『碧と海』 連載小説【34】
すすすすう
オレンジ色の灯り。
甘いお菓子の香り。
あぁ、またこの夢か……。
オレンジジュースも、プリンも、ケーキももういらない。
そんなの、欲しくない。
俺が欲しいのは、この、今空っぽの、ここに、
ここに詰まっていたはずの、何か。
「トマト?」
いや、トマトじゃない。
「愛?」
いや、違うけど、方向性はいい。
「青春?」
「いや、あんた誰なんだ?」
オレンジ色の灯りに満ちた部屋に、ぼんやりとした影。
ツノがにょーんと揺れているから、あいつに間違いない。
パパなの? と聞くと そうだよ、と答えるあいつ。
でも、もう分かる。
俺のパパでも父親でもない。
「海斗のパパじゃないよ」
「知ってる」
「魔法だよ」
「なに?」
「からっぽなのは、そのせい」
「お前、何か知ってるのか?」
「魔法使いが、食べちゃったんだよ」
ぶぶぶ……
「ボクはもうすぐお家に帰るから……海斗……。■■■だよ」
今、はっきり聞こえた。のに、もう思い出せない。
なんだ、何だった?
うっすら目を開けると、隣のベッドで眠る桂木の姿があった。
白み始めたうすら明るい部屋の中、ぼんやりと寝ている桂木を見つめる。両手が中途半端なバンザイの形になって、赤ちゃんみたいな無防備な姿勢で、これまた赤ちゃんみたいな顔をして寝ている。胸の膨らみが、寝息と一緒に上下する。白いTシャツにブラジャーの形が透けて見える。ブラジャーってしたまま寝るもんなのか? 苦しくないのかな。
タオルケットを蹴飛ばしてる足、ジャージの短パンからすらりと伸びている細い足は、適度に日に焼けてツヤツヤしている。筋肉質なふくらはぎ。きゅっと締まった足首。
触ったら起きちゃうだろうか。そうっと体を起こして顔を覗き込む。
ふわふわと乱れた髪。少し開いた目。ふっくら柔らかそうな唇。こんなに間近でじっくり見るのは初めてで、何と言うか、触れたい。抱きしめたい。欲情とは違う、もっと穏やかな気持ち。ネコを膝の上で抱きたいような、そんな温かくて愛おしい気持ち。他人にそんな気持ちを抱いたのは生まれて初めてかもしれない。
俺は、桂木を起こさないようにそっと部屋を出て、砂浜を走った。まだ空気がひんやりしていて気持ちいい。朝日を受けてキラキラと輝く海は、人魚姫かポセイドンでも出てきそうなくらいファンタジックだった。
『アリゾノ』に帰ると、エントランスを掃除している碧と会う。
「早いな」
モップで床を拭きながら碧が言う。
「あんま、寝れなかった」
俺は、自動販売機に百円玉を入れながら答える。
「へぇ〜、いいことあった?」
「なんもねぇから」
「ふうん、チューも?」
桂木の、固く閉じた唇を思い出す。あれは、キスとは言えない。
俺は首を横に振る。
なぁんだ、とつまらなそうに碧はモップを止め、柄に寄りかかる。
そして、ぼそりと呟く。
「俺にはしたのに?」
顔が熱くなる。恥ずかし過ぎる。
「だ、だから、それはっ」
「ねぇ、本当に出来ないの?」
「ゲロったよ。見事にね」
「なんだ、そういう雰囲気にはなったんだ」
「そういうっていうか、あいつが俺のこと好きとか言うから、ホントかどうか確認しようと思って」
「何したの?」
「……裸を、見せてと」
「それで?」
「頑に拒まれた」
「当たり前じゃない! バカじゃないの!」
と言ったのは隆さんだ。
いつの間にか俺たちの後ろで聞き耳を立てていたのだ。
「ちょっと、海斗くん。そりゃぁないでしょ。いやだぁ、もうっ」
隆さんはバシバシと俺の腕を叩いた。
「でもさ、好きなら裸くらいどうってことないんじゃないの?」
と碧がさらりと言い捨てる。
「早瀬、あんたもバカ?」
バカだと? と碧が顔を歪める。
「あのね、女の子は心と体が一緒なの。心までちゃんとやさしく脱がしてあげないとダメ! もう、海斗くんはそういうのちゃんと出来る子かと思ったのにぃ。バカじゃないの、ほんとバカなんだから」
隆さんはぷりぷりしながらコーヒーサーバの電源を入れ、エントランスに甘くて香ばしいコーヒーの香りを漂わせた。
「隆さん、ああいう人だったの?」
「たまに、乙女が見える時がある」
碧は肩をすくめて掃除に戻る。
俺は階段を上りながら、昨夜の桂木を思い出す。
震えてた唇、苦しそうに胸を押さえて。真っ赤になった顔、涙を溜めた瞳。
俺は、何も分かってなかった。自分の事ばっかりで。
「私はプラトニックな恋愛もアリだと思う」という桂木の言葉を思い出した。
「心まで、ちゃんとやさしく脱がしてあげないと」
隆さんの言葉が、すべてを語っているような気がした。
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