『碧と海』 連載小説【7】
八月の県大会に向けて、桂木は夏休み中もバレー部と陸上部を行き来していた。陸上部でない上まだ一年っていうのが、成果を出せない二年生にとっては当然面白くなく、そんな可哀想な人たちはネチネチと桂木を攻撃をし始めていた。その日の桂木は、午前中が陸上部で、午後がバレー部というスケジュールだった。県大会に出られない部員はダラダラと練習メニューを消化していた。その中の一人である俺も、さっさとメニューを終わらせ、ランニングと称して他の部の友人たちにちょっかいを出しに行っていた。そろそろグラウンドに戻ろうと部室棟の前を歩いていたその時、陸上部の女子の部室の前に、スポーツバッグが不自然に置かれているのを見つけた。乾いた土の上に放り投げられたように横たわっている青色のバッグは、砂埃で白く汚れてしまっていた。しかもよく見ると汚れはすべて足形だった。近づいてバッグに手を伸ばそうとした時、「触んなよ、佐倉」と、女子陸上部の部室の中から怒鳴り声が飛んで来た。開け放たれたままのドアから、二年の女子たちが眩しそうにこっちを見ている。例の可哀想な人たちだ。
「触ったらボコるからな」
彼女たちはニヤニヤしながら可笑しそうに凄む。
「何でこういう事するんですか」
バッグには見覚えがあった。だから、ちょっと笑えなかった。
「はぁ? 何、ウチらが悪いわけ?」
俺はバッグに手を伸ばし、そっと持ち上げた。
「てめぇ、佐倉、触んなって言っただろ」
と、可哀想な人たちが出て来た。三人いた。俺はバッグについた足形の汚れを払った。
「何でこういう事するんですか」
可哀想な人は腕を組んで上目で睨みつけてくる。
「この部室って陸上部のなんだよね。陸上部じゃない人の物、置けないし」
「だからってこんな事するんですか」
「佐倉さ、あいつのこと庇うわけ? ウチら被害者なんだけど」
「何のですか?」
「あのさ、キモいんだよ、あいつ。目がやらしいの。同じ部屋で着替えたくないの。性的な対象にされたくないの。ね、あんたらもそうでしょ」
いつの間にか、練習を終えた女子たちが集まり出していた。桂木が歩いてくるのも見えた。
「女子に欲情する人が、女子の部室で一緒に着替えるとかありえないでしょ。キモいでしょ。中身男なら男子の部室に行けよって感じなんだけど」
色々最悪だな、とうんざりする。
「それだけですか? 理由」
「え、充分じゃない?」
「自分が県大会に出られなかった妬みじゃないんすね?」
自分のバッグを持った俺を、桂木は怪訝な顔をして見ている。何してくれてんの? とでも言いたげだった。
「やだなぁ、ウチらがヒガんでるっていうの? まさか」
「いえ、だったらよかった。先輩たち、誤解してますよ」
「はぁ? なにが」
「だから、桂木。俺、桂木と付き合ってるんです。彼女、正真正銘、女子ですから」
可哀想な人たちはぽかんと口を開けて、言うべき言葉を失くしてしまったようだ。周りで様子を見守っていた部員たちがざわめく。俺はバッグを肩に掛けると、一番驚いて放心している桂木の手を引いてその場を離れた。
「ちょっと、どこまで行くの」
桂木が止まって、ようやく俺も止まる。止まったら何て言っていいか分からなくて、止まれないでいたのだ。気がつくとはずれの校舎の裏側にいた。吹奏楽部が練習するなんかの交響曲が聞こえていた。
桂木は俺の手を振り払い、反対の手をぐいと差し出した。
「何?」
「返して。バッグ」
あぁ、と俺はまだ汚れているバッグを桂木に差し出す。桂木はひったくるようにしてバッグを抱えた。
「あのさ、桂木」
桂木は俺を睨みつけた。何故だか胸がドキドキする。
「同情とか、やめてくれる」
「そんなつもりじゃないけど……でもさ」
「正直、あんな嫌がらせなんて、痛くも痒くもないから。それより、その佐倉の誰にでも優しいです、みたいな態度が一番イラつくんだよ」
「え、そうなの?」
「そうなの? じゃねぇよ」
「いや、だって、俺が優しくないの、知ってるでしょ」
綾辻さんとのこと、桂木は見ているはずだし。
「優しいなんて言ってない。優しい風な態度、って言ったんだよ。だいたい、今だって何? 同情じゃないとしたら何? 何、この状況」
「だから、それは……」
睨まれているにしろ、今桂木は俺を見ている。向き合っている。ちゃんと目を合わせて言葉を交わすのは初めてに近くて、これがチャンスだと俺の中の俺が胸を打っている。心臓がドキドキと高鳴っている。
「ホントなの? その、レズだって」
え? というように桂木の眉毛が動く。
「……ごめん。こんなこと聞いて、でも……」
「だったらどうなの」
「え?」
「ホントだったらなんだっての? 佐倉に関係ある? 私、何か迷惑かけた?」
こめかみを伝って汗がひと雫流れ落ちる。桂木の真っすぐな視線にゾクリとする。そういうとこ、そういう感じが。あぁ俺、嫌いじゃないんだな。でも今はイライラしてくる。
「……あのさ桂木。正直なのか不器用なのか知らないけどさ、だったら上手くやり過ごせよ。影でコソコソ面白可笑しく言われてさ、腹立たない? 何で「違う」って言わないかな。嘘でも違うって言えばいいじゃん」
「はぁ? なんでお前がそんな事言うわけ?」
「同じだからだよ。俺も、つまり、少数派だから。だから、わざわざ波風立てるような桂木の態度がイラってすんの」
「は? 少数派ってどういうこと? もしかして、ゲイ、とか?」
「そうだって言ったら、お、お……」
「……お?」
「俺と付き合ってくれる?」
「は?」
「は? じゃなくてさ。その、か、カムフラージュだよ。俺たちが付き合ってたら、もう、誰も何も言わない。わざわざ学校生活ごときで、デリケートな部分を見せ物にする必要なんてないだろ。そういうのは大切な人にだけ見せればいい。その他大勢には、本当の姿なんて見せなくていいじゃん」
「……呆れた」
桂木の視線が緩んで、下に落ちた。
じっと動かない。言葉を探してるのか、もしかして、泣いてる?
「悪い、いきなり、こんな……」
桂木がふうっと息をついた。
「綾辻さんに言った言葉、そういうことだったんだ」
あぁ、エッチする自信ないとか、生理的に受け付けないってやつか。
「嘘じゃないんだ。本当に無理だから。でも、酷い言い方だった」
「いいんじゃね」
「え?」
「カムフラージュ。利害関係一致してるし」
「まじで?」
桂木は顔を上げた。
驚くよ、そんなの。だって、まさか、桂木が優しい笑顔を俺に向けてくれるとは思ってもなかったから。
「も、もちろん、桂木に好きな人が出来たら、解消する」
「ま、お互いに」
それは、ほとんど勢いだった。
勢いに任せて俺は、桂木を、捕まえた。
たぶん、捕まえたかったんだ。
ゲイ、だなんて嘘もついて。
歪んでる? ダサい? 何とでも言え。
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