もう1つの故郷⑧
ある朝、1本の電話がかかってきた。
『グッモーニン、ケンイチ。・・・。』
クリスだった。
『クリス、何やってんだよ。何も言わず居なくなって、
1度も連絡が無いなんて・・・。』
『良く聞いて、ケンイチ。今、私、あなたの子供を
身ごもってるの。詳しい事は、子供が1歳になってから、
あなたの目の前で話してあげるわ。
だから、よく聞いて。
あなたにハニートラップが始まってる。
席を離れたら、食べ物、飲み物に手をつけないで。
全て捨てなさい。大体、睡眠薬が入ってて、
ベッドに連れて行かれて、催淫剤を注射されるの。
そして、子供を身ごもると、
子供は研究機関のモルモット。
あなたは一生、その女の為に働かされるわ。
私の事が好きなら、食事は自分で作ったものだけを食べること。
飲み物も絶対に飲み切ること。
ちゃんと守ってよ。私も友人に頼み込んで
頑張ってるんだから!じゃあ、逆探知されるから・・、
愛してるわ。プツン。』
‘なんなんだよ、クリスまで。
でも、ボブマネージャーも似たようなことを
言ってたよな~。’
『はあ~。』クリスからのいきなりの電話に驚いて、
僕は切なくて、ため息が出て来た。
『OK、解りました。気をつけます。部屋に閉じこもります。』
いつの間にか、僕は、独り言を言いながら怒っていた。
『ケンイチ、最近、疲れてない?』そう声をかけてきたのは、
最近、研究室に入って来たリンリンだった。
『このお茶、元気になるよ!』
僕は、うっかり飲みそうになって、クリスの言葉を思い出した。
『ありがとう、リンリン。僕、お腹が弱くって、
だから、いつも同じものを食べてるんだ。
だから、ごめんね。今は、体調を崩せないから、
同じことをしておくよ。』
クリスの電話の後、僕は久々に自炊を始めた。
それが、自炊を始めて解ったのだが、
気分転換に良い事や
体調にも良いと気づき始めた。
リンリンが僕にお茶を勧めてくれたのは、
そんな矢先の事だった。
リンリンは頭が切れて、優しい女性だ。
でも、クリスに子供が出来たことを知った以上、
僕にも守らなければいけないものができた。
考えすぎかもしれないが、
ハニートラップを避けなければいけない。
この研究所に入社して9か月になった。
僕が月面エレベーター計画のリーダーになって半年、
自炊を始めたのも同じくらいの期間になったが、
僕は自炊を続けている。そして、日本食を求めて僕を訪ねてくれる人が
増えていった。それも全員、日本人では無いことが可笑しかった。
その間、リンリンを含め、4人の女性がこの研究所を去って行った。
僕の部下になった仲間が気を使って排除したのが1人。
僕の日本食が気に入って、ハニートラップを暴いてくれた仲間が
3人の女性を排除した。内、2人の女性は凄かった。
『ミスターソラマ、美味しいクッキーを買ってきたわ。
1ついかが?』僕がどう断ろうか迷っていると、
『ラッキー!じゃあ、僕も頂きます。』と言って
周りの仲間が3人、クッキーを食べた。
『ケンイチ、これは大丈夫・・・・。』ドタン。
クッキーの2つ目に手を伸ばしていた仲間がいきなり倒れたんだ。
そのクッキーをご馳走してくれた女性は、
クリスに雰囲気の似たブロンド髪が長い女性だった。
僕たちが倒れた仲間を医務室に連れて行ってる間に、
彼女は消えていた。
そんな出来事があってから、重要なセクションの1つに選ばれた
月面エレベーター部門は、外部からの接触ができない部門になっていった。
そして、計画が遅滞なく進めば、
1年後、僕は月面エレベーターの責任者として
宇宙ステーションに乗る予定だった。
ずっと上司でいてくれたボブチーフに、
『チーフ、宇宙に行く訓練ってどのくらい時間をかけるんでしょうか?
今、計画は遅れ気味なんですけど・・・。』
と相談したことがある。
『ケンイチ、それは20年ほど前の話さ。
今は、1週間に1度のペースの訓練や研修が20回ぐらいで終わる程度だ。
パニックにならない様に、無重力空間のイメージや対処法を
享受してくれるし、段階的な宇宙病への対処方法を学ばせてくれる。
更に進化したのは、ロケットではなく、宇宙飛行船の定期便が
1年に2往復していることさ。だから、君の月面エレベーター計画も
OKが出たのさ。ただ、ケンイチの場合、月の軌道の宇宙ステーションに
行くから、2~3年は帰ってこれないよな。
クリスにはもう会ったのか?』
ボブチーフの言葉に僕は驚いた。
『チーフは、クリスと連絡が取れるのですか?』
とっさに口から出た言葉は、このセリフだった。
ハニートラップが始まってから、特に僕はクリスに飢えていた。
ボブチーフは困惑していた。
『まさか、ケンイチはクリスと連絡が取れないのか?
なんて事だ、お前達は、どのくらい会っていないんだ?』
ボブチーフも驚いていたらしく、質問を質問で返された。
『僕がクリスと会ったのは、大学卒業前だから
11か月前です。そして、ハニートラップが始まる直前に
僕の子を身ごもってること、
ハニートラップがどんなものか?を
一方的に話された電話が彼女の声を聞いた最後です。』
僕の質問の答えを聞きたかったから、
仕方なくチーフの質問に先に答えた。
『ケンイチ、すまない。私もクリスの連絡先は知らないんだ。
ただ、定期的に、お前の様子を聞くために電話を掛けてくるんだ。
クリスなりに、お前の研究の邪魔にならない様に
気を使ってるんじゃないのか?
クリスは無理やり組織から抜けたそうだし。
そうか、困った問題だな~。』
『チーフ、お願いがあるんですが・・・・。』
『なんだ、言ってみろ。』
『婚姻届けを準備して戴けませんか?認知届も。
そして、もし、僕がこの計画に失敗した時の補償の受取人としての
手続きが出来るように弁護士も紹介して下さい。』
『解った。協力しよう。』
『最後に、もし、記者会見以前に、クリスと連絡が出来るなら、
記者会見当日の朝に僕の部屋に来て欲しいと伝えてもらえませんか?
それで意味は通じると思います。』
『それも解った。出来る限りの事をするよ。』
その言葉を信じて、僕は計画の進捗や確認、訓練に勤しんだ。
計画は、計画の見直しや機材の見直しが重なり、4か月ほど延期していた。
この時間がかかったのは、僕にとって幸運だったようだ。
僕に息子とクリスに会える宝物の時間を与えてくれるチャンスが
舞い降りたからだ。
会見前夜の4/14、落ち着かずにベッドの上でゴロゴロしていた僕の部屋の
ドアをノックする音がした。部屋ベルを使わずに?
僕は静かに玄関ドアのスコープから外を覗いた。
そこには熊がいた。
熊の様な男がいた。少し考えてからドア越しに返事をした。
『どちら様ですか?』
『クリスの相棒だ。開けてくれ。』熊はぶっきらぼうに答えた。
念のため、木刀の短刀を右手に持ち、カギを開けてから
ドアから離れた。『どうぞ。』
熊はゆっくり入って来て、僕の右手を見て笑った。
『初めまして、ケンイチ。その緊張感、間違ってないぞ。
ほら、クリスと話せるスマホだ。』
熊は、ゆっくりスマホをビニールに入れて床を滑らせた。
僕は受取、袋から出すと、熊は軽く指笛を吹いた。
トゥルルル、トゥルルル。
『ケンイチ、元気?』クリスの声だった。
『いきなり熊みたいな大男が来て、びっくりでしょう?
私の施設時代に世話になった兄貴なの。熊みたいに強いから
頼りになるのよ。』
僕は冷静でいられる様に務めた。
『クリス、僕の話を聞いて欲しんだ。
まず、クリスから見て、ボブチーフは信用できそうかい?』
クリスは、返事に詰まっていた。
『解った。明朝、君を迎えに行ってから、
記者会見に臨む。君との結婚と子供がいる事を公言する。
そして、僕は、アメリカの為に働くとも公言する。
それがクリス達が一番安全に過ごせる方法だと思うけど
どうだい?もちろん、NASAの会見場所に入る前に、
婚姻届けと子供の事、何かの時の補償料は
クリスと僕の両親で分けてもらう取り決めを弁護士に
頼みたいと思ってるが、クリスはどう考えてる?
その話がしたかったんだ。
返事が決まったら、夜中でも連絡を頂戴。
クリス、愛してる。』
クリスは電話の向こうで泣いていたが、僕は電話を切った。
木刀の小刀をゆっくりとベッドに置き、僕は熊にスマホを
渡しながら自己紹介をした。
『初めまして、ソラマ ケンイチです。クリスの事、
有難うございます。子供は元気に生まれてますか?』
『ふ~、厄介事は勘弁して欲しいんだけどな~。
クリスの頼みじゃあ、聞くしかないしな~。
また、幸せになりずらい男を選んだよな~。』
熊はボソッとそう言いながら、僕に右手を出した。
『ジョンだ。』
『ジョンさん、有難うございます。』
僕とジョンが固い握手をすると、
ジョンは静かに闇夜に消えて行った。
辺りは何事も無かったように、静けさと暗闇の世界になった。
AM5:00クリスから電話が入った。
『おはよう、ハンガーチーフかと思ったよ。』
僕が言った。
『あら、懐かしい名前ね。ケンイチも寝なかったのね。』
クリスが答えた。
『ああ、クリスと僕の子供の運命がかかっている事だ、
神経質にもなるさ。じゃあ、返事を聞かせて欲しい。
返事次第で、婚姻届けの渡し方が変わってくる。』
『そうね。BB(Bear Brother)がね。「お前の好きにして良いぞ」って
言ってくれたの。「もし、お前が組織に始末されても、
この子は俺が1人前に育てる。奴は本気でお前に惚れてる。
もっと普通な人間と結婚して欲しかったが、今までお前が
俺に見せた男の中で一番まともな男なのには間違いない。
その男と大一番の芝居を打つってんなら、
賛成しない訳にもいかんだろう。」
だってさ。だから、私、あなたとTVの記者会見に出るわ。』
『了解。また、9時に電話をくれ。
その時に待ち合わせ場所を決めよう。
盗聴されてるかもしれないしね。愛してるよ、クリス。』
『私もよ。今、とっても幸せよ。』
『じゃあ、プツン』僕は、涙を流していた。
スマホが濡れていることに、少したってから気が付いた。
つづく Byゴリ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?