Start it over
6月1日朝。2回目の流産手術を終えた。
この日からnoteを始めることを決意した。親にも友人にもほとんど誰にも伝えることなく続けてきた不妊治療のこと、その間の様々な想いのこと。・・・そんなあれこれは、もし赤ちゃんが生まれたらどうでもよくなることかと思っていたら、あっという間に長い月日が経過した。手術後の朦朧とした意識の中で、感情や実情を自分の中だけで処理しようとしても、できないのではないかと思い始めたからだ。
43歳8ヶ月。まさか、こんな歳まで治療を続けると思っていなかった。結婚して4年、37歳で長男を自然妊娠し(多少ホルモン剤の助けを借りながらもチャレンジして半年ほどで)、38歳で帝王切開で出産。産後すぐに職場復帰し、それから間も無くして父が亡くなり、しかも待機児童で苦労して、生理が戻ったのは1年半もしてだ。それからすぐに2人目を意識して、婦人科へ通った。ただ、授乳期間が長く、長男が2歳半年を過ぎるまで授乳。そのことを伝えておらず(聞かれてもなかったので)、タイミングも人工授精も数ヶ月上手く行かないため、勧められた県内でも有名な不妊治療専門病院へ転院。そこで初めて授乳を即やめるよう指示され、授乳していると妊娠しないことを知ったという始末だ。
そこから始まった本格的な治療。その時には既に41歳。ただ検査をしても、卵巣年齢は29歳ぐらいの値が出たり、特に悪そうなところもなく、自分自身も昔から健康優良児で、何より1人目を割と簡単に授かったという妙な過信があったと思う。人工授精を続けるが、今度は私よりさらに一回り年上の夫の方が値が悪く、着実にタイミングを取っても子宮内に1匹も確認できなかったり、全て動いていなかったりということが分かる。夫は、自分は元気だ、とか、あの時は疲れていたから、となかなか認めない。先生自身も、私の数値や検査結果を見て「人工授精でも大丈夫そう」と言われていたので、そうかな、焦らずにいこうと思っていた。
42歳直前までのらりくらりとして、やっと体外受精を決意した。なかなか子どもができなかった友達が、体外受精で立て続けに2人もパパっと授かったことの影響もある。聞けば、採卵はすぐできるものではなく、様々な準備期間があり、結局採卵できたのは42歳を過ぎて。13個取れた卵子は順調に受精し、胚盤胞まで9つ育って凍結できた。一番良いものを戻したら、初回で妊娠した。その時思ったのは、「最初っから体外受精にすれば良かったのだ。」ということ。
不思議なことに、あまり感動はなかった。それよりも、その時は色々なことが自分の身の回りであって ー長男の保育園の転園やら、自宅のことやら、引っ越しのこと、そして夫の親の介護のこと、何より自分の仕事の都合で、2ヶ月後にどうしてもやり遂げなければいけないことがあった。それが不安なのと、年齢的に「ひょっとして、障がいや病気を持って生まれてくるのだろうか。だとすれば、自分はこんないっぱいいっぱいの状態で、本当に育てることができるんだろうか。」という不安がよぎった。それに加えて、妊娠しても毎晩のように深夜まで仕事をする日々で、保育園の送迎も一切眠たいだとか運転できないだとか何かと理由をつけてしない夫ー相変わらずのワンオペ状態があった。ハッピーな気持ちには程遠く、夫に対しても憎しみのようなものが生まれていたと思う。長男の時は純粋に楽しみで、ワクワクした。それなのに・・・とお腹に宿った命に対して失礼な感じで、複雑になった。つわりの中、朝も夕方も45分運転して、保育園に送り、台所にたち続けて、長男が寝たらPCを開いて唸りながら言葉を絞り出し、レジュメやら原稿を書き続ける。
その子はほんの2−3週間ほどピコピコと小さな心臓を動かしたと思ったら、空に戻っていった。流産を告げられた時は、申し訳なかった。多分、そういうママの想いを察して、手を振って戻って行った気がした。
初めての手術。当日よりも、次の日から堪え難い腹痛が襲って、激しい出血もあった。夕方、まだ4歳になったばかりの長男の前で、ううーと唸りながらその場に座り込んだほどだ。その時の長男の不安そうな顔が忘れられない。夫はその頃の私の苦しみを記憶していないらしい。つわりがあったことも、腹痛があったことすら。自分の仕事で忙しかったらしい。
さらに驚いたのは、流産のあとは子宮を休めるため、次の移植は2ヶ月以上先になってしまうとのこと。その時は、「流産したということがあっても、妊娠できる力と条件が整っているということには変わりない」と医師から聞いて・・・・諦めがつかなくなった。
「まぁ、43歳になる前までは頑張ろうか。」
そんな風に思っていた。余裕なことに、休養期間まで作って、また春になって季節が良くなったら・・・とのんびりしていた。
42歳と半年。次の体外受精もなかなか結果が出ない。それどころか、子宮の内膜に異常があると分かった。小さなポリープのようなものがいくつもできている。それが着床を阻害している可能性があるのだと。直感的に流産手術の影響かと思った。それに加えて、貧血も続いている。気づいたら、43歳ー不妊治療のリミット。辞めようと思っていた43歳。そんな時に限って、高齢出産のタレントやら友人の話が耳に入ると、自分にももしかすると・・・と思ってしまう。それで、凍結胚がまだ残っているからと、だらだらと誕生日を超えても体外受精を続けていった。いや、昨年採卵した受精卵がグレードが悪いからだとか。それで、自らグレードの低い受精卵を戻すよりは、新たに採卵したいと申し出てしまった。
医師は、採卵して1年前より良い卵が取れるとは限らないというリスク、時間がかかるので、その間に子宮の老化が進む可能性は説明していたが、反対はされなかった。本当は私も分からなかった。ただ、夫もあの頃は疲れていたとか、今の方が良い筈という。私自身もストレス的には今の方が良い感じがしたので、そっちに賭けてみることにした。なんだかんだでタイミングを逃してしまい、43歳5ヶ月で採卵した。29個・・・驚いたが、凍結に至ったのは9個ほどなので、結果は1年前と変わらなかった。ただ、Refという濁り?のようなものは今回は混じっていない。30%近い着床の可能性がある一番良い・・・といってもAはついていないグレードの卵(4BB)、昨年の最初の体外受精と同じ程度のものを戻すことになった。それが今回の妊娠に繋がったのだ。
体外受精は、43歳7ヶ月で。43歳を2ヶ月ほど過ぎて、前の採卵の凍結胚ではなく、新たに採卵をしてみようと決めてから、随分時間が経ってしまうことは完全に誤算だった。
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