【私にとって文章を書くこととは】
一ヶ月前、相談員さんから、「就労支援B型(身体障害者の作業所)に行ってみないか」と言う提案がありました。
私は脳性小児麻痺で、手脚言葉に障害があります。手の障害は、ほとんど細かい作業はできません。
そのため、相談員さんからこの提案が出されたときは、私にできる作業があるだろうかと思いました。実際見学に行ってみると、私にできるものはありません。
しかし、所長さんの話では、「藤永さんにもできる作業を作ります」と。私も、文章を書くネタも出てくるのではと思い、一旦は行く気になりました。
毎週、いらして頂いている訪問看護師さんや訪問リハビリ師さんに、作業所に行くかも知れないと伝えました。
四月十四日、相談員さんと作業所の所長さんが、作業との契約書を交わすために、我が家にいらっしゃりました。
契約を交わした後、所長さんから工賃と昼食代について話されました。「週に一度の通所ですと、四ヶ月で工賃は、千円です。また、昼食代は一食四百円です」と。
そのことを聞き、四ヶ月で工賃が千円で、昼食代が一食四百円では、いくら文章を書くネタ探しに行こうと思いましたが、これではちょっと。。。
と言うことで、十五日に相談員さんと作業所の所長さんに「やはり、今回の件、白紙に戻してくれませんか」と電話を入れました。
十八日(月曜日)は、訪問看護の日です。その日の担当は、テンションが高い男性訪問看護師でした。
彼に「(身体障害者の)作業所に行くのをやはり辞めた」と伝えたら、「作業所に行くと聞き、進歩したと思ったのに。。。でも、一旦作業所に行こうと思ったことは、やはり進歩だよ」と。
私にとって、そういう感覚はなく、一旦行くことを決めました。そのため、「作業所に行くことが進歩なのか」が分かりません。考えるうちに、「自分の存在感は何?」と言う問いまで発生しました。
つまり、彼の言葉を借りるなら、作業所に行くことは進歩。その反対である作業所に行かないは後退になります。
SNSのグループにこの問いを投げかけると、そんな意味から「進歩」と使ったわけではないだろう。考えすぎではないかと言うコメントや、プライドが高すぎて、そんなあなたは、人間関係が築けないのではないか、だから、仕事にも就けないのだろうと、批判が集中砲火的に浴びせられました。
彼は、私のことを慮りにそのように言ったのだとは思います。
しかし、私の中で「進歩」、「後退」と言う言葉が交互に浮かんできます。
私のシフトから彼を外してもらおうとも思いましたが、もし緊急で訪問看護を呼び、その日の担当が彼であったら、互いに気まずい思いをするのではないかとも。
でも。。。昨年の夏、冷房を付けていましたし、少し精神的に落ちんでいたので、カーテンを開けず閉じたままにしていると、彼がいらっしゃる訪問看護の日に、彼は部屋に入るなり、締め切っていたカーテンを開けました。
それ以来、彼に対し苦手意識を感じ始めました。
「彼と信頼関係が築かれていますか」と問われれば、否定的に近い「?」です。
もう少し、こちらに許容範囲が広かったら、このような問題は生じません。
彼が訪れた月曜日、このことが頭をよぎり、あまり眠れませんでした。
SNSで批判が多かったグループは退会し、あまりにも私を攻撃して来た友達は友達を解消し、ブロックしました。
唯一共感できたコメントは、訪問看護をなさっている方からのものでした。
書かれていた文章は、「訪問看護師は、利用者さんに不快な思いをさせないことです。そのため、私たちは、不快な思いをさせないような言葉遣いには、より配慮をしなければいけませんね」というものでした。
昨日の訪問リハビリの時に、訪問リハビリ師さんに男性の訪問看護師から作業所に行くことを聞いて進歩したなぁと言われたことを話しました。
彼女からは、「彼は何も考えずに言ってしまうところがあるんですよね。。。きっとこの時もそうだったのでは?」と。
その上で、「この書いた文章を上の者に見せます」と仰って頂けました。
また、SNSのグループにこの文章を投稿し、私を批判する意見が多数寄せられたにもかかわらず、意外と今日はケロリとしていたので、「修平さん、以前に比べて打たれ強くなりましたね」とも仰りました。
私も、「現在の精神状態を文章にすることによって浄化されます。文章が書けて良かったです」と言いました。
つくづく私にとって、文章を書くことは、大事な作業だなぁと思いました。