何者かになりたいという友人を見ていて
何者かになりたい。
そう願う若者は多い。
でも現実は残酷で、その大部分が彼らの意に反して、結局何者にもなれない人生を送ることになる。
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私には、何者かになろうともがいている友人がいる。その子の定義する何者とは、作家やアーティストのように自己表現をして、自分の名前で生きれている人らしい。
その子のことを見ていると、かつての自分を見ているようで苦しい。私は無邪気に自分の可能性を信じて止まない友人を冷めた目で見てしまう。凡人止まりかもしれないのに、才能のある人たちと張り合おうとする姿。どれほど足掻いてみても、側から見たら結局何も掴めないのがオチだと分かっているのに、それに気づかずただひたすら自分の可能性を追いかけている。
何者かになんて、なれる訳ない。
もし何者かになれるのなら、今頃とっくに何者かになっているはずで。
でもこれらは単に、自分の可能性を素直に信じられるその子を羨ましく思っていることの裏返しなのかもしれない。私は、才能のない自分なんか何者にもなれるはずがないと無理矢理心の奥にねじ込んでしまったから。
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ところで、その子にとっての幸せとは、何者かになって世に名前を残すことらしい。
他人に評価してもらうことによって得られる幸せはハードルが高いと思う。そもそも価値観もバックボーンも異なる他人に認めてもらうのは難しい。他人は、基本的に私たちの考えをそう容易くは認めない。私たちを無条件で受け入れてくれる家族や親友とは違って。そう生きようとすると、自分で自分を満たせない。
自己の中で完結させられる幸せの方がいいに決まっている。
こういう風に、友人のことを否定してしまう自分が嫌い。素直に応援できたらいいのに。