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もやもやとした感情

不妊治療をしていると、というよりは、思うように子どもを授かることができないと、私は心が本当にささくれ立ってくるなと思う。気にしたくなくとも、誰かの何気ない言葉に勝手に傷ついたり怒ったり、あるいは自分とは立場が違ったり、子どもを持つことに対するスタンスが分からない友人などに対して妙に気を遣ってしまうようになったりする。

同じように不妊治療をしている友人がいて、結果として2人授かったものの、ワンオペ育児できょうだいの年齢が近いからなかなか大変だと言う。

「でも、ふたりにも恵まれたじゃない?」と、心のどこかで声がする。

私よりももっと長く授からなかった友人が、例えば県外の病院へ通ったり、急にマラソンしたり、ほとんどの病院で認可されていない最先端の技術を取り入れて、と、驚くほど不妊治療を極めていて、「もうさすがに無理では?」「私はそこまではできないな」と、不躾にも思っていたら、本当に43歳でも無事に妊娠に至った。喜びに満ちた顔を見て、そんなことを思った自分を内心で恥じてみたり、自分も「そこまで」攻めの姿勢で挑戦しなかったことを後悔してみたり。

「そんな科学技術に頼ってさ・・・あとで何か問題が出てくるんじゃない?」と、つい意地悪なことを思う自分が本当に嫌だ。

親切心というか、励ましのつもりかもしれないが、夫の親戚に同級生がいて、大事にしていた仕事を辞めてまで不妊治療に専念し、同じ時期に出産し、ほどなくして2人目も授かった。他にも同年代で2人きょうだいを持つ親戚がいて、その親同士で「男の子どうし喧嘩ばっかりしてうるさくって困るの。でもね、いないよりはマシよねーって言ってるの。」と、私に電話で伝える。「ええ、それはうちなんかより”マシ”で良かったですね・・・」とでも答えたら良かったのだろうか。

「2人目がいない人に対して、どういうつもりで言うわけ?」と思い返しては傷つき、そして怒っている。

夫の母は、認知症になっても、私の息子を見ては「ひとりっこ?もう1人いたら良かったのにねぇ。」を3分おきに延々と繰り返していた。それに夫の父も、夫も何も言い返さないことに腹が立つ。他の言葉には「何を言っとるんなら」と怒る義父も、黙っているし、夫もだんまりを決め込んでいるのに、余計に怒りが湧くが、認知症なので仕方ない。おそらく、認知症だからこそ正直に思ったことが出るだろう。

「あんたが前から思ってたことはそれかいな。女は子どもさえ産めば良いわけ?」と、やり場のない怒りが込み上げてくる。

さらに義母は、親戚のおばさんに「うちの嫁さんはもう”トシ”だから2人目は無理やわ。」と、そこの娘に2人目が産まれたと聞いた際に言っていた・・・と、ご丁寧に私の耳に入れてくれた。「何言ってるの?うちの娘と同級生なんだから、そんな無理じゃないわよ、と言っておいたからね。」とも。その当時まだ30代だったが。

「誰のせいで妊娠できないと思ってる?私には問題が見つからんかったよ。あなたの息子さんに問題がたくさんあるわけ。私はずっと昔から健康な子どもを産めるように、食を変えて、研究して、最大限努力してきましたよ。あなたの息子はなにひとつ真剣に聞き入れず、協力してくれないので、私は自分の持つ身体能力を発揮できないまま終わりそうですわ。」と、いつか言いたいと思っていたが、認知症になったので意味がない。

幼稚園ママも多い息子のこども園では、ほとんどの子がきょうだいがいる。ひとりっこは学年で息子を入れて2人ほどだろう。「上の子が」「下の子が」が飛び交う会話の中に、なかなか入れない。3人も、時に4人も連れて少ししんどそうに登園してくるママさん。ゆっくりおしゃべりしながら帰って途中で公園に寄って遊んであげている若いママさん達。きょうだいもいないのに送り迎えだけでこんなにゼーハー言っている自分と、どんなに違う生活なんだろうか。落ち着いているんだろうな。パパが家事しなくとも、仕事がないから気にならないんだろうな・・・と、勝手に「幸せそうだ」と思ってしまう自分がいる。そんなことを思ったところで何も変わらないのは分かっているけれど、黒い気持ちは時にドロドロと奥底で渦巻いている。

「何にも悩まずポンポンこども産めて、楽しくのんびり育児できていいよね。」

「3人にも恵まれてるのに、子どもにイライラするってどういうこと?」

一方で、夫婦共に問題があって、子どもが永遠にできないという女性が身近にいる。誰もが子どもを連れて気軽に参加できる場を作ろうとする会合の中で、涙ながら「私は本当は今日来たくなかった。子どもを連れてくる人がいると知っていたから。そういう場が大事なことは頭では分かっているのに、子どもを見るのが嫌でたまらない。世の中にはそういう気持ちでいる人がいることを知っておいて欲しい。」と、息子を連れて参加している私の目の前で訴えられた。

「知ってるよ。分かる、その気持ち。でも、それはここで言うべきこと?そういうこと言う人がいるから、子連れに厳しい社会になるんじゃない?」と思いながら、「いや、本当にひとりも子どもを持てない人の辛さなど私には分からないんだ。」と思い、グッと言葉を飲み込んでしまった。今でも処理できていない感情だ。

子どもを苦労せず?授かった人は、苦労する人の気持ちが分からないのは当然なのだ。仕方ないことと分かっていても、そういう人たちの何気ない言葉や態度に、そして姿にすら勝手に傷ついてしまう。そして、私も誰かをどこかで傷つけている筈だ。どうしてこんなにも不自然な世の中になってしまったのだろう。そして、私の世界も、世界の見え方も、不妊治療を始めてからいっぺんに変わってしまったようだ。

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