなりません。輸送にかかる期間は約1カ月。一度帰国した後再び現地入りし、医院のオープニングセレモニーまでやり遂げた時の充実感と達成感は自分でも戸惑うほどでした。
このイランでの活動以降、私は多くの活動においてロジスティクス(資機材の手配、行政機関との調整など現地での医療支援を行ううえで必要となる活動全般)を担ってきました。そこには自分自身が日本で個人医院を運営することで得た、交渉や調整、雇用、教育、事務処理などの経験が活きていると思っています。
HuMAには救急救命の第一線で活躍する医師や看護師が多くいます。災害医療の知識や実力はとてもかないません。支援の現場で彼らが力を発揮できるよう環境を整えることが、自分の役割だと考えています。
支援を受ける国の方針を尊重する
2023年2月にトルコ・シリアで発生した大地震の際には、先遣調査隊の一員として現地に向かいました。私たちの任務は、支援のニーズを調査し本隊の派遣に向けた環境を整えること。しかし、懸命にその道を模索しましたが現地での活動許可がおりず、本隊派遣は叶いませんでした。
トルコ政府は、自国による医療の復興という強い方針を持っていたのです。こちらがいくら支援が必要だと考えていても、それが親切の押し売りになるならば控えなければなりません。
私達の活動は、被災した人々にはもちろんのこと、支援を受け入れる国に歓迎されるミッションであるべき。自分たちの自己実現や実績作りのための活動であってはならないのです。国の方針を尊重し「諦める勇気」を持つことも大切なのだと改めて考えさせられた経験でした。
身近な人々の応援が力に
自営する医院の中には、これまで携わってきた支援活動の写真を掲示しています。派遣の要請を受けて急に不在にすることもあるので、地域の患者さんたちや医院のスタッフに、少しでも私のしていることが伝わればありがたいと思って始めたことですが「知らなかったよ」「素晴らしいことをしているね」と前向きな声を多くいただいています。
活動を続けていけるのも、身近な方々の理解と応援があってこそ。その方々も間接的に支援に貢献してくださっていると考えています。
これまで様々な経験を重ねたからといって、私は決して自信があるわけではありません。甚大な被害や複雑な国際情勢を前に無力さに苛まれることも少なくないのです。
しかし、やってみなければわからない。できることを精一杯やってみよう。
派遣が決まった時はいつも、そう自分に言い聞かせ、現地に向かう一歩を踏み出しています。
[TEXT:堂本侑希(広報ボランティア)]
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