【私の生い立ち(社会人編 その2)】


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 大学を卒業し、1年間仕事に就くことができませんでしたが、母のコネである自動車部品の組み立て会社に就職しました。そこでの私の仕事は初めは事務が主でしたが、零細企業であったため、事務はほんの30分で終わってしまい、残りの時間は現場仕事でした。当初は細かい部品が主でしたが、段々と大きな部品を扱うようになり、腰痛を患いこの仕事を辞めることになりました。

 辞めた後、就活に精を出しましたが、決まらず、とうとううつ病になり、1996年に都内の総合病院に通院し、翌年D施設の更生ホームに1年間入所し、それ以降D施設に併立したE病院の神経科に通院しました。

 2012年徐脈で通院していた父が掃除機を持って2階から下に降りてくる時、あと3段と言うときに階段から踏み外し、大腿骨骨折になりました。手術は成功しましたが、徐脈であったことから、リハビリが順調に進まず、結局歩けず車イス生活になりました。

 このことが機に父は施設に入所し、経済的に頻拍になり、2015年20年近く住み慣れた自宅を売却し、母と私は平塚の賃貸に藤沢から引っ越ししてきました。

 その翌年、私は大腿骨周辺が激痛に襲われ入院しました。退院後は訪問リハビリを受け、30分程度であったら歩けるようにまで回復しました。

 2017年父は老衰で亡くなりました。

 母も高齢になり、認知症の症状も出始め、私は今までできていたことができなくなった母にキツく当たってしまいました。同時にODをしてしまい、2019年にF病院に入院し、その1ヶ月後G病院に転院し、3ヶ月の入院生活を終え、退院しました。

 母はと言うと、ケアマネジャーの勧めもあり、施設に入所しました。それまでは賃貸の家賃や光熱費は母の口座から引き落とされていましたが、今度は私の口座から引き落とされることになりました。


 家賃だけで75,800円。収入はと言えば、年金2ヶ月で180,000円弱。少しの蓄えがあると言うものの、すぐに底をついてしまうと言う不安に駆られました。また、足の方も30分ほど歩けていたのが、歩行は室内でやっとと言う状態まで後退してしまいました。

  私はこの状況が続くとすぐに底がつくと思い、県の広報を見、県営住宅の応募に応募。2020年の7月補欠当選だったのが正式に当選となりましたが、空きがないと連絡がありました。その知らせを聞き、更に私は頭がパニックになり、どうしようもない状態になり、訪問看護師さんの勧めもあり、2020年の9月に再びG病院に3ヶ月入院しました。

 退院は2021年1月。それから直に県営住宅の事務所から県営住宅の鍵が送られてきました。同封されていた書類を見ると、部屋は4階。4階では車イスでは無理。これは何かの手続きミスと思い、ネットで送られてきた書類に書かれてた棟を調べると、エレベーターがある棟だと分かり、やっと空きが開いたことを確認しました。

もし退院が1ヶ月遅かったら、このはなしはなかったと思うと背筋がゾーッとします。

 2021年2月私は県営住宅に引っ越すことができました。一番不安であった経済的不安も県営住宅になり、75,800円から8,200円になり、その不安も消えました。

 唯一の心配事は足の状態が良くならないかです。

 現在の1週間の予定は、家事で月曜日から日曜日までアクアさんに入って頂き、そのうち火曜日木曜日日曜日は家事と入浴介助です。そのほかは火曜日に訪問看護。木曜日に訪問リハビリ。金曜日に訪問鍼灸です。また、3ヶ月に一度水曜日G病院に。月に一度火曜日にH整形に通院しています。

                          (前へ)          (了)

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