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『碧と海』 連載小説【16】

   ぶぶぶぶぶぶぶぶ

 気がつくと部屋は真っ暗だった。

 あまりの暗さに、時間と場所の感覚が戻るのに時間がかかった。確かここは、早瀬に連れてこられたペンションの部屋、だったよな。どうにかスマホを見つけて時間を確認する。八時近かった。  

「やべえ、寝すぎた」

 薄暗い中、手探りで部屋の電気をつけると、ソファに横になって寝ている早瀬が現れた。

「なっ?」

 早瀬の瞳が開く。

「なんで、居るの?」

 早瀬は呑気にん〜と伸びをする。

「声かけたのに、お前起きないから……。今、何時?」

「もうすぐ八時だけど」

「朝の?」

「夜だよ」

「じゃぁ、飯喰いにいこう」

と、早瀬は寝ぼけ眼をこすりながら立ち上がった。
 俺もよく分からないまま、早瀬の後をついていった。

 早瀬に連れられて来たのは、隣接している『レストラン アリゾノ』だった。雰囲気はペンションと似ていて、ウッド調の内装が家庭的な温かさを感じさせた。十席ほどの座席はほとんど埋まっていて、軽快なジャズの音楽に人の声も混ざって賑やかだった。
 早瀬がレストランに入って行くと、知り合いらしいウエイターが「ずっと待ってるよ」と、カウンター席を指差した。見ると、金髪のキノコみたいなボブスタイルの女の子が座って、スマホをいじりながらグラスを傾けていた。早瀬の姿に気がつくと、満面の笑みで手をぶんぶん振った。てっきり、彼女の方へ行くのだと思ったが、早瀬は彼女の方も見ずに離れた席に座った。

「いいの?」

「何が」

「彼女」

 早瀬は黙ったまま不機嫌そうにメニューを俺に突き出した。

「おごるから。なんでも選んで」

「え、なんで」

「だからさ……」

 早瀬は俺の方に顔を近づけて、小さな声で言った。

「悪いけど、今晩お前の部屋に泊めて」

「えぇっ、なんで」

「部屋の鍵がさ、短パンのポケットに入ったままだったんだ」

 俺は海岸の岩の上に置き去りにされた、濡れて丸まった早瀬の服を思い出した。

「スペアとかないの? 隆さんに言えばいいのに」

「無理。もう二回も失くして、次に失くしたら罰金なんだ」

「罰金払えよ」

「頼むよ、飯奢るって言ってんじゃん。明日ちゃんと取りに行くからさ」

 そう言って早瀬は両手をパチッと合わせた。その時、金髪のキノコ頭の子が現れた。

「な〜にしてんの?」

 早瀬は彼女を見るなり、うんざりした態度になった。彼女は自分のグラスと荷物を持っていて、何の了解も得ずに早瀬の隣に座った。そして俺に向かってにっこりと笑った。

「こんばんは。碧(みどり)の友達?」

 みどり? 誰?

「お前、こっち来るなよ。戻れよ」

 俺が答えるより先に早瀬が悪態をついた。

「何よ、今日、碧仕事休みだから遊びに来たのに。ずっと待ってたんだから。隆さんから聞かなかった? ここで待ってるって伝えてって頼んだのに」

 そう言えば、隆さん、早瀬に何か言おうとしてたっけ。

「聞いてないし、知らない」

「電話も全然出ないし。どこ行ってたのぉ」

 早瀬は頭を掻きむしる。スマホ、もしかして鍵と一緒に短パンのポケットに入ってるんじゃ……。

「つうかお前、酒飲んでる? 車は?」

「今日は飲むつもりでバスで来た。さ、飲もう飲もう。それはもう浴びるように」

「お前が飲むのは勝手だけどさ、ちゃんと一人で帰れよな」

「えぇー、泊まっちゃだめ?」

「ダメ。ぜっっったいダメ」

 早瀬が本気で嫌がっているのかは分からないけど、本気で仲が悪い感じはしない。なんていうか、兄弟みたい。

「ねぇ、みどりって、もしかして早瀬の名前?」

と、俺はどちらかというと女の子の方に向かって聞いてみた。

 彼女は満面の笑みで早瀬を指差した。

「え、名前、知らなかったの? 早瀬碧っていうの。え、君、碧の友達じゃないの?」

「だから、名前言うなよ、うるせーな」

「まじでみどりって言うんだ。どうやって書くの? 漢字? ひらがな?」

「漢字だよ。ええとね、あお、とも読むやつ」

「碧か、へぇ」

「目の色が緑だからなんだってさ。安易だけど、かっこいいよね」

 女の子は自慢するように言う。
 俺はうんざりとそっぽを向いている早瀬の瞳を改めて見た。濃くて深くて透き通ってて、まるで誰も知らない森の奥深くにある苔生した湖を思わせる。碧色の水は何処までも深く、底にあるものは癒しかそれとも……。

「碧の君……か」

「え、何? きみって何? 卵?」

「あー、もう、うざい」

と、早瀬は立ち上がった。

「ちょっとぉ、どこ行くの?」

「便所だよ。おい、海斗、さっさと決めて頼んどけよ」

 早瀬は逃げるようにして行ってしまった。
 女の子の興味が自分に移ったのが分かった。ニコニコしながら俺を見てる。

「海斗くんって言うの?」

「そう、海斗って言います」

 なんか、恐る恐るな答え方になる。

「碧と友達じゃないの?」

「友達っていうか、今日会ったばかりだよ」

「ふうん、私は明日香。明日香って呼んでね。碧とは何処で会ったの?」

 なんか、なんだろ、敵意みたいなものを感じる。

「何処って言うか、宿を紹介してくれただけだよ。あ、明日香さんこそ、その、早瀬の彼女とか?」

 明日香さんはたちまち得意げな笑顔になった。彼女? とか聞いてほしいんだろうな、と思ったから聞いちゃったんだけど、その笑顔を見たらすごい敗北感が涌き上がって来た。

「彼女、だったらいいんだけどね〜」

 よかった、と思った。何でかって言うと、たぶん俺が明日香さん見たいな派手なタイプが苦手だから。

「でも、ある意味ぃ、彼女とかよりも深い仲かもしれない。ソウルメイトっていうやつ?」

 ふうん、軽く相づちを打ち、俺はウェイターを呼び止めて「穫れたてペスカトーレ」というのを頼んだ。

「ここだけの話、あたしは頑張っても碧の恋人にはなれないんだぁ。だって、碧、女の子は好きにならないんだもん」

 俺は飲んでいた水を吹きそうになった。

「え? それって、つまり……」

 明日香さんは悲しそうな顔で大きく頷いた。

「ゲイだから、碧」


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