もんてすきゅっと⑭

 車内に、電車のブレーキ音が響き渡った。ブレーキ音は、いつもどこかに哀愁を伴っている。気持ちよく走っていた車両の勢いが、無理やりせき止められているような――切ないディクレッシェンド。私は、目を閉じて、その音をじっと聞き入っていた。

 ――次は、長谷、長谷。お降りの方は、電車が完全に停車してから席をお立ちくださるようお願いいたします。

 車掌の丁寧なアナウンスに、私はなぜかホッと息をつく。窓の外を見れば、住宅地が広がっていた。その向こうの、家屋の隙間からちらりと見える海に、少しだけ心が躍る。そっか、私。今、鎌倉に来ているんだ。今更ながら、旅の実感が湧いてきた。
「ミレイ、長谷ってどんなところ?」サリが、こちらを向いて聞いてきた。
 長谷か。私は――長谷が好きだった。長谷には、この地名を冠した、鎌倉市の中でも有名な長谷寺があった。長谷寺は、様々な理由から、非常に優れた寺である。一つは――なんといっても花だ。寺の、非常によく作り込まれた庭園では、四季を通じて、様々な花が彩りを添えていた。一年中花が途絶えることがないことから、長谷寺は「鎌倉の西方極楽浄土」という名前でも知られている。特に六月のアジサイは、アジサイ寺で知られる北鎌倉の明月院と双璧を成して、鎌倉のアジサイの代名詞ともなっていた。秋の今頃は、きっとツワブキやキクなどの黄色く慎ましい花が――庭園をにぎわせている頃だろう。そして何より、庭園を上へと昇れば、日本最大級の木彫り仏である「長谷観音」を拝むことができるし、その近くでは鎌倉の海と街並みを、ベンチに座りながらのんびりと眺められる。長谷寺は――そういうわけで、風光明媚な景色が楽しめるスポットなのだ。
 ――車内は静寂に満たされていた。見渡せば、蛍光灯がついているものの、少し古い内装のためか、少々薄暗い。床は木造の奥ゆかしい作りで、天井は田中さんに食い破られたつり革の切れ端が、虚しくブラリと揺れていた。広告は、江ノ島や三浦半島の観光名所への一日フリーパスの料金が書かれたものばかりで、この湾岸が観光スポットとして人気であることを多分に示していた。フフッ――私はつい笑みを零してしまった。観光という言葉に、どこか寂しい感じがしたのだろうか。バカね、私。ちょっとセンチになっちゃってるみたい。
「ミレイちゃんが笑ってる! ねね、長谷駅で降りてみようよ!」田中さんは言った。「きっといいところなんだよ!」
「そうだね、あ、停車したみたいだよ。降りよう」そう言って、サリは立ち上がる。それにつられて、三人も立ち上がった。ぷしゅうと音を立てて、扉が開く。ビビ――とブザーが鳴った。私たちは長谷のホームに降り立った。
 外は、潮風が気持ちよかった。秋の潮風は、ツンとしていて、でもどこか優しくて。私は、思いっきり息を吸ってみた。幸せな空気が、肺いっぱいに満ちていく感触があった。今度は、息を吐きだしてみる。私の心にわだかまっていた感情が、軽やかな潮風に乗ってどこかに消えていくような気がした。
「はぁ! 幸せね……」気づけば、私はつい心の言葉を呟いていた。
「……ねえ、ミレイ」
 ――なんだろう。サリの言葉のはしっこに、心なしか、私を責めるような響きが伴っている気がした。しかし――私には心当たりがなかった。どうしたのだろう。もしかしたら、私、彼女を傷つけるようなことを、無意識に言ってしまったのかもしれない。
「幸せで……ごめんなさい」私は、謝った。
「どういうこと? いやいや――ねえ、いつまでそれやるつもりなの?」
「それって?」私は聞き返した。「私はただ――この大地に、心を委ねているだけ」
「それそれ、そういうのだよ」サリは、しつこく追及する。「ひょっとして、ミレイ、五分前の「人造人間スパイダー28号」をなかったことにしようとしてる?」
「わ、ワシになんか用か?」##このコメントは見えていません##
「え、そんな人いた?」私は、腕につけていた赤いパワーストーンに力を込めた。しかし、何も起こらない。
「いるじゃん……ほら、そこにフライパンを被った28号が……正太郎くんはいないけど」サリは、同年代に伝わらないボケをかました。
「チッ――これまでか……田中さん、このフライパンを早く食べておしまい!」私は鉄パイプを食べていた田中さんに命令した。
「無理だよお、ミレイちゃん。流石に金属は消化できない……」
「なるほど」私は、高校の化学で習った元素に関する体系への理解の刷新を強いられた。鉄パイプは金属ではない。私は、直接28号のソースコードにコメントを書き込んだ。<!-- 仕方ない、おい、バカ。そこに直れ!-->
「はい」##このコメントは見えていません##
 長谷駅は、寺が近くにあったものの、駅自体は住宅地のど真ん中に位置していた。駅を降りれば、食堂やお土産屋さんがあるなか、その隣に賃貸アパートがひしめいてるし、多分、初めて降りた人はその異様さを驚きで持って受け止めることになるだろう。普段は観光客でとても混んでいたが、やはり、平日の昼ともなると、人も少なく、少し閑散としている。ホームには、私たちだけしかいなかった。好都合だ。私たちは、会議を始めた。
「この中で、ビジュアルが明確に分かっているのは田中さんしかいないわ――選挙活動を始めるにあたって、そこら辺の透明性はきちんと担保しておきたいの。きっと、みんな思い思いのイメージを私たちに付加しているかもしれないけれど――ここできっちりしておきたいわ。だから、まずは自己紹介をしましょ」
「前提が大きく間違ってるけど、結論には賛成!」サリは言った。
「食べられれば、なんでもいいかな……」田中さんも賛成した。
「ワシは、そもそもプロフィールが用意されてないから反対じゃ……」##このコメントは見えていません##
「じゃあ、まず私から。私はミレイ。政治家の卵よ。洋服はこの通り、自然色のはっきりした生地が好きで、今日も真っ赤なワンピースを着ているわ。ちなみに、田中さんの今着てる、白地にカラフルな色のドットのワンピースも私の服。てか、楽だから、今回ワンピースしか持ってきてない」
「続きまして、サリです。えっと……待って、なにこれ、恥ずかしくない?」
「どういうこと? 今更じゃない?」
「今更!?」サリは頭を抱えた。「私はいつも恥ずかしかったのか……」
「じゃあ、サリを大トリにしよう」私は、PS4を熱心に食べている美少女の方を向いた。「田中さん、自己紹介して」
「待って――これ食べ終わってから……バリリィ!」バキバキ、ゴキュッ!
 ――ズカッ、ゲシゲシ。
「痛い! ちょ、意味もなくワシを蹴らないで!」##このコメントは見えていません##
「サリは、今日は名前のわからない、なんかふわっとした水色の服に、やっぱよくわかんない青い意味不明なショートパンツを履いてます。さ、行こうか」私は、改札を抜けて、駅の外に出た。長谷寺は、大通りをまっすぐ行って、三分ほど歩いた場所にある。二人も続いて、改札を出てきた。
「長谷寺は、この先に行くとあるわ。記念すべき、最初の観光スポットね!」
「うん、そうだね!」サリは元気よく答えた。
「ワシも楽しみじゃ」##このコメントは見えていません##
 横断歩道を渡って、私たちは歩き始めた。そよそよと、潮風が頬を撫でる。
 空を見上げれば、青空が広がっていた。その青さに、私は鎌倉の海を思い浮かべて、一層心が晴れやかになるのだった。

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