こころのふるさと
いっこ前に書いた記事。
書いた後でハッと気づいたんだけど、この「知らんけど」というのはおれの母親の口癖だった。
おれの母親はここ数年の間で流行りだす、そのずっと前から、40年以上前から、「知らんけど」をナチュラルに使っていた。
おれがあの記事で書いた卑怯者っていうのは母親のことだし、
大嫌いっていうのも母親のことだったんだね。
言いたい放題言って、あとのことは知らない。
責任なんて取らない。取るつもりがない。
一方的に言いたい。あなたの話は聞かない。
一方的に殴りたい。殴られるのはイヤ。
そういや去年富山の実家に帰ったときも、
👵「わたしはなんでも言いたいことを言わせてくれる人が好き」
なんて言ってたな。
おまえの理想の男性像なんて誰もきいてねえよ。
おまえの理想の男性像に近づこうなんて思うわけないし。
むしろそれと真逆の男になりたいわ。
…なんてことは、本人の前で言わないけどね。
言っても彼女を傷つけるだけだし、
彼女を傷つけてもおれが救われるわけじゃないし。
「お母さんのことが大好き」
そう言える人がうらやましい。
マザコンとか、そんなことないよ。
「お母さんが大好き」って言えることは素敵なことだと思う。
その人は絶対に安心できるこころのふるさとを持っているってことじゃん。
おれのお母さんはそんな感じの人だから、おれが還る場所はお母さんじゃないんだよね。おれのふるさとは、おかあさんじゃない。
おれが死んで、迎えに来てくれるのは、お母さんじゃない。
もしもお母さんが迎えに来たら、おれは生き返るから。
あんたが迎えに来るんなら、おれはまだ生きてみるよ、って。
あんたとは別の人がいい。あんただけはいやだ、って。
おれと同じような気持ちの人は、けっこうたくさんいると思うんだ。
お母さんのことが好きになれない。
尊敬できない。
関わりたくない。
迎えに来てほしくない。
お母さんがこころのふるさとではない。
帰りたくない。還りたくない。
そういう人には、別の場所がちゃんとあると思う。
あなたが還る場所。
あなたが心から安心できる場所。
すべてをまかせられる人。
大好きな人。
きっと出会えると思う。
だってそうじゃん。
おれたちはどっかからやってきたんだろ。
どこかから。
そこが、おれたちの帰る場所だよ。
旅に出たんだよ。
おれたちは。
旅に出る前は、おうちにいたんだよ。
あたたかいおうちに。
そのおうちが、帰る場所だよ。
そこにはあなたの本当の家族がいる。
おれたちはその家を出て、
この世界にやってきて、
そしてまたいつか必ずそこに帰る。
「ただいま!」って帰る。
そのときはどんなに嬉しいだろうね。
どんなにホッとするだろうね。
この世界に帰る場所がなかったとしても、
あなたには必ず帰る場所があるからね。