もんてすキュっと⑮

「――わあ、おっきな提灯!」
 目の前には、見上げるくらいの大きな門に、サリが五人くらい詰め込めるレベルの真っ赤な提灯がぶら下がっていた。提灯には、大きく”長谷寺”と描かれている。グーグルで画像検索すると真っ先に出てくる、あの提灯だ。
「すごい、へえ、すごいね、これはすごい!」
 サリは、自慢の最新型スマートフォンを取りだし、写真を撮影していた。あらゆる角度から。例えば、前から。例えば、右から。例えば――自分の顔を伴って――サリは、素早い首の回転で、こちらを向いた。
「ミレイ、一緒に撮ろう!」
「ヤダ」私は即座に断った。
「あっ――あ、そうか。ええと、提灯の前に、私と一列に並んで、私のスマートフォンの画面を見つめる公務を、頼んでもいいかな?」
「偶然――というかたちにおいてなら……」
 というわけで、私たちは門の前に、偶然一列に並び、偶然サリのスマートフォンの画面を覗いて、偶然、シャッターをタッチした。つまり――偶然、サリとのツーショットが、記録媒体に保存されるに至った。
「青春じゃのお……」##このコメントは見えていません##
「さ、じゃあ、ちょっと拝観料を払ってくるわね。……ちっ」
 長谷寺は、拝観するのに四百円のお金がかかる。本来お金とは、サービスの対価として支払うものだから、どちらかと言えば、拝観の「拝」はサービスを与える側の称号のはずなのだけれど、神社とは決まって、「拝」を客側に押し付ける場所なのだった。つまり、お金を奪い、優位性も奪う。私は、寺のスタンスにムカついていた。
「ねえ」
 私は受付の女に話しかけた。巫女のコスプレをしていて鬱陶しい。彼女は、こちらを向いて笑顔で、
「はい、どういたしましたか?」と、答えた。
「もし私が、四百万円をここで支払ったら、あなたはどうする?」
「三百九十九万九千六百円のお釣りを返しますね」
「どういうこと?」
「なるほど」
 彼女の顔からフッ――と笑顔が消えて、部屋の奥の方に消えていった。キエーッと奇声が、どこかから聞こえると、突然、しゃぼんだま飛んだ――と歌が聞こえてきた。周囲にいた観光客がアスファルトに溶けだし、口を大きく開けて、その歌に合わせて歌い始めた。屋根まで飛んだ。屋根まで飛んで、壊れて
「キエーッ!」
 突然、料金所のガラスが大きな音を立てて割れ始め、轟音が寺に轟いた。衝撃波があたりにぶっ飛び、私はその煽りを食らって、後ろに転んでしまった。料金所は、既に空高く巻き起こった砂ぼこりで見えなくなっていた。何が――起こった。私はゆっくりと立ち上がり、恐る恐る料金所の方へ近づいた。
 ――すると、その手前には先ほどのコスプレ巫女が、おおぬさを振り回して、踊っていた。おおぬさからは、何か陽炎のような――時空間のゆがみが発生しているように見える。私は、じっと見つめていた。コスプレ巫女は、キエーッとブモーッの中間のような音を鼻の穴から液体交じりに放出して、タップを踏んでいた。
 しばらくすると、コスプレ巫女の情念だけが首から剥離したものが、こちらの方を向いた。
「ふふふ、少女よ、これが気になるのかね?」情念はテレパスを発動した。しかし、正直に言って、気になる「これ」が多すぎた。私は、相手のセリフの抽象性を殺す決断をした。
「これじゃなくて――あれよ」
「ハハハハハハ!」コスプレ巫女は高笑いした。「今ので確信したわ! お前――あの女の娘だな?」
「まあ――女からは生まれてるわね……」
「やっぱりな!」
「ええ。だから、あなたの娘かもしれない」
「うん」コスプレ巫女は真顔になった。「そうだね、私も、お前から生まれている可能性がある――」
「ねえ、今の衝撃、何?」
 突然のカエル声に、私はビクッとしつつも、振り返ると、そこにサリの姿があった。今の声は、サリのものだったのだ! サリは――カエルだった。私は一瞬の隙を逃さず、問題を追及した。
「カエルって、ハエを食べるって本当かしら?」
「えっ、確かに食べるけど……」サリはなぜか首をかしげた。
 サリはハエを食べる! このことは、私の心を大きく動かした。サリはハエを食べる。はは、あのサリが! いけすかない、いつも学年一位の、あのサリがハエを食べる! あの、フンの上を飛び回るハエを、指でつまんで、団子にして食べる! 場合によっては醤油をつけて。サリが! ハエを!! 食べる!!!
「クキャキャ」私は笑った。
「じゃなくって、いったい、何が起こってるの? ……私、死にかけたんだけど」
「えっ――」
 ――死にかけた? サリが? その瞬間、私の心臓が、少しだけキュッと締め付けられたような気がした。サリが死ぬ? そんなことが――あっていいのか? それだけは――いや、なんでもない。なんでもないんだから……でも、
「な、なんで、死にかけたのよ?」
「さっき撮った写真を三人で共有しようとラインに載せようとしたら、急に突風がそっちから吹いてきて、飛ばされたんだよ。そしたら、打ち所が悪くって、ほら」
「え……」私は、サリの頭をまじまじと見た。額から赤い液体が大量に流れた跡があった。化粧かと思われていたそれは、実はサリの血だったのだ。しかし――その穴は、今はきれいに塞がっている。どういうことだ。恐ろしい治癒能力。これは――
「サリってカエルじゃなかったってこと?」
「もうその流れは、学習済みだよ。ちなみに、私は、ミレイと同じ人間だから」
「ええ……私も人間なの……」
「うーん、たしかに、それは一考の余地があるかな。――って、ねえ、だから、いったい何が起こってるの!」
「お前……」砂ぼこりの中、私たちの一連の会話を行儀よく聞いていたコスプレ巫女が、ようやく喋り始めた。「どうやって生き返った……?」
「私にもよく分かんないんだけど」と、サリは毅然とした態度で、コスプレ巫女の方を睨みつけた。「気絶した瞬間に、暗闇の中に、ホワッと光る白い物体のようなものが現れて――その人が、私の頭を撫でながら、『ワシの命をあげよう』と言って――気づけば、目が覚めていたわ」
「もしや……」コスプレ巫女は、ゆっくりと腕を挙げて、長谷寺の門の方を指さした。「お前を生き返らせたというのは、あいつか――」
 私は急いで、その方向を見ると――何もなかった。ティファールのフライパンが転がっている以外は、特に変わっている場所はない。今度は、サリの方を見る。サリは――大きくうなずいた。
「そうだよ」サリははっきりと口にする。「暗闇の中の姿はよく見えなかったけど、あれはあの人だった。あの人が――私を生き返らせてくれたんだよ!」
「ちっきしょおおおおおおおお!!!」
 ――瞬間。コスプレ巫女が雄たけびを上げるや否や、銃声にも似た衝撃音が耳の鼓膜を痛打した。料金所の隣に位置していた駐車場の方に稲光のようなものが走り、四十二台の全ての車を粉々にした。空では、雨雲が、コスプレ巫女の頭に発生していた磁場に引き寄せられるように集合し、彼女の上にだけ、バケツをひっくり返したように雨を降らせた。彼女は、その水を飲んだ。飲んで、そして破裂した。血が、辺りに飛び散る。犬の形に削られた骨が、ワンワンと吠えて、主人の死を悼んでいた。雨を降らせ尽くした後の空は、あまりに青空で、太陽が豚のケツのように輝いている。私は――手を合わせた。四百万円を受け取らなかったばっかりに――彼女は死んだのだった。
 サリは、タッタッタッとワルツのリズムで、ティファールのフライパンのそばに駆け寄った。彼女の顔には涙が溢れていた。ゆっくりとティファールのフライパンを持ち上げ、優しく抱きしめる。私は――彼女に、オムライスを作ってほしいと思った。
「ありがとう、そしてごめんなさい――人造人間スパイダー28号さん……」サリは呻いた。
「謝りなさんな、嬢ちゃん。ワシはな、ある人に頼まれて、そなたたちを助けただけなのじゃ……」##このコメントは見えていません##
「ある人って……?」サリのオムライスは多分、バターライスに違いない。
「け、けい……こ……」##このコメントは見えていません##
「圭子ってまさか――」
 フライパンの表面には、たまごが焦げ付いていた。多分寿命なのだろう。明日、ロフトで新しいフライパンを買わないといけないわね……。
「短い間じゃったが、おぬしたちと一緒に旅ができてよかった。具体的に言えば、長谷駅から、長谷寺までの約四百メートルじゃが……」##このコメントは見えていません##
「28号さん! もう喋らないで! 今すぐ救急車を呼ぶから!」
「ありがとな……ワシも、そなたくらいの孫が……欲しかった……」##このコメントは見えていません##
「28号――!」
 サリは、正太郎くんだったのか。あるいは、横山光輝のファンか。彼女は、青空の下で、長谷寺の提灯の前で、何度も28号と叫んでいた。彼女は、一層涙を流した。多分、玉ねぎのみじん切りをしていたんだと思う。彼女は、ワンワンと鳴いた。犬の骨は、ワンワンと吠えた。サリは――ゆっくりと立ち上がり、アスファルトではない地面を探して、スコップを手にし、ゆっくりと掘り始めた。そこに、フライパンを入れると、ワンワンと吠えていた犬が、その穴にすっぽりと入って、フライパンを舐め始めた。クゥ~ンと、悲しいような、嬉しいような声をあげて、フライパンの横で寝始めた。そして――それは、一生目を覚ますことはなかった。サリは――何かに気がついたのか、その犬と一緒に穴を埋め始めた。彼女は無言で――何かを決したような顔をして。
 私は、恐る恐る声をかけた。
「ねえサリ、オムライスは――」
「ミレイ」と、サリは私をきっと睨んだ。黙れ――と言わんばかりの気迫だった。彼女は、ゆっくりと口を開いた。
「今は、君の後天的なおかしさに付き合っている暇はない。……田中さんがいない」
「あ――」
 私は今頃になって気がついた。いつからか――田中さんがいなくなっていた。田中さんに貸したワンピース、高かったのに。
「……それは、困る」
「――電話がつながらない。ラインの既読もつかない。長谷駅の方に電話をしたんだけど、そこにもいないんだって」
「え、じゃあどこに……」
「そこだよ」サリは、長谷寺の方を指さした。「ここのどこかに、田中さんは幽閉されてる」
「幽閉?」
 どういうことだろう。サリは――いったい何を知っている? さっきまで「何が起こってるの!」とヒステリーになっていた彼女が――なぜ、ここまで状況を断言できる? さては――神奈川県知事選挙に立候補したのか? だとしたら――そうはいかない。私だって、出馬したのだ。なんとしてでも、田中さんを助けなければ!
「行こう!」
「そうだよ、ミレイ。行かなくちゃ! 友達のためにも!」
 サリは叫んで、四百円を料金所の前に置いてダッシュした。私は、四百円を投げた。一つがおみくじの中に、一つが神主の鼻の中に、一つが商売繁盛のお守りの中に、一つが料金所を飛び越えて鯉の餌の中に入った。神主が呼吸困難になってジタバタしているのを見て、私はボーっと考えていた。
 友達って――なんだろう?

いいなと思ったら応援しよう!