「人生には目的がない」という君の認識は正しい
#社会人1年目の私へ というテーマに乗ってみようと思う。
どうせ20代で死ぬとタカを括っていた君だが、実は50歳を超えてもまだ生きている。それを知って絶望しているだろうが、心配いらない。君は50を過ぎても相変わらず絶望している。
まず、君が日々いらだっていることについてだが、その正体が何か分からないことが、いちばんモヤモヤしていることだと思う。
それが見えてくるまでにはあと数年必要なのだが、いらだちの原因は、結局のところ「人生には目的がないのに、なぜこの人たちは、まるで目的があるように振る舞っているのか」ということにに尽きると思う。
そして君は、考えあぐねた末に「人生には目的はないが、会社や仕事には目的がある」という原理をようやく見出して、目的や目標、課題に対する「手段としての仕事」のツボを心得て、結果的に出世していく。
だからといって、いまのモヤモヤが無意味かというと、そんなことは全くない。「人生には目的がある」ように振る舞っているやつらは、逆になぜか「仕事とは目的に対する手段である」ということを自覚できていないからだ。
「会社や仕事には目的がある」ことの意味合いを深く理解できるかどうかは、社会人として決定的な違いとなる。大丈夫。君はその認識で、同僚たちに大きな差をつけることができる。
しかし君は歳をとると、ふたたび「人生には意味がない」ことへの思いに囚われることになる。一時はナンセンスな笑いの追求/究(これが何を意味するのか内緒だ)に至ることもあるが、結局のところ深い絶望感から逃れることはできない。
いまの私は、20代前半の君と同じ気分だ。進歩がないと思うだろうか? いや、一周周ってきただけだが、同じ風景は少し違って見えているつもりだ。それがどう違うかは、これもいまは言わないでおこう。