『碧と海』 連載小説【26】
ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ
きらきら、きらっきら。星が瞬いている。
生暖かい砂浜を背中に感じながら、満天の星を見上げ、伊豆に来て何回目かの夜を迎える。
温い潮風と、波のオーケストラの最高のもてなしを、俺は申し訳ないくらい受け流していた。
「海斗、生きてるか」
懐中電灯の灯りが俺の顔に当てられる。
「ずっとそこにいたのか」
早瀬が灯りを逸らさないから、俺は横を向く。
「まだ飯食ってないだろ。今日はパスタにするから来なよ。俺の気まぐれパスタ」
そう言って去ろうとする早瀬を呼び止める。
「なぁ、聞きたい事があるんだけど」
「何?」
「早瀬は、平気なのか?」
「……何が?」
「色々、親にされたこと……」
早瀬は近づいて来て、座り込んだ。
「何、同情してくれるの?」
「違うよ」
「さあ、分かんないな」
早瀬は懐中電灯の光を空に向ける。すうっと光が天に吸い込まれて行く。
「……赤メガネの客が、早瀬の動画を持ってた」
「あぁ、まぁ、そうだろうと思ってたけど」
「よく来るの? ああいうヤツ。つうか、知ってたの、見られてたって、撮られてたって」
「……ネットでさ、俺の名前検索すると画像とか動画、出てくる。俺ね、そっちの世界じゃ人気者らしいんだ」
「らしいって、他人事みたいに」
「いちいち気にしてたら生きてられない」
あまりにもさらりと。さらりと言ってしまう早瀬に少し腹がたつ。
「あいつの、赤メガネのスマホ、便所に捨ててやった」
「はぁ?」
「それから、お前の母親に会った。息子さんは海に身を投げて、半身不随で入院してるって言ってやった。もう、早瀬と会うなって、男と別れろって言った」
「どうしちゃったの。お前」
「……分かんない」
早瀬は心配そうな顔で俺の顔を覗き込む。
俺は再び目を閉じる。起き上がる気がしない。
このまま、眠ってしまいたい。
ふと、気配を感じて目を開けると、早瀬がまだ俺を見ていた。
星空をバックに、なかなか絵になっている。
「……見てんなよ。てんとう虫でもついてるのか」
「てんとう虫?」
「何でもない……」
「お前さ……」
早瀬が眉をひそめる。
俺は顔を逸らす。
「勃ってんの?」
早瀬の視線から逃れるように起き上がって膝を抱える。
思わず大きなため息が出る。
「よく分からないタイミングで勃つんだ。火葬場で母親の骨燃やしてる時とか。全然そういう気じゃない時に、気が付いたら勃ってる時がある。意味が分からない」
「抜いてやろうか」
驚いて早瀬を見る。表情からは冗談なのか本気なのか読めない。
「自分で出来ないんだろ」
「は、はぁ?」
早瀬が顔を近づけてくる。
「手がいい? 口がいい?」
「え、冗談だろ」
迫ってくる早瀬から逃げるように後ずさる。
「例の、ぶぶぶっての、聞こえてる?」
「あ……」
聞こえていない。ついでに波の音も聞こえない。
聞こえるのは、自分の鼓動と、早瀬の息づかいだけ。
油断した隙に、早瀬に押し倒される。
「怖い?」
肩に置かれていた早瀬の手がゆっくり胸元へ、腹へと滑る。
怖い? なんでそんな事聞くんだ? 分からない。戸惑ってる。怖いのか分からないことに戸惑っている。もしかしたら大丈夫かもしれないって思っていることに戸惑っている。
ママには秘密だよ……
「え?」
「どうするの?」
俺と早瀬は長い間、見つめ合った。
と、尻ポケットでスマホが鳴った。
「抜群のタイミングだな」
そう言って早瀬は笑った。
「ほら、出なよ」
と、早瀬は体をどかした。ホッとしたような残念なような不完全燃焼な気分で、俺は仕方なくスマホを手に取る。桂木からだ。今は出る気がしなくて、唸るスマホを握りながら迷っていた。すると、早瀬がひょい、と俺の手からスマホを取り上げた。
「もしもし?」
早瀬は勝手に受け応えている。
「そうだよ。海斗の電話。あぁ、いるけど。君、誰? ……桂木?」
俺は慌てて起き上がり、早瀬からケータイをひったくった。
「もしもし、桂木? ごめん。どうした?」
なんとなく、早瀬に背を向ける。
「誰、今の」
平坦な桂木の声。感情が掴めない。
「泊まってる宿の人。仲良くなって……」
「ふうん」
心臓の音がうるさく響く。なんだこの焦りは。早瀬のせいなのか、桂木のせいなのか。落ち着くために軽く深呼吸する。
「で、何?」
「あぁ、あのさ。佐倉まだしばらくそっちにいる?」
「あぁ、うん」
「明後日、そっちに行っていい?」
「へ?」
「姉ちゃんがさ、彼氏と旅行に行くんだけど、親には私と行く事になってんの。姉ちゃんは一緒にくればいいって言うけど、なんか嫌だからさ。だから、なんつーか、佐倉と合流するのもありかなと思って」
「うん……。って、え?」
「迷惑ならいいんだけど」
「いや、迷惑じゃない。けど」
「けど?」
「お前、怒ってんじゃないの? 俺の事」
「は? 怒ってないけど。で、いいの? 行っても」
「あぁ、うん。いいよ」
「じゃぁ、そっちの場所教えて。電車の時間とか分かったら知らせるよ。あ、あと一泊するつもりだから。よろしく」
「え? ちょ……」
桂木は早々に電話を切ってしまう。
「何だって? 桂木さん」
すぐ近くに早瀬の顔があった。なんだ、こいつ。ニヤニヤして。
「明後日、来るって」
「へぇ、なに、海斗、彼女いたんだ」
「違うよ。色々訳があって、彼女のフリしてもらってるだけ」
「フリ? 面倒くさいことしてるなぁ。でも、わざわざ来るってことは、お前の事好きなんじゃないの? 彼女」
「まさか。あいつは俺をゲイだと思ってるから」
「ゲイだったの? お前」
「ち、違うけど、女の子と付き合えない理由としては説得力があると思って」
「ふうん、つまり、性的不能者だとバレないように、彼女がいることにしてカムフラージュしてるのか。やっぱ、面倒くさいことしてるんだな」
「……不能者って。そっか、俺って性的不能者なんだな。本当に、俺は自分の事がよく分かってないんだな」
「海斗、ずっと一人で考えて、一人でかっこつけてたんでしょ。だから、簡単なことが分かってないんじゃないの」
「……そうだな。そうだよ。でも、どうしようもないだろ。誰にも言いたくなかったんだから」
俺は立ち上がってズボンの砂を払う。
「ねぇ、海斗」
突然、背中が温かくなる。
早瀬がくっついてきたのだ。抱きしめる、わけでもなく、体を少し遠慮がちにくっつける。肩に早瀬の頬が当たる。
「ありがとう。母さんのこと」
囁くような、小さな声。
「あの男と別れるかどうか分かんないし、変わらないかもしれないけど」
「そしたら、また俺が言ってやる」
ふうっと早瀬が笑う。
「うん」
そう言って、早瀬は体を離した。
温かさが、名残惜しく感じる。
つうか、なんだこれ、早瀬の何表現?
くそ、ドキドキが、ドキドキが収まらない。
「収まった?」
「え?」
早瀬が股間を指差す。
「あっ」
収まらない、とは言えない。
「抜いて欲しければ言えよ。お前なら、嫌じゃない」
嫌じゃないって、なんだよ。風に髪をなびかせ、目を細め、屈託のない笑みまで浮かべてさらりと。
「そ、そういう事言うなよ」
俺だけ戸惑ってるのが恥ずかしくなる。
でもちょっとだけ、歩き易くなった気がする。
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