もんてすキュッと㉓
「わあ、すごい! めっちゃきれいだね!」
サリが海老ぞりでジャンプした。着地の瞬間、砂浜の土が巻き起こる。すると地面に埋まっていた二枚貝が飛び出し、宙を舞った。――貝は、田中さんの周囲を浮遊する四次元空間の中にすっぽりと包み込まれた。そのときのことを、貝は後に詳細に語っている。
「アア、あんときは何が起こったかと思ったよ。え? 四次元空間はどんなところだったって? ハハ、おもしろいことを聞くね。四次元空間が〈ところ〉だなんて。あそこは場所じゃない。――時間だ。なんて言ったらいいのかな――インタビュアーさん。三次元の言語じゃあ言い当てるのが難しいんだ。こう、時間に触るっていうのかな――もちろんただ触るんじゃないぞ。〈触る〉んだ。〈時間〉――今はこう言い表すことしかできないんだが、何か名状しがたい、アア、う、そう、ちょうど男の子が出産する感じだ。おぎゃあおぎゃあって分厚い腹筋の中で子供が泣く感じだ、ああ、筋肉が沸騰するんだ。プチプチって、へその緒でビリーズブートキャンプをやるような――え? 怖くなってきた? 怖いなんてものじゃない。なあ、ある日突然、朝御飯を食べていたら茶碗の中にバスが交通事故を起こしている場面を想像してみてくれないか。え? 無理だ? ハハ、これだから三次元の人間は――ん? ちょっと待て、インタビュアーさん。君の鼻からリトマス紙で出来た源泉徴収票が顔を見せて笑っているよ。ほら、動かないで――(※ここで記述は終わっている)」
サリの話によると、グランピングと一言でいっても様々あるらしい。テントの中にちょっとした家具を置いただけの簡素なサイトもあれば、「それ、本当にキャンプ? ホテルじゃない?」とツッコみたくなるくらい設備が整ったサイトも存在する。
今日泊まるサイトはその中間あたりだった。外見はモンゴルのゲルみたいな。少し大きいキャンプサイトと言った感じだ。だけど中を覗けば――もはや住居。大きめのベッドがみっつ周りに並んでいる。中央には白いテーブルが鎮座しており、装飾を凝らした椅子が四つセットされている。テントに椅子! 小さいころからガールスカウトを嗜んでいた私から見れば、違和感でしかない。そこはパイプ椅子でしょ! 待って、これ下カーペット!? いや、絨毯だわ。凄い、人間の支配欲求はここまで膨らむのか。自然と馴れ合う? いやいや、これは立派な征服活動だ。征服――漲ってきたァ!
「電子レンジもあるじゃない、感動したわ!」私は叫んだ。
「ね、すごいよミレイ! こっちにはケトルがあるよ! 紅茶入れられる!」サリも興奮していた。
「美味しい!」と、田中さん。彼女は椅子に座って、先ほどのレモネードケーキを食べていた。「なにこれ、こんなの初めて食べた!」
「ふっふっふ、これは凄いわ――海岸にあろうことか電気を通すなんて!」
「大きなベッドだなあ、気持ちいい! ほんと、今日は色々あって疲れたなあ。長谷寺で田中さん誘拐されちゃうし……」
「あ、見て見て! スポンジと生クリームが層になってる! きれいだね――んん~! おいしい! レモンが爽やかに顔中を駆け抜けるようなおいしさ……」
「これならワイファイも使えるのかしら? ……拠点にしてもいいわね」
「すごい、枕もふかふかだあ! え、もしやこれ羽毛? すごい、気持ちいい!」
「まるでこの部屋の全てが私の舌になったような――ああ、レモネードケーキ、おいしいよお! シナモンが良いスパイスになってるね……」
「近くに変電所を建造しなきゃ……」
「海、きれいだね……」
「ケーキ、美味しかったあ……」
「……」
「……ねえ」サリが重々しく口を開いた。「何?」と私が応じる。田中さんは純金製のナイフを食っていた。
「せっかくだし、なんかグランピングっぽいことしようよ。なんなの、変電所って――」
「よくぞ言ったわ、サリ! そう――せっかくだから、グランピングするわよ。ふはは、よし。とりあえず外に出て、肉を焼こう、肉を!」
「いいね、バーベキューかな?」サリは、機材を集め始めた。受付から貰ったらしい説明書を見ながら色々いじくっている。サリは物分かりが良いからありがたい。田中さんは金剛ちゃんのコスプレに着替え始めた。私はワイファイルーターを片手に外に出た。
鎌倉の海はとても広い! 相模湾沿岸は遮るものもなく、砂浜に降り立つと一面に海を見渡せるのだ。今日はずっと電車とか、遠くから眺めるだけだったから余計にそう思うのかもしれない。
沖には、さまざまな大きさの船がぺかぺかと輝いていた。その光が、ちょうどぼやけた水平線の上で交差して、見事な宇宙空間の相を呈していた。その空間にぽっかりと浮かんだ、レモン色の月。その下には、光の筋が一直線に伸びていた。まるで、海に掛かった光の橋のようである。
視線を右の方に向けると、小さく島が浮かんでいる。多分、江ノ島だ。島の頂上には、怪しげに青白く光る棒状の物体が浮かび上がっていた。江ノ島の展望台だ。いつ見ても派手なあの展望台はきっと、グランピング史上最高傑作だと思う。江ノ島という自然を改築して、観光名所〈江ノ島〉を作りあげた人間の功績は大きい。ちなみに「新江ノ島水族館」は江ノ島の上にはない。無論、新しくもない。
砂が歩くたびザクザクと音を立てる。砂粒に少し、細かくなった貝の破片が少々交じっていた。彼らもみな、四次元空間を旅したのだろうか。破片になって転がっているのは、きっとそういうことかもしれない。彼らは時間の犠牲者なのだ。時間に囚われて――時間に壊される。死体は時代を超えて、海岸をずっと揺蕩う永遠の旅行者である。私は砂粒を手一杯に掬った。さらさらと指の隙間から砂が流れ落ちる。手に残った砂と落ちた砂とのあいだには一体どんな差異があっただろうか。私はチャッカマンを地面に突き刺し、スイッチを入れた。ジュワァと水分が乾燥する音が夜の海岸に響いた。
「じゃあ、ここに機材を建てちゃうね!」サリは言った。彼女はバーベキューの道具を両腕に抱えていた。これから戦争を始めるのだ。彼女には働いてもらわないと困る。しかし――なんだ、あのショボい機材は。
「ねえサリ、なにそれ?」
「え、見ての通り、バーベキューセットだけど」
「いやいや、ちょっと。もっとほら、竈、作ろうよ」
「竈!?」サリは驚いてこちらを見る。「竈作るの!? ――ってああ、石とかで作る簡易的なやつ?」
「石!? 何をバカなことを言ってんのよ! それじゃあ1700度の高熱に耐えられないじゃないの!」
「え? 何作るの? タングステン?」
「――ナイスアイディアね、サリ。ここに電球をたくさん作って、イルミネーションをするのね!」
「肉焼かないの?」サリは声を震わせた。どうやら怒っているらしい。彼女は逆流性突発逆鱗障害なのだ。私は日頃からカウンセリングを勧めている。
「焼くわよ――肉。くっくっく、敵軍の肉で今夜は饗宴じゃあ、はっはっは!」
「……田中さんは?」サリはほとんど感情を失ったような声で言った。彼女はどうやら初音ミクに憧れているらしい。そういえば、彼女はよく「ミレイといると、ときどき感情が溶けそうになる」というようなことを言っていた。つまり――彼女は「メルト」の大ファンなのだ。まったく――最初っからそう言えばいいのに。
「メールト、とーけーてーしーまーいーそおーー」
「サリちゃん、呼んだ?」田中さんがサリの横から生えてきた。ちなみに田中さんは美少女である。
「バーベキューセット作るから田中さんも手伝って! って金剛のクオリティ高! ……撮っていい?」
田中さんが頷くと、サリはスマートフォンを取りだし、あらゆる角度から撮り始めた。夜の海に、ストロボが瞬く――私はスマートフォンを取りだし、サリのインスタグラムを確認しようとした。しかし、百個のアカウントは全て凍結されていた。仕方がないので、祖母のアカウントを借りてリプライを連騰した。――祖母はサリにブロックされてしまった。