フヒハ
今続けている連載小説のまとめです。主人公で政治家志望のミレイと、知り合いのサリ、そしてなんでも食う田中さんの三人で繰り広げられる、超高校生級青春小説!
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「わあ、すごい! めっちゃきれいだね!」 サリが海老ぞりでジャンプした。着地の瞬間、砂浜の土が巻き起こる。すると地面に埋まっていた二枚貝が飛び出し、宙を舞った。――貝は、田中さんの周囲を浮遊する四次元空間の中にすっぽりと包み込まれた。そのときのことを、貝は後に詳細に語っている。 「アア、あんときは何が起こったかと思ったよ。え? 四次元空間はどんなところだったって? ハハ、おもしろいことを聞くね。四次元空間が〈ところ〉だなんて。あそこは場所じゃない。――時間だ。なんて言ったら
おなかすいた。もう昼過ぎだしね。買おう、パンを。ランチパック食べたくなっちゃった。やっぱ耳がないのいいよね、なんか顎の力を使わなくても食べられるし、その割にちゃんとご飯食べた感じがあるっていうか。何味にしよっかな――やっぱ安定のピーナッツ? ああでもブルーベリージャムも捨てがたいな。最近目がちょっと悪くなっちゃったんだよね。いいや、それにしよう。――私は自動ドアに近づき、扉を開けた。ファミリーマートの軽快な入店音が鳴る。私は思わず首を振る。このリズム――すごくいい。なんてい
時刻は午後四時を回っていた。秋の四時は薄赤い。空を見上げれば、東の山の端は既に夕焼けを迎えている。爽やかな潮風を肌に感じながら、私たちは海沿いの歩道を歩いていた。相模湾の海岸線は歩道が広く確保されていて、散歩にはうってつけである。しかし――私たちは一体どこへ向かって歩いているのだろう。ただひたすらバカみたいに西に――鎌倉駅からは遠ざかって――歩いているが、一向に自分のしたいことが何なのか分からない。客観的に今の状況を分析すると、私たちは学校を無為にサボっているだけなのではな
私たちの住む横浜――否、YOKOHAMAはいわば経済特区だった。特産はナシ、目立っていいところもない、治安は最悪――にもかかわらず、国内や海外から少なくない観光客が殺到する。なぜだ? 分からない。一切は全て謎に包まれている。ある日本の高名な経済学者は言った。「我々の経済理論は完全無欠だ。――YOKOHAMAがなければの話だが」。世界を巡っている吟遊詩人はこうも言う。「私は不可解な事件に二度立ち会った。一つは先住民が毒ミミズを煮た液体を墓にかけて死者を生き返らせたこと。もう一
人生は後悔の連続である――誰が初めに言ったのかは知らないが、この格言はもはや金言である。後悔しかしない。マジで、やっちゃった後に、あ――って小声で叫ぶ。 大声じゃない、大声で叫んでもどうにもならないということを知っているからだ。どうにもならないと知っていることをあえてやろうとすることほど傷つくことはない。フラれるのが分かってて告白してみよう――みたいな。だから――慎ましく、心の中で叫ぶ。心の中で叫んだのが、少しだけ口の隙間から漏れる。あ――はそういう余情だ。本当に辛い。本
最近「感想」ってなんだろうってよく考える。ちなみに、感想は大事だと僕は強く思っている。読書感想文の指導をなんどかやったことがあるが、感想が書けるスキルってめちゃめちゃ大事。 よくネットでは「読書感想文の宿題なんかいらない!」って意見が蔓延することがあるけれど、僕は偏にやり方が悪いんだと思っている。かといって良いやり方を知っているわけじゃないけれど――少なくとも、「読書感想文はいらない!」は「感想」のもつ素晴らしさを無視していて同意できない。 で、最近巷で流行っている「
なんかさ、本当なんでもいいんだけれど「おもしろい」って紹介されてて読みに行った記事が、もうね、めちゃくちゃおもしろくなくて、ただの他人への煽りで、煽り方がおもしろいとかなんとか書いてあったけど、本当にただの煽りでさあ――軽妙? 洒脱? ほんと舐めんなってさあ、舐めんなってマジで。 でも一方で、なるほど、確かに「おもしろい」って人それぞれだよなあ――って思うことはあって。文句は言うけれど、だからと言ってその人の価値観を完全否定するつもりはない。まあ――部分的には否定するけれ
カーペットの縫い目の隙間に、髪の毛が挟まっているのを咲は見た。昼間にもかかわらず、彼女は寝そべって、何することもなくただ目の前にあるものをじっと観察していたのだった。カーペットの隙間は生活臭の楽園である。灰色の小さな鉱物の砂粒や、洋服からほつれて落ちた毛玉、ポテトチップスの黄色い欠片やノリが、所狭しと挟まっている。ハァ――と咲はため息をついた。この前掃除機をかけたばかりなのに、なるほど、パニック物の映画で、主人公はどんな災害に直面しても生き残っている。今この場にいるカスたち
エッセイはしばらくもう書かないとか書きましたが、絶賛スランプ中で、なにをどうしたらいいのか分かんなくなってきたので、いったん頭の中を整理するためにも、やっぱりエッセイを書くことにしました。 マジで無理。ありえんくらい書けない。ということで、題して「小説を書くにはどうしたらいいのか」というわけです。今から、小説を書くことを趣味とする一個体の生物の悩みを、ここに書き連ねていきたいと思います。 そもそも、俺は他人の小説を読むときに、何を楽しみに読んでいるのだろう。多分答えは
そもそも、このよく使う「」に入れるとは一体どういうことなのか? を私なりにちょっとまとめてみようと思って。 先に言っておけば、この「」(カギ括弧)は色んな多義性を含んでいるので、ひとことでこう!とまとめることはできません。本当、この「」がでてきたらいちいち文脈を読まなきゃいけない。受験国語で出てきたら、めっちゃ大変なやつ。 まず簡単に述べられる奴から説明していこうと思う。一つは強調。 このスタンスでカギ括弧を使っている人はウェブライターに多い。俺もよく使う。 横書きって目が
先日、マジで酷い小説を目撃しちゃって、その鬱憤が僕の中で蠢いているんで、もうちょっとこれ書かなきゃなって思って。もちろん、どの小説かは言いません。特定の人を誹謗中傷することになってしまうので……。 ちなみに「いいね」も「フォロー」も「ブックマーク」も何もしていないので遡れないかと思います……! 基本的に人は文章を書くとき、「何か伝えたいことがあって書いている」というのが大半だと思います。 ていうか、文字はそのためにある。自分の中にあるものを、誰かが「読解」できる形に置いてお
――私はドアをノックした。 「ごめんなさい! うちのサリが迷惑なことを言ったみたいで」 「え!?」サリが突然驚いたような声を上げた。「待って? 今これ場面どこから始まってる?」 ――ウヴォエ! ゲロベチャァ愚ジョォ? 「は?」 三十羽の鶏の首が一気に絞められたような音を背後に感じて急いで振り向くと、田中さんが何かを口から吐き出しているところだった。無数のボタンの飛び出た――恐らくタイプライターだろう。彼女は大きく口を開けて、ゆっくりとタイプライターを取りだそうとしていた
私が電車に恋をしたのは、中学生のときだった。 きっかけは特にない。気がついたら好きになってた。通学路を共にしていて、急にドキドキしてきちゃって、あ、好きかもって。 そしたら段々と魅力的に見えちゃって。最初は彼の語る言葉に惚れていった。彼の奏でる音は、重層的で複雑で、どこか気まぐれで、掴めないテンポ。だけどどこか安心するような、不思議な、言語化不可能な世界。聞いてると、その度に新しい発見があって話してくたびにワクワクしちゃう。 でもね、友達にその話をすると「でも彼っ
こんな話を聞いたことがあるだろうか。 山田さんと遠藤くんが、かけっこをした。山田さんは、遠藤くんを舐め腐っていたので、 「ささ、遠藤くん、十メートルほど前へ言っていいわよ」 と、ハンディキャップを促したのだった。遠藤くんはムカついたので、 「いいよ。けど、お前はそのせいで、俺がどんなにゆっくり走っても絶対に追いつけない」と、挑発した。 「え? なんのこと?」しかし、山田さんが、その意味を理解するのは、かけっこが始まってすぐ後のことだった。 ――ようい、ドン! 山
長谷寺に日常が戻っていた。庭は、寺の花を〈拝観〉しにきた観光客で賑わっていた。あれだけ転がっていたタニシの死骸も、きれいさっぱりなくなっていた。心なしか、寺中を流れる水が、いつもより澄んでいる気がする。タニシには、水をきれいにする力があるということを聞いたことがある。タニシは存在したのか、しなかったのか。なんだか、夢みたいだ。――私は「夢」という言葉が嫌いだった。夢――私は夢を見たことがなかった。多分、見たくなかったからだ――私の目の前は常に現実だった。しかしタニシは――