『碧と海』 連載小説【2】
ぶぶ
「佐倉先輩のこと好きなんです」
食堂の自動販売機にお金を入れていたら、唐突にそう言われた。知らない女の子が二人。二人とも前髪が綺麗に直線に整えられている。眉毛が隠れている方の子が言ったみたいだ。ガチガチになっている。
ちなみに、佐倉先輩は俺のこと。佐倉海斗が俺の名前。
「この子、転校しちゃうんです。だから」
眉毛が見えている方の子がフォローする。
「だから……あの、せめて気持ちを伝えたくて」
「あと写真、撮らせてあげてください。いいですよね」
うん、見事なコンビネーョン。俺は食堂の端っこに座っている桂木を見た。
「あ、彼女さんもいたんですね。やっぱりダメですよね」
彼女さんの桂木は箸を咥えながら冷ややかな視線を向けている。その視線に背中がぞくりとする。
「いや、いいよ。大丈夫」
俺の隣に転校する子が並び、付き添いの子がスマホを向ける。
「先輩、もうちょっと屈んで。入らない」
俺は隣の子の顔と同じ目線になるくらいに腰を落とす。背が高いってだけで好感度が何割か増しになる事を知っている。背が低かったら、俺の好感度は何割減るんだろう。顔の造りだけで言えば俺なんて大したことはない。むしろ印象が薄いくらい、特徴という特徴
がない。ただ、笑い方で好印象になるかそうじゃなくなるかを心得てるのは、大きなプラ
スだと思う。って、うわ、かなりアップで撮ってるな。
「ありがとうございます。あと、あの、握手もいいですか」
あ、うん。としぶしぶ彼女の手を握る。正直恥ずかしい。
「先輩に彼女さんがいるの知ってるんですけど、どうしても最後に伝えたくて」
手を握った子は泣きそうになっている。
「どこに引っ越すの?」
「アメリカです」
「遠いね」
「ホントは行きたくないんです。でも、この写真をお守りにして頑張ります」
「うん、頑張って」
女の子たちは満足げに帰っていく。
自販機で買ったパックの牛乳とジュースを持って桂木の隣に座るけど、桂木は無視して弁当を食べている。女子にしてはでかい弁当。
「彼女さんの態度が冷たいなぁ。まさかやきもちじゃないよね」
「ああいう笑顔、キモい」
桂木は罵りながら牛乳を奪い取る。
「そうだね。知ってる」
作ったものは桂木には簡単に見破られるのだ。
窓から外を見ると、中庭で、誰かがホースで水を撒いている。キラキラした飛沫が芝に落ちていく。違う誰かが、ふざけて飛沫の中に飛び込んだ。
高校三年の一学期の終業式。この日の学校は午前中に終了。部活がある生徒たちはクーラーの効いた食堂で腹ごしらえをしていた。
バレー部の桂木も午後から練習があった。本当ならバレー部の奴らと昼飯を食べるはずだっただったのに、俺に呼び出され、むっつりしながら弁当をかっこんでいる。でも、俺も今日、桂木に伝えたいことがあったのだ。どうやって切り出そうか探っていると、突然あれが来た。
「来た、桂木」
「何が?」
「てんとう虫。前に言ったじゃん。ほらほら、目の上」
俺はてんとう虫が飛ばないよう、隣にいる桂木にそうっと顔を向けた。
「え?」
桂木は弁当をつつく手を止め、俺の顔を見た。
てんとう虫はたまにやってくる。視界の端っこにちらりと見えたり、見えないけど顔や体に止まっているのを感じたりするのだ。普段は忘れているのだけれど、ここのところ頻繁にやってくるので、桂木に話してみた。桂木は俺の顔をじっと見て、箸で左目を指す。
「この、ふたつ並んでるヤツのこと?」
俺の左の目尻には仲良く並んだふたつのホクロがあった。ついでに言うと、右の口角のすぐそばにも一つある。もっとついでに言うと、胸のちょうど心臓あたりにも大きなホクロがある。そのせいで小学生の時、水泳教室でビーサンっていうあだ名をつけられた。ビーチサンダルのことじゃない。乳首が三こ、チクビーサン、ビーサン。あほらし。
「ホクロじゃなくて。反対、右の瞼」
「何も止まってないけど」
と、桂木は箸を弁当に突っ込んだ。
「やっぱ見えないか。でも止まってるんだよ」
「見えないし。でも、何故てんとう虫だと思う?」
「……てんとう虫、のような感じがするんだよな。まだ止まってる、気がする」
「蠅じゃねえの?」
「違う。蠅じゃないし、カメムシでもないし、蜂でもない。あ、今飛んでった。気がする」
「ふうん、やっぱそれはてんとう虫の幽霊だな。てんとう虫殺しただろ。大量虐殺」
「殺してないし。無駄な殺生はしません」
「なら、守護霊じゃねえの」
「なるほどな」
桂木は肩をすくめて貴重なランチタイムを再開させた。
「佐倉は食べないの?」
「あー、帰り道で食う。草かなんか」
「はぁ」
桂木は、無機質な固い視線を俺にロックオンする。俺は反射的に「すいません」と謝ってしまう。
再び弁当を食べ始めた彼女の横顔を。俺は肘をついて眺めた。不機嫌そうに眉間に皺を寄せてる顔も、それはそれでなかなか可愛い。ふわふわしたショートヘアも彼女によく似合ってるし、すらりと伸びた長い手足もいい、カッコいい。でも男どもの彼女にしたいランキングでは、残念ながら桂木は圏外だ。背が高過ぎるし、言葉遣いも乱暴だし、がに股で歩くし、胸も貧相だし。運動神経なんて男顔負けで、バレー部にいながら陸上の大会に出てたり。女の子が惚れちゃうような女。つまり、男に対してケンカ売ってるようなイケメン女子。だから、俺が桂木と付き合ってるって知った時の周りのリアクションは最高に面白かったね。自分で言うのもなんだけど、もっとフェロモンを振りまいているようなエロい女の子とか、爽やかで甘酸っぱい清純派な女の子とかと付き合えるチャンスもあったんだ。それこそランキング上位の女の子と。その中で何故あえて桂木なのか、周りは納得いかないようだったけど。でも、俺たち並んでると結構いい雰囲気だと思うんだよね。
「なんだよ。じろじろ見んなよ。てんとう虫でもついてる?」
「いや、うまそうに食うなって思って」
「そういえば飯とかさ、あ……」
「ん?」
「いや、作ってんの? 自分で」
そう言って桂木はぎこちなく視線を逸らす。その理由はたぶんこういうことだ。二ヶ月前に俺は母さんを失くした。それ以来、食事やら家事やらを父さんと分担してやっている。四十九日を終えた今でも、まぁまだ慣れない。桂木はそれを心配してくれているのだ。普段、俺を心配したり労ったりって事をしないんだけど、たまにするときはこんな風にぎこちなくなる。なんて可愛いんだろう。でも、可愛いなんて思った事は言わない。言いたいけど。
「ご飯も洗濯も、父さんとなんとかやってるよ」
「ふうん」
「何、作りに来てくれんの?」
「いや、それはちょっと。そういうキャラじゃないんで」
「でも出来るでしょ、料理。家じゃ料理担当って言ってたじゃん」
「いやいやいやいや、ガサツな飯、家族以外食わせられないんで」
「ふふ、心配してくれてありがと」
「別に、心配とかしてるわけじゃないから」
と桂木はムッとしながら白飯をかっ込んだ。
「素直じゃないなぁ。いいんだよ、弁当とか作ってくれてもさ。痛っ」
俺の脛を桂木が思いっきり蹴飛ばす。ほら、ちょっとからかうと痛い目に合う。そういうとこも可愛いよ、とか言おうものなら何日も口をきいてもらえなくなる。
「あとさ、前にも言ったけど、部室にこないでくれる?」
あぁ、なるほど、なんとなく不機嫌だったのはそれが原因だったのか。俺が桂木に会いに部室とか教室とかに行くと、周りの女子どもにイジられるから。桂木が変に意識するから周りもイジりたくなるってことに気がついてないんだよな。
「彼氏が彼女の部室に行ったっていいだろ。普通だよ」
桂木は後ろを振り返り、近くに人がいない事を確認してから小さい声で答えた。
「さっき、ユミとマキに何か聞かれただろ」
ユミとマキ、桂木の友達で同じバレー部員だ。
俺もつられて小声になる。
「あぁ、聞かれた」
「何て?」
「俺たちがまだやってないって本当かって」
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